巨大なボンゴレの城のサロン。昼間ということと、親睦会ということで、会議というよりはパーティのような雰囲気のその部屋には、同盟に名を連ねるファミリーのボスたちが、それぞれの片腕を連れて、集っていた。
最上席には、ようやく人前に出られるほどに回復した、ボンゴレ9代目の姿もある。元気そうな9代目の様子に、ディーノはほっと息をついた。
「しかし、先だってのボンゴレの継承者決定戦は、壮絶なものだったそうですな」
「しかも、それを制したのは、14歳の少年だというではないですか」
「いや、14歳にしてそれほどの力量を持っているとは、これでボンゴレ、ひいては同盟も、安泰というものです」
酒や煙草を手にして世間話を交わす様は、マフィアの会合とはとても思えないほどのどかだ。それを聞くとはなしに聞いているディーノにも、世間話の矛先はやってくる。
「そう言えば、ドン・キャバッローネも、御活躍だったそうですな」
「早いうちから今回10代目と決まった少年の素質を見抜いて、継承者決定戦の激化を予想し、公平な立場での支援をなさったとか」
「ボンゴレ9代目のお命を救ったとも聞きましたぞ」
半分くらいしか正しくない噂も、結果的に公平になっただけで、実は最初から全面的に綱吉に肩入れしていたことを隠せるのなら、どんと来いというものだ。ディーノは薄い微笑を浮かべて、賛辞に頭を下げた。
「キャバッローネ・ファミリーがこれほどボンゴレへの忠誠に篤いとなれば、あとは早く妻を娶り、後継者を育てていってほしいものですな」
「そうです、そうです。ドン・キャバッローネには是非、次代の育成も重要な同盟への貢献ということを、御理解いただきたいですな」
来た、とディーノは身構える。ディーノに嫁をと言い出しているボスたちは皆、自分の娘やファミリーの幹部の娘を娶らせようとして言っていることは、ディーノにはわかっている。次代のドン・ボンゴレと懇意のディーノと、誼みを築きたいのだという下心は、とっくに見え見えだった。
だが、ディーノはそのどれにも、うなずくことはできない。
「そういえば、ドン・キャバッローネには、意中のお方をお連れいただけるよう、お願いしていましたな」
「おお、そうでした。ドン・キャバッローネのお気持ちを無視して、縁談というわけにもいかなかろうということでしたな」
同盟の老人たちが、今日の本題と言っても過言ではない話題を提起する。最上席のボンゴレ9代目が、心配そうな目を向けていることに、ディーノは気付いた。9代目がディーノの意に沿わない結婚を憂いていることは、ディーノには大きな助けだった。
「見たところ、女性をお連れではないようですが。いかがです、ドン・キャバッローネ」
そう話が回ってきたところで、ディーノはおもむろに席を立った。ボンゴレ9代目の隣まで進み出ると、9代目は優しい眼差しでディーノを見上げる。その足元に、ディーノは勢いよく膝をついた。
「9代目にお願いがあります。10代目の雲の守護者を、オレにください!!」
ざわっとサロン中にどよめきが走る。ロマーリオは覚悟をしていたのか、突然のディーノの行動にも驚くことなく、即座にディーノの右後ろに同じように膝をついた。
「非常識なことを申し上げている自覚はあります。でも、オレは恭弥以外の女を妻にすることは、キャバッローネの名と誇りにかけて、出来ません! もしもこの願いをお聞き届けいただけないのなら、キャバッローネをオレの代で終わりにすることも、辞さない覚悟です」
ディーノはそこまで言い切ると、床に額を摩りつけた。
「お願いします! 恭弥をオレにください…!!」
あまりのディーノの真剣さに、出席していたボスたちは言葉を失い、ただただ成り行きを見守る。前代未聞の直訴は、しんと静まり返ったサロンに、痛いほど響いた。
「……ディーノや」
土下座したまま身じろぎしないディーノに、9代目が呼びかけたのは、どれほど時間が過ぎてからだろうか。とても優しい声に、ディーノは思わず顔を上げる。
「私は、ディーノが本気で愛している女性なら、それが誰であっても反対はしないよ。雲雀恭弥という子のことは、リボーンからもたくさん聞いている。凛々しいいい子だそうだね」
「9代目」
「お前が決めた相手だ。望みのままに、連れて行きなさい。ただし、綱吉君の了解は、得るんだよ」
見上げた先には、慈愛に満ちた9代目の目があった。
「ありがとうございます!!」
再び平伏したディーノの目には、涙が光っていた。
DVDの映像が終わって、初期画面に切り替わる。雲雀は驚いた表情のまま、液晶を凝視していた。己の浅はかさを、見せ付けられた思いだった。一度でもディーノの気持ちを信じきらなかった自分が、いたたまれなかった。
聞こえてくるイタリア語をすべて通訳した獄寺は、嗄れた喉を水で潤しながら、未だ自分の訳した内容を信じきれない思いでいた。それは山本も草壁も同じだったようで、茫然と雲雀とDVDプレーヤーを見つめている。その中でただひとり、綱吉だけが、嬉しそうな微笑を浮かべていた。
ディーノが、綱吉が思ったとおりの人だったこと。綱吉の信頼を、裏切らなかったこと。雲雀を愛していること。どれもが、綱吉にはたまらなく嬉しかった。
つと雲雀がソファから立ち上がり、綱吉の前まで歩み出た。膝を折り、床に手をつく。
「僕は別に、君の配下になったつもりはない。でも、どうやら僕は、君の許可を得なくてはいけない側面を、持ってしまったようだ。だから、このとおりだ。僕をあの人のところへ、行かせてくれ」
「ヒバリさんっ!?」
「頼む。僕には、君に頭を下げるしか、あの人の誠意にこたえる術がない」
そう言って、雲雀は深々と頭を下げた。綱吉はうろたえて、雲雀に手を伸ばす。
「頭を上げてください、ヒバリさん。オレは、ヒバリさんさえ嫌じゃないのなら、喜んでうなずきます。だから、そんなこと、しないでください」
冷やしては身体に障ります、と言われて、雲雀は顔を上げると促されるままにソファに上がった。
「土下座なんて、ヒバリさんには似合いませんよ」
「でも、約束したからね。君には僕が頭を下げるって」
うっすらと微笑んだ雲雀の表情には、綱吉に反対されなかったことへの安堵があった。なんだかんだ言って、雲雀は本気でディーノを愛しているのだと、綱吉はそれだけで実感できた。
「オレは、ボス振って偉そうにするつもりなんてないです。でも、オレがうなずくことでヒバリさんが幸せになれるなら、オレはいつだって何度だって、うなずきます」
綱吉の言葉を嬉しそうに目を閉じて聞いた雲雀の眦から、涙が一滴零れ落ちた。
「恭弥!!」
そこへ飛び込んできたのは、ディーノその人。息せき切って雲雀に駆け寄ったディーノは、驚く面々に構わず、雲雀を高々と抱き上げた。
「オレの子、できたって!? ホントか!?」
「ちょっと! 力、強すぎるよ」
ぎゅうっと抱きしめるディーノに慌てて、雲雀はディーノを宥める。
「そんなにお腹圧迫しないで。まだ不安定なんだから」
「あ、悪ぃ」
急いで腕の力を緩めたディーノは、雲雀を抱えたままソファに腰を下ろす。ディーノに解放されることなく、その膝に座ることになった雲雀は、気恥ずかしさで視線を彷徨わせた。
「ディーノさん、イタリアにいたんじゃなかったんですか?」
「9代目のOKもらって、すぐに飛行機に乗った」
綱吉の問いに、ディーノはあっさりと答える。では、いつの間にどうやって雲雀の懐胎を知ったのか。そんな周囲の疑問を、ディーノはたった一言で掃った。
「草壁。連絡グラッツェな」
「いえ。委員長のためにしたことですから」
控えめな草壁の答に、雲雀は草壁の忠義の深さを、改めて感じた。
「草壁。感謝する」
「もったいないです」
雲雀の言葉にも、草壁は低頭する。それはまさに、主君に仕える臣の姿だった。
「恭弥。順番が難しいことばっかりで、心配させちまって、悪かった。でも、もう心配はなにもねーから。だから、結婚しよう」
ディーノの腕にすっぽりと包まれて、雲雀はディーノの言葉を聞いていた。
『結婚しよう』。
それは雲雀がずっと待ち望んでいた、最後の一言。
「結婚しよう、恭弥。…返事は?」
「うん…、喜んで」
そして雲雀は、ディーノの首に腕を回して、愛しい存在にしがみついた。
「なあ、赤ん坊はどっちなんだ? バンビーノか、バンビーナか」
「まだわからないよ。気の早い人だね」
「名前考えねーとな。なんにしようか」
「男の子か女の子かもわからないのに、なに言ってるの」
「だって、生まれそうになっても決まってなかったら困るだろ」
「そうだけど、後何ヶ月あると思ってるの」
「わかんねーけど、待ちきれねー」
「しょうのないパパだね」
「あ、いいなその響き」
「そう?」
「うん、最高」
「じゃあよかったね、これから一生そう呼んでもらえるよ」
「恭弥、男の子にしよーぜ。男の子だったら嫁に行ったりしねーだろ」
「まだわからないんだから、無茶言わないでよ。どっちだっていいじゃない」
「よくねーよ。女の子だったら嫁にやらなきゃいけねーんだぞ。オレ、そうなったら、絶対泣いて嫌がる自信あるぜ」
「変な自信持たないでよ。ほんと、しょうのない人」
「おいコラ、そーいうのは家帰ってやれ」
ディーノの膝の上に乗ったままディーノに寄り添う雲雀と、その雲雀を抱きしめてキスの雨を降らせるディーノに、たまりかねた獄寺がつっこんだ。
どこを見たらいいかわからなくてうろたえている綱吉も、苦笑いして窓の外を眺めている山本も、ニヤニヤしながらふたりを見ていたシャマルも、さりげなく廊下に出ている草壁も、ドアのところで周囲を警戒しているロマーリオも、みんなそろって大きくうなずく。
しかし、すでに二人の世界に突入したディーノと雲雀には、獄寺の言葉は届いていなかった。
「なあ、草壁さん。ヒバリ、あんなんだけど、風紀の方って大丈夫なのか?」
「オレが代わるから問題ない」
「ロマーリオさん。ディーノさん、世界に入っちゃって帰ってこないけど、いいんですか?」
「ああなったボスは、もう手が付けられねーからな」
部下ふたりにも請け負われては、できることはなさそうだ。綱吉たちは困り果てた顔を見合わせて、そして。
「じゃ、オレたち帰るんでー」
「ディーノさん、ヒバリさん、お幸せに」
「跳ね馬、ちゃんとヒバリの手綱持っとけよ」
「お嬢、ちょっとでも体調おかしいと思ったら、いつでも保健室来いよ」
口々に言って、談話室を出ると、その扉を草壁とロマーリオが閉じた。
結局、収まるところに収まったのだと、綱吉はほっとして病院を後にした。