チョコレート工場の秘密 2月10日

 テーブルの上に広げた品物を睨みつけて、雲雀は悩んでいた。

 初めてのバレンタインデーに、ディーノにお菓子を作って贈りたいと思うものの、雲雀はお菓子どころか料理さえ、したことがない。勢い込んでレシピや材料を買って来てはみたものの、人に食べさせられるようなものが作れるとは、とても思えなかった。

 やっぱり、買ったものにしようか。雲雀があげるバレンタインチョコなら、ディーノはそれがチロルチョコだったとしても、世界でたった一粒のトリュフチョコより喜ぶことは想像がついた。

 だが、雲雀は偽りようもなくディーノが好きだった。たとえ、本人に直接言ったことが、一度もなくても。だから、ディーノにバレンタインであげるのなら、自分で作りたかった。

 しばらく迷った末に、意を決して雲雀はレシピを広げる。どれだけ不器用でも簡単に作れると謳っているレシピ本なのだから、雲雀が美味しく作れるお菓子だって、載っているはずだ。

 いくつかの作り方を読んでみて、なんとか作れそうだと感じたブラウニーに挑戦することにする。

 雲雀は真剣な表情で、チョコレートを刻み始めた。




「委員長。なにか、甘い匂いがしませんか?」

 草壁の言葉で、雲雀はどきっとした。

 練習を始めて4日目。昨夜も遅くまでブラウニーを焼いていたので、雲雀にはすっかりチョコレートとバターの匂いが染み付いていた。

「どんな匂い?」

 素知らぬ顔で振り返ると、草壁がなんて答えるのか待つ。草壁は少し考えて、言った。

「……焦げたケーキのような匂い、ですね」

「…っ!」

 実際に昨夜、時間配分を間違えて焦がしてしまった雲雀は、なんで草壁がそこまでわかるのかと息を飲んだ。もしかしたら、自宅の台所は草壁に握られてでもいるのだろうか。

 単に、学ランにすっかりケーキの匂いが染みこんでいることに、雲雀が気付いていないだけなのだが。

 匂いだけでなく、指先はチョコレートを刻む時に作った切り傷だらけで、でも絆創膏を貼ればその半端ない数が一目でわかってしまうから、やせ我慢してそのままにしている。

 いくら草壁でも、ディーノのためにやったこともないお菓子作りをはじめたなど、知られたくない。雲雀はそう思って内心慌てたが、これだけ揃えば見る人が見れば即わかってしまうことでも、中学生男子にわかるはずもなかった。

「おそらく、自作の焼き菓子でも持ち込んでいる女子生徒がいるのでしょう。バレンタインが近いですから、友人グループで試作品を持ち寄っているようです。抜き打ちで所持品検査をしますか?」

 続いた草壁の言葉で、どうやら自分から匂っているとバレずに済んだらしいと、雲雀はほっとした。だが今度は、これまでバレンタインデーに無関心だったせいで、すこしも思い至らなかったことがあったと気付く。

 そう、バレンタインにチョコレートを贈ろうと考えるのは、自分だけではない。なら、これだけ頻繁に学校に出入りしているディーノに、チョコレートを渡そうとする女子生徒が、いるかもしれない。

 わざわざ自分が、毎晩遅くまで練習して作ったお菓子を渡すのだ。ディーノがそれ以外のチョコレートを受け取るなんて、許せない。

 どうしたらいいかと考えて、とっさに、草壁が口にした『所持品検査』にヒントを得て、風紀委員でなくてはできない策をひらめく。

「別にいいよ。バレンタインなんでしょ? 放っておいて、当日、油断して持ち込んだところを一斉検査で没収する方が、おもしろそうだ」

「なるほど。では、風紀委員全員に、そのように通達しておきます」

 うなずいた草壁は、通達事項としてノートに書きとめた。これで、バレンタイン当日は、校内からひとつ残らずチョコレートが消える。そうすれば、応接室にディーノが来ても、通りすがりの女子生徒にチョコレートをもらうことはない。

 これでよし、と満足げに息巻いた雲雀は、いまの会話で感じた苛立ちを解消するべく、トンファーを握って応接室を出た。ストレス解消には、群れを狩ることがいちばんだ。




 夜。

 雲雀はデジタル秤を真剣に睨みながら、バターの分量を量る。これまでの失敗で、材料を正確に量らなければいけないことと、作業は丁寧にしなくてはいけないことを学んだ。

 普段なら、こんなちまちましていらいらする作業は、頼まれてもやらない。けれど、今回ばかりは、これをやりきらないことには、どうしようもないのだ。雲雀はすぐ横にある卵を壁に投げつけて憂さ晴らししたい衝動を必死に我慢して、量ったバターを秤から下ろした。

 冷蔵庫から出してだいぶ経ったバターは、すっかり柔らかくなっている。ボウルにバターと砂糖を入れて、よく混ぜ合わせると、溶かしたチョコレートを流し込んだ。

 今日は、順調に進んでいる。気をよくした雲雀は、そろそろ暗記しかけている手順どおりに、卵を加え、小麦粉をふるい、クルミを混ぜて型に流し込む。

 電子レンジをオーブンモードにして型を入れると、あとは焼けるまでに器具の片づけだ。

 手際はだんだんよくなっているのに、味はちっともよくならない。その辺のスーパーで買えるような、ありふれたメーカーの材料なのが悪いのだろうか。それとも、レシピが簡単すぎて、それほど美味しくならないようになっているのだろうか。まあ、根本的に雲雀がヘタなせいということは、充分考えられるのだけれど。経験がない雲雀には、その辺りの判断がつかない。

 明日は、ちょっと足を伸ばして隣町の高級スーパーに行ってみようと思う。もしかしたら、ちょっとだけでも、美味しくなるかもしれない。

 漂い始めたブラウニーの匂いを嗅ぎながら、雲雀は黙々と器具を洗った。


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