その日、応接室を訪れたディーノは、珍しくビジネスモードの顔をしていた。風紀委員の日誌を確認していた雲雀は、ぱたんと閉じてディーノに向き直る。
「頼みがあるんだ」
「内容によるよ」
打てば響く一筋縄ではいかない返答。ディーノは一通の招待状を雲雀の前に置いた。
「今夜、どうしても外せないパーティがある。そこに、一緒に出席して欲しい」
「理由は?」
「招待状がパートナー同伴なんだ。表の方の女性社員を誰か連れて行くって手もあるけど、恭弥以外に連れて行きてー女なんかいねーし」
「ふぅん?」
まっすぐに雲雀を見るディーノを、試すように見つめ返して、雲雀は少しの間ディーノの反応を見ていた。
無論、ディーノとて、ビジネスの場ではハッタリひとつで窮地を切り抜けることも、珍しくない。誘うような雲雀の目線に、息を飲んで耐える。
やがて。
「嘘のリクエストに応えられるほど、僕も暇じゃない。あなたの会社の女性を連れて行ったら」
ぷい、と雲雀はそっぽを向く。ディーノはぎくりとして雲雀の表情を窺った。駆け引きなどではなく、本気で、雲雀はディーノの頼みを断るつもりらしい。
「恭弥」
「僕はキャバッローネじゃない。あなたの仕事の都合に付き合ってあげる必要を感じないし、嘘つきのあなたに付き合ってあげる義理もないよ」
「恭弥」
先ほどまでのビジネスモードはどこへやら、捨てられる大型犬のような目をするディーノ。雲雀はそんなディーノを「やっぱりラッシーみたいだ」と思ったが、そんな目でいつまでも居座られるのも確かに迷惑な話だった。
「本当のことをきちんと話してくれたら、考えてもいいよ」
仕方なく、雲雀はもう一度だけチャンスを与えた。
シックな深紫のドレスにラベンダー色のストールを羽織って、雲雀はディーノの隣にいた。もともと年齢よりも上に見られることは多かったが、それでも義務教育中の子供と思われないように、あえて大人びた装いをしている。
ディーノの添え物のようになっている自分に居心地の悪さを感じるのは今回に限ったことではないけれど、それとはまったく違う種類の不快を雲雀はずっと感じていた。
品定めするような視線と、好奇の視線。雲雀の顔を目に焼き付けようという凝視も感じる。どれにも、ねっとりとした悪意がたっぷりと篭っていた。
『表の方の女性社員を誰か連れて行くって手もあるけど』
昼間のディーノの言葉を思い出して、雲雀はふんっと鼻で息衝く。こんな悪意の渦巻くパーティに表の方の女子社員とは、よくも言えたものだ。こんなところで微笑める女性なんて、たとえば沢田の周囲から選ぶならば、ビアンキくらいのものだろう。
もちろん、雲雀はあらゆる視線も物ともせずに、ディーノに寄り添っていた。むしろ、パーティの雰囲気のあまりの黒さに、わくわくしてくる。もしもこれをすべて咬み殺したら、どんなにかスッとするだろう。
話に聞いていた以上に伏魔殿なパーティと、その前の昼の出来事とのギャップが激しすぎて、雲雀はディーノの陰でくくっと笑った。
ディーノの誘いを承諾してすぐに、雲雀は今日のドレスを買いに出かけた。荷物と支払いを持たせるために、ディーノも一緒だ。
「恭弥、これなんかどうだ?」
満面の笑顔でディーノが見立てたのは、ピンクのチュールのフリフリのドレス。雲雀は冷たく言い放った。
「却下」
「可愛いのに…」
ドレスをラックに戻しながら、ぶつぶつ言うディーノを無視して、雲雀は落ち着いた色合いのドレスの並ぶラックの前で立ち止まる。ディーノはまだ諦めがつかないのか、ふわふわのピンクやひらひらのスカーレットのミニ丈のドレスを眺めているが、そんなドレスを着る気はさらさらない。
ディーノの口を割らせて聞きだした話によれば、表の仕事の敵対グループが主催するパーティに、どうしても出席しなければならないのだが、出席者の中に曰く付の女性がいて、今後のことも考えると彼女に既成事実で負けを認めさせたい、ということなのだ。
最初からそのように説明をしなかったのは、雲雀は見せびらかされるのを嫌がるだろうと思ったからとディーノは言うが、本音としては、自分と昔関係のあった女性のことを雲雀に話したくなかったのだろう。
もちろん、雲雀はその話を聞いて、ばっちり不愉快になった。昔の女に見せびらかしたくて連れて行くとは、ずいぶんいい度胸ではないか。しかし、自分というものがありながら、ディーノが別の女性を同伴するのはそれ以上に不愉快だった。
ならば、残された道はただひとつ。ディーノの思惑に乗せられたようで業腹だが、完璧なドレスアップで件の女性を歯噛させるしかない。
「なあ、恭弥。もうちょっとこー…可愛い色のにしねーか? 紺とか黒とかって、制服みてーじゃねぇ?」
「いいんだよ、僕はもともと制服がいちばん好きなんだから」
「あ、じゃあ、こーゆーのとか」
かちゃかちゃとハンガーをかき分けて好みのものを探す雲雀に、ディーノは黒いロングドレスを選び出した。胸と背中が大きく開いて、踝まで届くスカートの部分は膝上数センチの辺りからシースルーになっている。
「死になよ」
トンファーは容赦なくディーノの腹にめり込んだ。
可愛い系もしくはセクシー系を譲らないディーノは、それからも雲雀のチョイスに異を唱え、ようやく深紫のオーガンジーのミモレドレスにパニエを使用すると決まったときには、ぎりぎりパーティに間に合うかどうかという時間になっていた。
「ディーノさん? こんばんは」
パーティ会場の人ごみの中、艶っぽい声がして振り向くと、なかなか派手な女性がディーノに近寄ってくるところだった。いかにも高級そうなエレガントスーツを着て、派手ではあるが美人の範疇に入るだろう。雲雀は咄嗟に、自分の装いが彼女に負けていないことを確認した。
深紫のドレスに、ラベンダー色のストール。足元はピンヒールのパンプスで、ジュエリーはダイヤモンド。さすがはディーノの揃えた一式だ。
装いさえ万全なら、どんな相手にも後れは取らない。雲雀は勝者の余裕を口元に浮かべる。
「トルド」
「久しぶりね。こちらのお嬢さんはどなた?」
ディーノにトルドと呼ばれたその女性は、一瞬不快そうに眉を顰めた。ディーノは気付かなかったようだったが、見逃す雲雀ではない。これがディーノの昔の女だと、直感でわかった。
「アッロドラはオレの婚約者だ。アッロドラ、この人は以前仕事で世話になった人で、トルドってんだ」
ディーノがトルドに告げたのは雲雀には耳慣れない単語で、もちろん雲雀の名前ではないけれど、雲雀はそこには触れずにトルドにお辞儀をした。ディーノが雲雀の本名を口にしなかったのは、雲雀の名前をトルドに教えたくなかったからだと見当はついている。打ち合わせはしていなかったが、アドリブに乗るだけの余裕が雲雀にはあった。
「ディーノさんにこんな素敵な婚約者がいらしたなんてね」
トルドの白々しい言葉にも、微笑んでディーノを見上げ、初々しい婚約者らしく振舞う。こうなったら、ディーノの希望通りにトルドをぎゃふんと言わせてみせるのだ。ディーノも、普段ならば決して見られない雲雀の表情にどぎまぎしながら、精一杯優しく微笑んで見せた。
「アッロドラはこういう場に慣れていないから、今日は相手になれないが、また日本で世話になることがあれば、そのときにはよろしく頼む」
「ええ、もちろん。どうぞごゆっくり、楽しんでいらして」
トルドは主催者側の人間なのだろう。ディーノの言葉に頷くと、雲雀にも笑顔を向けながらその場を離れていった。
「あなた、女の趣味おかしいんじゃない?」
トルドが充分離れた頃合に、トルドが小細工なしに離れていったことを目で追って確認していたディーノに向かって、雲雀はぽそりとつぶやいた。途端に、ディーノがオーバーリアクションで雲雀を振り返る。
「きょ…っ、恭弥! 誰からそれをっ」
「今のあなたの反応で充分だよ」
ロマーリオあたりがばらしたのかと慌てたディーノに、雲雀はあっさりと答える。雲雀の鎌にかかってしまったのだとわかって、ディーノは落胆のため息をついた。
「ひとつ言っておくけど、惚れてたわけじゃねーぞ」
「だからなに? 僕が不愉快なのに変わりはないよ」
ディーノの弁解にも、雲雀はつんとそっぽを向く。まいったな、とディーノは頭を掻く。
「ほんとに、トルドとは行きずりみたいなもんだったんだ。オレは仕事としか考えてなかったし、大して経たないうちに恭弥に惚れたから、すっぱり切ったし」
「ワオ。関係あったのは認めるんだ」
「けど、意味は何もなかったんだぜ。これだけは、神にかけて本当だ。切るときに、自分は本気だって言われたけど、オレはそんな気さらさらなくて。だから、今日のパーティで顔を合わせるってわかって、オレの本命は恭弥だって見せつけときたかったんだ」
「ああ、そういえば、そんなこと言ってたね」
「だろ。だいたい、トルドの本名だって、知らないんだぜ? どうにもなりようがねーだろ」
「ふぅん。名前も知らないのに、仕事相手だったの」
「仕方ねーだろ。もともと知られてんのは顔と〝トルド〟ってコードネームだけっつー女なんだ」
「あなた、それ自分で言ってて、おかしいと思わないの?」
雲雀の機嫌を取ろうとディーノが話す内容に、ふと雲雀は違和感を覚えてディーノを見上げた。
表の…つまり、堅気の仕事の相手なのに、本名も明かさずに仕事をしている。一般常識では、ちょっと信じられないことだった。
「おかしい、って、どの辺だ? 何かおかしいか?」
「おかしいよ。あなたたちマフィアの常識は、僕は知らないけど、少なくとも世間一般じゃ、コードネームを当たり前のようには使わないね。仕事ならなおさらだよ。あなた、今日のパーティは表の仕事絡みだって言ってたけど、本当にそうなの?」
思いもよらない指摘に面食らって、きょとんとするディーノに、雲雀は声を潜めて問い詰める。ここまで言われて初めて、ディーノは自分がコードネームだけでも取引をする裏社会の常識に、囚われていたことに気付いた。
「なら、トルドはいったい…?」
「知らないけど。少なくとも、裏の相手に対してするのと、同じくらいの警戒をした方がいい相手、ってことじゃない?」
そんなことも今まで気付かずにいたのかと、雲雀は呆れ顔で忠告する。茫然としていたディーノは、はっと我に返ると、一緒に来ていたはずのロマーリオを探した。ロマーリオは数名の部下たちとともに、会場入りしてすぐに、会場内のチェックの為に別行動をしている。
「ロマーリオ」
「ボス」
タイミングよく戻ってきたロマーリオの表情は、いつになく険しいものだった。
「ヤバいぜ、この会場。ピストーラ持ってる奴が何人もいる。ハメられたかもしんねー」
「なんだって!? 事前調査じゃ、裏とは繋がりのない会社だっただろう?」
「ああ。だけど、調査の対象にしたのは、イタリアの親会社だけだ。日本の系列会社まではやってねー。今、急いでイワンに調べさせてるが、このパーティが連中の罠なんだとしたら、間に合うかどうか……」
「…チッ、恭弥の言ったとおりだったってことか」
苦い顔で舌打ちするディーノの言葉を聞きつけたロマーリオが、怪訝そうな顔をする。ディーノは雲雀に指摘されたことを手短に説明した。
「なんてこった。オレらが気付いてなかったことを、まさか恭弥に指摘されるなんてな」
悔しそうに頭を抱えたロマーリオに、ディーノは誇らしげに付け加える。
「なにしろ、家庭教師が良かったからな」
雲雀に言われるまで、自分だって微塵も気付いていなかったことを、都合よく忘れている。
横でずっとディーノとロマーリオの会話を聞いていた雲雀は、そんなディーノに醒めた目を向けた。
「そもそも、あなたが意味もなくあんな女に手を付けなければ、こんなことにはならなかったんだよ。家庭教師とか言って偉そうにする前に、自分の下半身をもっと調教しとくんだね、種馬」
ドレスアップしていても、雲雀は容赦がなかった。
表のパーティとばかり考えていたので、今夜ディーノが連れてきている部下は、ほんの数人。表と裏の両方に関わっている部下ばかりなので、遠慮はいらないが、万が一、会場全体を相手にするなら、数的不利は明白だ。
「とりあえず、状況を整理しよう。対応を決めなきゃなんねー」
ディーノの言葉に頷いたロマーリオは、部下たちに散開の指示を出した。入り口付近や、会場内の様子を掴み易いところなどの要所要所で、警戒に当たるのだ。ロマーリオ自身は、ディーノとの打ち合わせの為に、この場に留まる。
「パーティの主催者は、オレらの表の方と敵対してるグループで、裏社会との繋がりは一切ないキレイなグループだ。だが、今日のこの場を取り仕切ってるのは、日本にある系列会社で、形式上、独立した法人格になっている。この日本法人の方は、調査してねーから、裏と繋がってる可能性は否定しきれねー。ここまではいいか?」
ディーノの言葉に頷く、雲雀とロマーリオ。
「そして、会場内に銃を所持した人間が、確認できただけで5人いる。こいつらが、主催と関係あるかどうか。関係あるんなら、パーティ自体が罠で、オレらが無事にここを出られるとは思えねー。そして、その可能性は、これまた否定できねー」
これにも、ロマーリオは頷いた。しかし、雲雀は眉を寄せて、考え込む。
「ねえ。銃を持った人間が会場内にいることと、パーティ自体を繋げて考えるのが妥当とは、考えにくいんだけど」
「どういうことだ?」
「確かに、主催側の日本法人の潔白は確認されてない。だけど、日本は基本的に、銃に対して厳しい国だからね。曲がりなりにもきちんと登記されてる法人が、自分たちの主催するパーティで、発砲沙汰をするはずがないんだよ」
「だが、恭弥。実際に、ピストーラを持った奴が、会場内に少なくとも5人はいる。入場の際のボディチェックはなかったが、主催側が絡まずに、そんな奴らが入れるものか?」
ロマーリオは、武器を持った男たちを、自分で確認している。人数も、どの程度の火器を持っているかも、概で把握していた。だからこそ、パーティを罠だと認識している。雲雀の〝主催者=無関係説〟は、俄には納得し難かった。
しかし。
「ボディチェックがなければ、充分入れるよ。現に、あなたたちだって、入ってるじゃない。ただ、もちろんのことだけど、主謀者がいなくちゃいけない。招待状のチェックはあるからね。主謀者が、自分の招待状で、連れて入ったんだ」
雲雀の結論は、明解で、隙がない。裏社会の人間とは違う切り口からの考え方は、この場にいる人間の中で、雲雀にしかできないものだった。
「この会場内で、簡単に銃を手に入れて、堂々と街を歩けるのは、キャバッローネの他なら、誰だろう? そして、狙いは? 銃を持った人間が会場内にいるのは確かに不穏だけど、奴らの目的があなただという確証はないよね」