キャバッローネと取引のある、日本の商社の新年会。会場内は禁煙だから大丈夫だとディーノに説得されて、雲雀は仕方なくついて来ていた。
雲雀の纏う豪華な辻ヶ花の大振袖は、新年会らしく着飾った女性たちの中でもひときわ目立っている。妊娠3ヶ月の雲雀は着慣れない振袖に抵抗があったが、ディーノに是非にと頼まれて、しぶしぶ承諾した。
好意的とはお世辞にも言えない視線に曝されるのに疲れてしまった雲雀は、挨拶に来た取引先担当者に囲まれたディーノから早々に離れると、あまり人目につかない落ち着きスポットを探し出してそこに陣取る。
「悪いな、恭弥。なにか料理でも取ってこようか?」
様子を見に来たロマーリオがそう言ってくれたが、雲雀は首を振って訊ねた。
「それで、今回はなんで僕を連れてきたの?」
「……なんだ、気付いてたのか」
ロマーリオは意外そうな口振りだったが、雲雀は醒めた目で「当然」という仕草をする。
「でなきゃ、わざわざ、振袖着ろなんて言わないだろうし。もうここまで来ちゃったんだから、説明がないほうが腹が立つね」
ロマーリオは困ったようにぽりぽりと顎を掻き、ディーノと雲雀を見比べてうなずいた。
「まあ…、恭弥の言うのが正しいな。そんな難しい話じゃねーんだ。要は、今日の主催者が、自分の娘をボスに嫁がせたがってるんで、その話が出る前に婚約者がいるってことを見せて、見合いの話を回避したいってわけなんだよ」
「ふぅん。話が出た時に断ればいいんじゃないの?」
「そのあたりは上手く説明できるかわかんねーが…。つまり、正式に持ちかけられたものを断って、恥をかかせたとか、面子を潰したとかって話になっちゃ、困るんだ」
「なるほどね。ビジネスグループの代表も、楽じゃないってこと」
「そういうことだ。イタリアのほうじゃ、恭弥の話も広まり始めてて、最近はだいぶ減ってるんだけどな」
ディーノがボンゴレ本部で、ボンゴレの9代目に土下座したのは、先月のことだった。その様子は、同席していた他ファミリーのボスたちや、シャマルのように録画画像を入手した同業者たちの噂で、意外と知れ渡っている。
もっとも、並盛での権力が安泰なら言うことのない雲雀には、イタリアの噂など米粒ほどの関心もないことだった。
「で、あの人はなんでそれを僕に言わないの」
「言いにくかったんだろ。ボスは恭弥に余計な心配かけたくねーんだ。わかってやってくれよ」
「わからないとは言わないけど、説明なしでこの状態の僕に振袖着せただけで、咬み殺す理由としては充分だね」
会場の中央で中年男性数名に取り囲まれているディーノを、雲雀は不機嫌全開で睨みつけた。
ディーノを囲む中年男性はみんな、仕立てのよさそうなスーツを着ているので、彼らが取引先の重役なのだということは見当がつく。日本語が堪能なイタリア人の青年ということで、ずいぶんと好意を持たれているのだろう。
振袖のためにトンファーを置いてきたことが、無性に腹立たしい。なんとかして持ってきて、咬み殺したらよかった。
「ねえ、あなた」
不意に若い女性の声がして、雲雀とロマーリオはそちらを振り返った。
視線の先には、範囲を広げれば美人と言えないこともない女性が、友禅の振袖を着て立っていた。
「あなた、キャバッローネさんのお連れの方?」
柔らかく問いかける口調は、雲雀を咎めるものではない。しかし、紹介もなく声をかけるタイプの人間を、雲雀はあまり好きではなかった。紹介がなくても自分を不審がる者はいないという驕りが見えるような気がするのだ。
相手にしないと決めて、雲雀は振り向いた首を正面に戻す。背を向ける姿勢を取られて、女性は雲雀の前に回り込んだ。
「自己紹介もしないで、ごめんなさい。わたし、すみれといいます。今日の新年会を主催しているのは、わたしの父です。わたし、あなたとお話がしたいの」
「そう。僕はキミと話すことなんてないよ」
素っ気ない雲雀の言葉に、すみれは言葉を詰まらせる。黙ってしまったすみれを後目に、雲雀はその場から離れようと踵を返した。
気付くと、ロマーリオがいなくなっている。ディーノを呼びに行ったのだろう。自分も、ディーノに合流したほうがいいかもしれない。
ディーノの姿を探して会場内を見回すと、ディーノが駆け寄ってきた。その表情がやけに真剣で、雲雀はなにか起きたのだと直感した。
「恭弥、なにもなかったか?」
「なにもって、なに? 僕はなんともないけど」
慌しく雲雀の肩を掴んで、す、す、と手を移動させてその無事を確かめたディーノは、大きく安堵のため息をついた。
「すこし前に、イタリアの本部から連絡があった。昔から折り合いのよくねー組織が、恭弥の腹の子を狙って、殺し屋を雇ったそうだ。詳しい説明は省くが、そいつがこの会場に来てる」
「…ということは」
見上げる雲雀の視線を受け止めて、ディーノはうなずいた。
「奴らは、オレたちの子を、恭弥ごと暗殺する気だ」
ごくりと息を飲んだ雲雀が、戸惑いながら口を開く。
「暗殺って…」
なんでそんな話になったのかと、雲雀は視線で問いかけた。ディーノは顔をしかめて、苦い声で説明する。
「いま、キャバッローネ家はオレ1人だからな。オレになにかありゃ、ファミリーは総崩れだ。けど、腹の中の子が産まれれば、状況は大きく変わる。オレになにかあっても、赤ん坊をボスに立てて、恭弥が仕事を代行できるし、オレたちの子ならゴッドファーザーはツナだ。キャバッローネの基盤は桁違いに磐石になる。オレが敵ファミリーの人間なら、そうなってねーいまのうちに、まず子供を殺す」
たぶん、雲雀が敵ファミリーでもそうするだろう。子供を失って大きな精神的ダメージを受けているところに襲撃をかければ、正面から抗争を仕掛けるより数倍も勝率が高い。
状況を理解した雲雀は、強い意志を瞳に浮かべてディーノを見上げた。
「やだ。絶対させない」
幾重にも巻いた帯の下で日一日と育っている命を、雲雀は守るようにそっと押さえる。
まだ、男の子か女の子かさえわからないけれど、ディーノと雲雀の子なのだ。こんなところで失うなんて、あってたまるものか。
「ああ、オレだってさせねーよ。だから恭弥、いまから絶対にオレの側を離れるなよ」
まっすぐに雲雀を見つめるディーノの目は、雲雀と屋上で戦っていたときの目でも、綱吉たちと過ごしているときの目でも、部下に指示を出しているときの目でも、どれでもなかった。雲雀にはそれをどういう目と表現するのがよいのかわからなかったけれど、いまのディーノの目は妻と子を守ると決めた男性の目だった。
本能的に、この人と二人ならばなにも恐れる必要はないのだと、雲雀は理解した。
「わかった」
うなずいた雲雀の顔は、15歳の少女のものでも、風紀委員長のものでもなく、子を預かった妻のそれだった。
「あ…、あの? 殺す、って……?」
表情を凛然と引き締めたディーノと雲雀の変貌振りに、成り行きで一部始終を聴く破目になったすみれが困惑の声をかけた。
すみれの存在がまったく意識に上っていなかったディーノは、警戒するように鋭い視線を向ける。対照的に雲雀は、そういえばいたっけ、という目ですみれを見た。
「あ、ごめんなさい。その…、聞くつもりはなかったのだけど、なんていうか、わたし、動いて邪魔をしたらいけないと思ったら、聞こえないところまで退くこともできなくなってしまって……」
誰? と目顔で訊ねるディーノに、雲雀は唇の動きで主催者の娘だと教える。じゃあ彼女が見合いさせられかけた相手か、と思いながら、ディーノは改めてすみれに向き直る。
「せっかくのパーティに水を差すような話をして、悪かった。周囲に迷惑をかけるよーなことにはしねーから、ここだけの話にしてくれねーか」
「それは、できないことではありませんけれど……でも、暗殺って……」
「わからない人だね。僕を殺したい人間が、この会場内にいるってだけの話だよ。キミはそのことを他の人間に黙っていればいい、簡単だろ?」
いつまでもおろおろと途方に暮れるすみれに業を煮やした雲雀は、切り口上で押し被せるように念を押したが、すみれは萎縮するばかりで、なかなかうなずかなかった。
「ええと…、すみれさんっていったっけ?」
「はい」
困ったディーノが話しかけると、すみれは返事をしてディーノを見上げた。
「心配はいらねーし、無関係の一般人を巻き添えにするような下手は打たねー。あんたが黙っててくれれば、新年会はこのまま平和に終わるんだ。頼めるな?」
雲雀の体を守るように抱き寄せているディーノは、まっすぐにすみれの目を見た。明るくて力強いブラウンの瞳に見据えられて、すみれはうっすらと頬を染める。
「それでは、ひとつだけ教えてくださったら、誰にも話しません。よろしいでしょうか」
「話せるような内容なら」
すみれはいったいなにを知りたいのか、予測がつかないので、とにかくまずは聞くしかない。ディーノはポーカーフェイスですみれを促す。
「もしもわたしが、父の希望通りあなたと結婚することになっていたなら、わたしも命を狙われたのですか?」
「そうなっただろうな」
表情どころか眉ひとつ動かさずにディーノは即答した。すみれは、ディーノが有能な美青年というだけではないことを悟って、大きく深呼吸する。
心を決めて、すみれは口を開く。
「お連れの方、身重でいらっしゃるのでしょう? なにか手伝えることがあれば、協力させてください」
ディーノは困り顔で、雲雀は迷惑そうに、すみれを見た。だが、ディーノをただの出席者として考えて、主催者の娘という立場を貫くならば、すみれは自分の父が主催する新年会で死傷沙汰を起こすわけにいかない。
「主催者としてご出席の方を知らないわけに参りませんから、父とわたしの為に用意された、ご出席者のお名前とお顔をあらかじめ覚えておくためのファイルがあります。お役に立てると思うのですけれど」
暗殺者の炙り出しを効率的に行えそうな、主催者ならではの手札を見せて、すみれは微笑んだ。
会場の隣、関係者用控え室で、ディーノとロマーリオは、すみれが出してくれたアルバムをチェックしていた。もちろん、離れるなと言われた雲雀は、ディーノの隣に張り付くように座っている。
アルバムには、顔写真と、氏名や役職などが書かれているカードが並べて貼ってあり、出席者の顔とプロフィールの確認ができるように工夫してあった。
「本当なら、お客様にお見せすることはしないのですけれど、ご事情がご事情ですから、特別です。念のために申しますけど、公式資料を繋いで作ったものですから、プライバシーの侵害になるようなことにはなっていませんよ」
アルバムをめくるディーノとロマーリオに、すみれはそう言って、人数分の日本茶を淹れた。すこし席を外した後、アップルジュースのグラスを雲雀の湯飲みの隣に置いた。
妊娠中の雲雀に日本茶を出してよいかわからなかったので、念のために用意したのだろう。すみれが自分にそこまで気を使うと思っていなかった雲雀は、軽い驚きを持ってすみれを見た。
「…なにか?」
雲雀の視線に気付いたすみれが、雲雀を振り返る。その様子は、修練を積んだ旅館の女将のように行き届いていた。
「…なんでもない」
雲雀は視線をそらして、ぽつりと言う。しかし、雲雀の向かいの椅子に座ったすみれは、雲雀の言いかけたことがなにかを察して、淋しそうに微笑んだ。
「わたし、こんな顔でしょう? 男の人の関心なんて、惹けないんです。たまに仲良くなれても、お友達にしか見てもらえないの。一人娘だから、重役が納得するような人に、お婿さんに来てもらわなくちゃいけないのにね。だからせめて、顔以外のところで、ブスなお嫁さんでもいいかって思ってもらえるくらいのこと、しなくちゃって」
「ふぅん」
「わたしもあなたみたいに綺麗で可愛かったら、父もこんな強引なお見合いを考えたりなんて、しなかったと思うんですけど…。あなたには嫌な思いをさせてしまって、ごめんなさい」
深々と頭を下げるすみれを、雲雀は意外な顔でみつめた。縁談を、形さえ取らせずに壊した雲雀に、まさか謝るとは思っていなかった。
「いいよ、キミが謝るようなことじゃない。僕を引っ張り出さなきゃ、そういう事態を回避しきれない馬が、ヘタレなだけ」
「…馬?」
不思議そうなすみれに、雲雀はロマーリオと真剣な表情でアルバムを見ているディーノの左腕を取り、袖を捲り上げてキャバッローネのタトゥを見せた。
ディーノは雲雀に腕を取られても、構わずにロマーリオとイタリア語で話しながら、アルバムをめくっている。
「あなたは怖くないの?」
「見掛け倒しだからね」
ディーノの腕を戻した雲雀は、すみれの問いに肩をすくめて答えた。なぜ雲雀がそう思うのか、なんとなくわかったすみれは、くすりと笑みをこぼす。
雲雀がディーノを恐ろしいと思わないのは、ディーノが一度も雲雀を脅かしたことがないからだ。それはきっと、人を恐れない野生と同じ。そしてディーノは、これからも、雲雀を守り抜くのだろう。
雲雀が先ほどディーノの腕を取ったときにも、特に意識を向けることなくしたいままにさせていたのは、ディーノが無関心なのではなく、信頼と寛容によるものだと、すみれは気付いた。
唐突に、ロマーリオが慌しく部屋を出た。残ったディーノは、アルバムをじっと睨みつけている。
「どうしたの? 知った顔でも見つけた?」
雲雀の問いに、ディーノは厳しい表情のまま首を振ると、すみれにアルバムに挿んであった一枚のポラロイドを見せた。
「これ、今日のあんたの写真だよな?」
写っているのは、振袖の女性の後姿。帯の結び目を撮影したものだ。すみれはうなずいた。
「今日着付けていただいた先生は、初めてお願いする方だったので、帯の結びを見たくて、撮ってもらいました。わたしの帯、変ですか?」
「いや、むしろそれを聞きてーんだ。オレは着物は全然詳しくねーんだけど、ガラスの芯を使わなくても、帯が緩んだりしねーのか?」
「はい? ガラスの芯?」
「そう。よくわかんねーけど、崩れねーよーに入れたりとか」
「まさか、普通はそんなもの使いませんよ」
答えたすみればかりでなく、雲雀でさえ、いったいディーノはなにを言い出すのかという目を向ける。しかし、ディーノはこんな状況でふざけるような人間ではない。
「この人の帯に、ガラスが入っているの?」
「いや。恭弥の帯だ」