踊っては座り、座っては踊ってを幾度か繰り返し、その日何度目かのワルツを踊っているときだった。
ナチュラルターンの途中で、雲雀は変なペアを見かけた。女性が、男性の燕尾服の襟に、なにかを差し入れている。
「ねえ。あのペア、変。薄い赤のドレスのペア。見える?」
曲にまぎれるように声を潜めてささやくと、ディーノは何歩かのステップの後に応えた。
「あの、赤地に銀ラメのウィングのペアか? 男の方の髪が茶色い」
「そう、それ」
「確かに変だな。踊りながらドレスの襟になにか挟んでるぜ」
踊りながら、ディーノと雲雀はぼそぼそと話す。ダンスに集中していない様子は奇妙に見えなくもなかったが、声が周囲に聞かれてしまう心配がないのはありがたかった。
「僕が見たときは、女が男の襟になにか入れてた。どう?」
「様子を見てみよう。一回だけじゃ、偶然ってこともあり得る」
「確かにね」
リバースターンを回ったところで、曲が終わる。踊りながらではしっかりと観察が出来ないので、ディーノと雲雀はフロア近くのテーブルに着いた。
赤いドレスの女性はフロアから消え、茶髪の男性は水色のドレスの女性とクイックステップを踊っていた。
「こういうダンスって、ペアのパートナーを曲毎に変えるの?」
「さあ、オレも実はよく知らねーけど…」
ディーノと雲雀の見ている先で、茶髪の男性は一曲毎に相手を変え、全員と襟に何かを差し込み合う。ディーノの持つ携帯電話にロマーリオから着信が入り、話を聞いたディーノは硬い表情で通話を切った。
「赤いドレスの女をロマーリオが捕まえた。ビンゴだ。よく気付いたな、恭弥」
「当然でしょ。僕を誰だと思ってるの、あなた」
「並中の風紀委員長だろ」
顔を見合わせてにやりと微笑むと、ディーノはロマーリオと合流するために立ち上がった。買いに来ていたのが女性ばかりであることや、どうやって情報を手に入れていたのかなど、捕まえた女性から聞き出したいことは山とある。
「恭弥は、イワンが迎えに来たら、先に帰ってろ」
「足手まといには、ならないつもりだけど」
雲雀がディーノをまっすぐに見上げると、ディーノはふたたび椅子に腰を下ろして、雲雀の手を取った。
「恭弥が頼りになることは、オレもよく知ってる。子供扱いもするつもりはねー。でも、オレは恭弥に血腥ぇもんを見せたくねーんだ」
「僕は平気だよ」
「うん、わかってる。平気じゃねーのは、オレの方だ」
「あなた、……」
「頼むよ」
握った手を持ち上げて、ディーノは口付ける。それこそが子供扱いのような気がしたけれど、ディーノにここまで頼まれて撥ねつけることは、雲雀はできなかった。
「仕方ないね。戻ってくるまで、ホテルで待ってる」
「グラッツェ」
驚くほどの早業で雲雀にキスして、ディーノはテーブルから離れていった。その背中を見送りながら、雲雀はふと思い出して、イヤリングを外す。宝石の粒をつなげて房状にしたイヤリングはずっしりと重たくて、雲雀はずっと耳の痛みを堪えていたのだ。
とてつもなく高価なイヤリングであることはわかっていたので、無くさないように片手で握り締め、もう片方の手で痺れた耳たぶを揉み解す。
その動きは、わざとらしいほど丁寧な声が話しかけるのと同時に止まった。
「失礼。騒がないで、ついてきていただけませんか」
いつのまにか、雲雀のわき腹に金属の筒が押しつけられていた。
「ボス」
地下の駐車場、茶髪の男性と踊っていた女性を何人か確保したワゴン車で取調べをしていたディーノの許へイワンが走ってきたのは、イワンが指示を受けて雲雀を迎えに行ってすぐのことだった。
「恭弥がいねー。フロア中探したんだが、どこにも姿が……」
「なんだって!?」
さっとディーノの顔が顔色が変わる。部下たちが取調べを続けている輪から外れて、ディーノはイワンを問い詰める。
「本当にいなかったのか? 歓談席の最前列、フロアから見ていちばん右のテーブルだ」
「ああ。そのテーブルも、他のテーブルも、ロビーも全部見た。恭弥はいなかった」
「白地に、紫の織り模様のドレスだぞ」
「間違いねー。本当にいなかったんだ」
イワンがディーノに嘘をつくはずがない。まして、雲雀に関してのことは、キャバッローネ・ファミリーの最重要最優先事項だ。
考えられるのは、ディーノがテーブルを離れ、イワンに指示を出し、イワンがテーブルに着くまでの数分の空白で、なにかあったということだった。
「なにか気付いたことはあったか?」
「これが非常口のところに落ちていた。ボス、これは恭弥のイヤリングの石じゃねーか?」
イワンが差し出したのは、小豆ほどの大きさのブリオレットカットのタンザナイトだった。引きちぎられたカンが、ひしゃげて残っている。
「これが落ちていたところに案内しろ。ロマーリオ、一緒に来てくれ。ボノは後を頼む」
「了解、ボス」
タンザナイトの粒を受け取り、ロマーリオとイワンを連れて、ディーノは会場の非常口へ走り出した。
イワンが案内した非常口は、外ではなく、スタッフ専用フロアへと通じていた。
「ここからはオレが行く。イワンは戻って、ボノを手伝ってくれ」
「了解、ボス」
重い金属扉を閉めると、ダンスフロアの音楽はまったく届かなくなる。ディーノはロマーリオとふたりで、雲雀を追い始めた。
「ボス、恭弥を探すアテはあるのか?」
ロマーリオの問いかけに、ディーノはロマーリオに向き直ると、タンザナイトを見せた。
「これ、覚えてるだろ」
「ああ。このあいだ特注してたやつ」
「あのジュエラーは、ちょっとやそっとで石が落ちるような、ちゃちな細工はしねー。引きちぎった跡からしても、恭弥が落としてったんだ。たぶん、道々、これが落ちてる」
ディーノが指差した先には、もうひとつ、タンザナイトが落ちていた。小さい粒だが、ディーノが極上品を用意させたため、わずかな光でもよく輝いて、見つけるつもりで探せばすぐに見つけられた。
「なるほどな」
ロマーリオはうなずき、ディーノとふたり、タンザナイトを追い始めた。
「聞いてなかったぞ、張り込みがいるなんて……あ? 誰かなんて知らねーよ。けど、絶対ぇサツよりヤベーって! …いいから、誰か応援出してくれよ! それと迎えも!」
携帯電話で口論する男の言葉を聞きながら、両手両足を縛られた雲雀は頭の中で状況を整理しようと周囲を見回した。
ピストルをわき腹に押し当てられた雲雀は、さすがに暴れることもできず、指示に従ってここへ連れて来られた。実際には、ピストルではなく、ただの鉄の棒だったけれど、確かめられなかったあの状況では、逆らうことが得策でないことは違いなかった。
通る道々に、予備の備品や食事の出るパーティのときに使用するためのワゴンなどが置いてあるところから、スタッフ専用エリアだとわかる。この部屋は、その中にある備品倉庫のひとつだった。
咄嗟に握っていたイヤリングの石留めのカンを壊し、目印に一粒ずつ落としてきたが、ディーノはそれを見つけてくれるだろうか。他に居場所を知らせられる手段が思いつかなくて、せっかくのプレゼントを壊してしまったことは、気が咎めた。せめてそれが役に立たなくては、帳尻が合わないというものだ。
「何言ってんだよ、マジヤベーんだって! はぁ!? ふざけんな、この状況で出れるわけねーだろ」
雲雀の手を縛り、ドレスの下のトンファーを取り上げた男は、電話の相手と口論を続けている。聞こえてくる言葉から察するに、男は今日の取引に使用されただけの捨て駒のようだった。
そんな男に捕らわれ、縛られ、あまつさえドレスの中を見られて、雲雀の怒りは限界ゲージもぶっちぎり、手にトンファーがあれば今すぐ三途の川を渡らせてやるところだ。いくらダンス用のインナーを着ていると言っても、意思に反してスカートをめくり上げられるのは、屈辱の一言しかない。
男の意識が電話に集中しているのを好機に、雲雀は縛られた手を解こうと試みる。ビニール紐がぐいぐいと食い込むが、それどころではなかった。
「くそっ!」
男が毒づいて電話を壁に投げつける。上に見捨てられたのだと、容易に想像がついた。雲雀は、マズい、と内心で焦る。自棄になった男がすることに、ろくなことはない。
男が気付かないことを願いながら、雲雀は痛みを堪えて手首を動かし続ける。縛っている紐がビニールであることが、たった一つの突破口だった。
「てめーも、いい加減、なんかしゃべれよ。一緒にいた男、何者だ?」
男が振り向き、雲雀を見下ろす。雲雀は手を動かすのを止め、男を見上げた。床に転がされているために1メートルを超える高さの違いが悔しい。ぎり、と睨みつけると、男は雲雀のすぐ横にしゃがんだ。
「おまえさぁ、自分の立場、わかってんの? オレがその気になりゃ、お前1人、どーにでもできんだぜ? 助かりてーとか、思わねーわけ?」
雲雀は無言のまま、男を見つめ返す。捕まった瞬間から、一言だって声を出すものかと決めていた。声を聞かせてやる価値など、この男にはない。
「ほら、なんとか言えよ! 犯すぞ、てめー!」
男が切り札のように叫んだ言葉にさえ、雲雀は眉ひとつ動かさない。そんな言葉、恐ろしくもなんともない。むしろ、笑うのを我慢する方が難しいくらいだ。犯すと言えば女は言うことを聞くのだと思っているような言動が、滑稽でたまらない。
それが目に浮かんでしまったのだろうか、男はカッと激昂した表情を見せると、雲雀のドレスに手をかけた。
本当にやると思っていなかった雲雀は、驚くと同時に怯える。けれど、表情に出して堪るものかと、男を睨み続けた。
それでこの雲雀恭弥が言いなりになると思うのなら、やってみるがいい。思ったとおりになりはしないし、楽な死に方ができると思うな。
雲雀のドレスがめくり上げられた、そのとき。
「恭弥っ!!」
ディーノの声がするのと同時に、倉庫のドアが勢いよく壊された。
「この野郎、よくも恭弥を!」
怒り狂ったディーノが、感情に任せて鞭を振り上げる。男の全身は、ディーノに打たれたミミズ腫れで、真っ赤になっていた。ぼこぼこに殴られた顔は、すでに原形を留めていない。
「止めないの? 大事な情報を持ってる男なんでしょ?」
ロマーリオにビニール紐を切ってもらった雲雀は、男を打ち据えるディーノを指してロマーリオに訊ねた。雲雀を振り返ったロマーリオは、肩をすくめて答える。
「止めたところで、ボスは聞かねーからな」
本当は、ドラッグを流している組織を掴むための重要参考人で、死なれては困るのだけれど。ディーノが雲雀に危害を加えた存在を決して許さないことを知っているロマーリオは、そこのところに関しては、とっくに諦めていた。
「じゃあ、僕もやっていい?」
「Per favore」
雲雀の問いかけにロマーリオがうなずくと、雲雀は取り返したトンファーを構えて参加する。その様子を眺めながら、ロマーリオはボノに電話を掛けた。
「ボノか。…ああ、恭弥は無事に助けた。売人の身柄も押さえてある。…ああ、いまボスと恭弥がタコ殴りしてる。…ああ、裏で糸引いてる奴の情報はまだ聞いてねー。……ああ、そうだ。そこで、物は相談なんだけどな。オレ、売人の男、見捨ててもいいかねぇ?」
結局、ギリギリで我に返ったディーノは、殺してしまう前に男から情報を得ることに成功し、今回の目的は無事に果たし遂せた。
タンザナイトのイヤリングはきれいに修理され、雲雀のクローゼットに収まり。
そして。
「恭弥、次はここのパーティ行かねーか?」
「会場の群れ、咬み殺してもいいならね」
「………さすがに、それは無理かな」
しばらくのあいだ、パーティで雲雀とワルツをまた踊りたいディーノは次々と招待状を持ち込み、雲雀にうっとうしがられたのだった。