並盛中でつかまえて 02

「なるほどな。だからディーノは、もうダメだから家庭教師降りさせてくれって言ったのか」

 ようやく欲しかった情報をすべて得られて、リボーンは納得顔で頷いた。

 リボーンは知っていた。ディーノが雲雀に惹かれていることを。雲雀が中学生であることと、同性の子供だという認識が、ディーノの気持ちを芽吹かせずにいたことも。

 だが、雲雀が女だとわかれば、ディーノは自分の気持ちを押し殺しきれなくなるだろう。いや、たぶんもう遅い。あの瞬間に、ディーノの感情は、解放された。だから、雲雀の「二度と来るな」に、家庭教師を続ける自信を無くすほどのショックを受けている。

 リボーンはディーノに雲雀を諦めて欲しくなかった。それは、なによりも、今後のディーノの人生の為に。道は残されている。雲雀の感情も解き放つこと。糸口は、雲雀がそう言ったのは、本当にディーノを嫌ってのことではない、ということ。

「事情はわかった。ヒバリ、おめーは本当にもう二度とディーノに会いたくねーか?」

「そう言ったのは、僕だよ」

「本心か? これが最後のチャンスかもしれねー…いや、正真正銘のラストチャンスだぞ? おめーさえそう言えば、オレはディーノを家庭教師から外して、イタリアに帰らせる」

「イタリア? 唐突だね」

 並盛とも日本とも遠く離れた国名が突拍子もなくて、雲雀はくすりと笑う。だが、リボーンはにこりともしない。

「唐突なもんか。ディーノはイタリアン・マフィアのボスだ。本拠地に帰らせるだけのことだぞ」

「帰ったら、どうなるの」

「どうにもならねー。ただ、二度とおめーに会うことがねーように、万事取り計らうだけだ」

「ふぅん」

「大げさだとか、思うなよ。ボンゴレの力は、そのくれーのこと、負担でもなくやってのける」

「え…」

 リボーンのセリフは、できそうもないことに、やけに現実味を帯びさせた。たった今、雲雀がどのように言うかで、ディーノの今後が決まる。ただのリボーンとの言葉の応酬だった時間が、一気に雲雀に圧し掛かり始めた。

「まだ聞いてなかったのか。ヒバリ、おめーはボンゴレ10代目ボスの守護者で、ディーノはボンゴレの同盟ファミリーの中のひとつを仕切ってるボスに過ぎねー。おめーが一言、ディーノの顔を二度と見たくねーんだと言えば、ボンゴレはどんな手を使っても、ディーノとおめーを会わせねー。ディーノはそこまで承知して、家庭教師を降りるって言ってんだぞ」

「なんで? 僕は、別にそんなつもりじゃ」

「おめーがそんなつもりじゃなくても、だ。おめーと違って、ディーノは自分が身を置く世界をわかってる。本気で、死ぬまでおめーには会わねーつもりでいる。そのディーノに、おめーは変わらずに言えるか、二度と来るなって?」

 言える、と言おうとして、喉の奥がひゅっと変な音を立てた。喉が震えて、声が出なかった。息苦しくなって、胸を押さえたら、かくん、と膝が崩れた。

「どうやら、おめーの心はもう答を出してるみてーだな。ディーノが帰っちまう前に、行って来いよ」

 みっともなく震える手は、誰のものだろう? 力なくへたり込んだ床で、雲雀は知らないものを見る目で自分の手を見下ろした。

「赤ん坊」

「なんだ?」

「僕は今、とてもみっともなくて情けない……」

 顔を上げて、床に座ったことで目の高さが近づいたリボーンを見たら、リボーンは今日初めて、雲雀に笑顔を見せた。

「そんなことねーぞ。今の雲雀は、オレの知ってる中でも、3本の指に入る美人だ。安心して、行って来い」




 応接室を飛び出した雲雀を、草壁が待ち構えていた。プライベートを知られたがらない雲雀の気質を知り尽くしている草壁は、今日も何も訊かなかったが、有無を言わせぬ迫力で雲雀をバイクの後ろに乗せると、目的地へと走り出した。

 着いた先は、並盛にこんなホテルを建てて、果たして客は来るのかとまで言われている、並盛でいちばんの高級ホテルだ。エレベーターで最上階まで上がると、そこには、ディーノと一緒に屋上に来ていた中年の男性がいた。確か、ディーノはロマーリオと呼んでいた。

「おっさん」

「よう、草壁。手間かけてすまなかったな」

 2人のあいだには、話が出来上がっていたらしい。すっかり成り行きを了解しているやり取りに、雲雀は面白くない顔をした。

「無理矢理連れてきて悪ぃな、恭弥。ボスがもう恭弥に会えねーって、朝から仕事もできねーもんだから、こっちもお手上げなんだ」

 最上階は、ディーノと部下たちが貸しきっているらしい。黒いスーツの人相の悪い男たちが埋め尽くすフロアを、雲雀はロマーリオに案内されるまま進んだ。

 ひときわ立派なドアの前で、ロマーリオが立ち止まる。どうやら、ここがディーノの部屋らしい。見上げた先でロマーリオが頷いたので、雲雀はドアを開けた。中に入ったのは、雲雀だけだった。

「ロマーリオか? 悪ぃな、書類待たせて」

 人が入ってきた気配を感じたディーノは、こちらを振り返りもしないで声を上げた。ロマーリオだと信じ込んで、気を抜いているようだった。

 ソファに身を投げ出すように座ったディーノは、手に書類を持っていた。だが、姿勢や雰囲気で、きちんと読んでいないとすぐにわかる。決裁のサインの為に用意してある万年筆も、蓋をしたまま、テーブルに転がっていた。

「恭弥の家庭教師、行くことなくなったと思ったらさ。なんか、急いでやらねーでもいーかって、気が抜けちまってよ」

「あなたの無能を、僕のせいにしないでくれる」

 さすがに聞き捨てならないと、雲雀は口を開いた。思いがけない声を聞いて、ディーノがガタガタとソファから転がり落ちる。

「恭、弥」

「勝手に家庭教師とか特訓とか言って押しかけてきたくせに、僕に咬み殺させもしないで勝手に来なくて、挙句に自分の仕事ができないのが僕のせいなんて、ふざけるのもいい加減にして」

 ぽかんと口を開けたままのディーノを、仁王立ちして雲雀は見下ろす。腕を組むその向こうに見える胸が、男のそれでないと思ってしまうのは、きっとディーノが本当のことを知ってしまったからだろう。雲雀の胸は、潰してはいなくても、言われてみないとわからないほど、乏しい。

 そこまで考えて、ディーノはもう自分が雲雀を女の子としてしか見ていないのだと、改めて気付いた。それも、かなり特別な意味で。

 よっと掛け声をかけて、ディーノは立ち上がる。目の前には、自分よりずっと年下の少女。がりがりの痩せぎすだと思っていた身体は、少女ゆえの華奢さともともとの細さが相まってのものだった。

 ああ、肩細ぇなぁ。そう思ったら、無性に抱きしめたくなって、ディーノは困った。

「ちょっと、聞いてる?」

「ああ、聞いてる」

 雲雀に言われて、慌てて気持ちを立て直す。雲雀は相変わらずむすっとした表情だったけれど、いつもよりも少し、目つきが柔らかかった。

「あなたがまた前と同じように接してくれるなら、僕はあなたを屋上で待っててあげてもいいんだけど」

「なら、恭弥。やっぱりオレは、お前の家庭教師を続けられねーよ」

 雲雀の精一杯の歩み寄りは、ディーノの一言で拒絶された。自分が譲歩して拒まれると思っていなかった雲雀は、驚いてディーノを見上げる。

「もうオレ、お前のこと、女の子としか見れねーもん。怪我させたくねーし、危ない目に遭わせたくねーし、護りてーし。それがダメだってんなら、オレには無理だ」

「僕が、それこそが嫌なんだって言っても?」

「ああ。ただし」

「何」

「この何日間かで、お前を護りてーなら、なによりお前を強くするのがいちばんだってことは、わかった。だから、そのためでいいんだったら、オレは家庭教師を続けられる」

「え…?」

「恭弥が、どういう形であっても護られたくねーってんなら、仕方ねー。オレは家庭教師を降りる。だけどもし、理由が何でもオレと仕合えりゃいいってんなら、オレは恭弥の家庭教師でいられるんだけど……どうする?」

 ディーノの穏やかな微笑みは、同時にいつになく真剣でもあった。雲雀は組んでいた腕を解いて、ディーノに近づいた。ぎりぎり、触れ合ってしまう一歩手前まで。

 迂闊に返事はできなかった。確かに、雲雀はディーノが去ってしまうことが嫌で、ここまで来た。けれど、今ディーノが出した話は、家庭教師を続けるかどうかの提案のようでいて、実はディーノの告白でしかなかった。ディーノが雲雀を好きであることを、雲雀が受け入れられるのなら、ディーノは去らない。

 雲雀は、リボーンが言わなかったディーノが家庭教師を辞めたがった理由を、ようやく知った。今度は、雲雀が考える番だ。自分は、それでも、ディーノに去らないでいて欲しいのかどうか。

 手を上げて、ディーノに触れる。タトゥに彩られた腕、その上の肩。鍛え上げられた男性の体躯だ。ディーノに触れることで自分の心を試す雲雀の手を、ディーノは避けずにそのまま立っている。雲雀の手がディーノの頬にたどり着いたとき、ディーノは雲雀の手に自分の手を重ねて、その手のひらを唇に押し当てた。

「いいよ」

 言葉は、ぽろりと零れていた。

「僕の負けだ。あなたのいない屋上に、きっと僕はもう耐えられない」

 言い終わらないうちに、雲雀はディーノの腕の中に収められていた。



「条件があるよ」

 ソファに座った雲雀は、コーヒーのカップを手に取ると、じろりとディーノを睨んだ。ディーノの顔はでれでれに崩れていて、うっかりときめいた自分が恨めしくなってくる。

「特訓とやらのあいだ、僕のことを女だからって特別扱いしないこと。守れないなら、咬み殺す」

「女扱いしないって、例えば?」

 つい先ほどまで、雲雀を抱きしめてキスの豪雨を降らせたディーノは、雲雀が睨んでいるのは照れ隠しだと知っている。ともすればにやけてしまいそうになるのを、必死に堪えながら、具体例を求めた。どこまでなら許されるかは、把握しておかないと、咬み殺されるのだから。

「手加減しないで。大事なもの扱いしないで。キスもダメ。さっきみたいなのも、全部ダメ」

「抱きしめるのもキスもダメなのかよ」

「当然」

 きっぱりと言い切る雲雀に、ディーノは深いため息をついた。せっかく両想いになれたのに、触ってはいけないなんて、辛すぎる。

「じゃあ、オレからも条件」

「いいよ。何?」

「オレは、特訓の時間は、恭弥を女だと思わない。キスもハグもしないし、流れ次第じゃ、顔とか胸とか狙った攻撃もする。だから、怪我の手当てはさせてくれ」

「わかった」

 女扱いしないという約束に気をよくして、雲雀は素直に頷く。ディーノはさらりともうひとつ付け加えた。

「それで、その日の特訓が終わったら、一緒に食事しような」

「なんで?」

 さすがにこれは、すんなりと通らなかった。ディーノはなんとか了承を取ろうと、頑張ってみる。

「その日の特訓、終わったらだいたい夕方だろ。そしたら、時間的には、夕飯がちょうどいいじゃねーか」

「そうだけど」

「特訓の間はゆっくり話したりしねーんだし、そういう時間、あってもいいじゃねーか」

「そういう時間、欲しいの?」

「欲しい」

 ディーノに力強くそう言われてしまっては、雲雀も逆らいきれない。それは、先ほどからの雰囲気の流れもあってのことだったが、それだけの雰囲気を雲雀相手に作り出したのだから、ディーノの執念もたいしたものだ。

「仕方ないね。毎日パスタは嫌だよ」

「おう。恭弥も、食べてーのがあれば、ちゃんと言うんだぞ」

 上機嫌のディーノの言葉に、雲雀はつられてついフフッと笑ってしまった。




 そして、翌日からまた、屋上での特訓が始まる。

 この騒動の間も、結局ディーノはリングの話をしそびれ、雲雀はリボーンの言っていた『ボンゴレの守護者』という言葉をスルーしたので、ディーノがどうして家庭教師と言って特訓しに来るのか、雲雀は未だに知らない。

 実は時折それが疑問として頭を過ぎることはあるけれど、ディーノが屋上にくれば何でもいいや、と思ってまた忘れてしまうのは、まだ雲雀だけの秘密。


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