「ところで、ヒバリさん。車はディーノさんの側近が運転してるんですか?」
車寄せで雲雀の車を待っているとき、綱吉は世間話のように疑問を切り出した。なぜ急にそんなことを言うのかわからず、雲雀は不思議そうに綱吉を振り返る。
「いや。あの人の側近はみんな、ついて行っちゃうからね。僕も前は自分で運転してたから運転手はいなかったし、今回に合わせて専属を用意したよ」
「新しく雇ったんですか」
「部下の中から、運転技術で評価されてるのを抜擢したって言ってた。……まさか、キミ」
「可能性が否定できません。気をつけてください」
仕事のときのような硬い顔の綱吉に、雲雀もすっと表情を引き締める。
身重の雲雀の乗る車。それはすなわち、キャバッローネの跡継ぎになるかもしれない子供と、ボンゴレ・ファミリーの雲の守護者が乗る車。ボンゴレやその同盟ファミリーを敵対視する勢力にとっては、お誂え向きのターゲットだ。
ディーノの部下にそんな不届きな者がいるとは思いたくなかったが、最初からそのためにキャバッローネに入ったのであればありえることだった。
雲雀の車が駐車場から出てきた。雲雀と綱吉の前に停まると、運転席から降りてきた運転手が、後部座席のドアを開ける。
「沢田綱吉!!」
車に乗り込もうとした雲雀は、しかし、綱吉の名を呼んで警告を発すると、ばっと運転手に飛び掛った。
雲雀に呼ばれて振り返った綱吉が雲雀の運転手が銃を自分に向けているのを見て取るのと、周囲にいたボンゴレの部下たちが綱吉を取り囲んで守り、銃を抜いたのとはほぼ同時だった。
「ヒバリさん!」
運転手に組み付いた雲雀がどうなったかと、綱吉は雲雀の姿を探す。ボスの側近としてボスを守る存在である守護者は、末端の部下たちの壁に囲まれることはない。妊婦として前線を外れている雲雀がきちんと守られている確証がなくて、綱吉は焦った。
その雲雀は、部下たちが綱吉を守りに行ってぽっかりと空いた玄関前のスペースで、運転手と格闘をしていた。
銃を持つ手に手刀を打ち、銃を離させる。落ちた銃を蹴り飛ばし、拾えないようにすると、雲雀は投げ技を喰らわせようとした。しかし、体勢が悪く、投げを諦めることにする。運転手の右手を押さえたまま、左腕での肘撃ちを身を低くしてかわすと、その腕も掴んで運転手の背後にトンボを切り、両腕をひねり上げる。歴戦の雲雀にとっては、考えなくてもできる動きだ。
「確保した。このまま拘束して連行、背後関係を吐かせろ」
淡々とした雲雀の指示に、鮮やかな立ち回りに茫然としていた部下たちが慌てて動き始めた。警備の強化を指示しに行く者、銃を回収する者、獄寺に知らせに行く者などが入り乱れる。
「申し訳ありません。お怪我はありませんか」
「大丈夫。この男、連れて行って」
今日の玄関警備の責任者が雲雀に駆け寄ると、雲雀は動きを封じた運転手の腕を彼に渡した。
「この男、キャバッローネの末端だけど、この件はキャバッローネの意思ではない。遠慮なく調べてくれ。必要な情報は提供する」
「わかりました」
責任者はうなずき、運転手を引き立てる。暗殺者も含めてその場が部下の手に渡ったと、雲雀が息をついたそのとき、運転手の最後の抵抗である蹴りが雲雀の腹に入った。
寸前で腕でかばったものの、衝撃を避けられなかった雲雀は、横様に倒れて腹を抱える。痛みで声も出なかった。生ぬるい液体がさぁっと流れ出していく感覚がした。
「ヒバリさん!!」
綱吉が叫び、雲雀に駆け寄る。雲雀のスーツが、血で濡れていた。
「医者を呼んで! ここからいちばん近い部屋にベッド用意して、ヒバリさんを運んで! それと、ディーノさんに大至急連絡!」
綱吉の声がボンゴレ本部の玄関に響いた。
ふっと意識が浮上して目を開けると、見慣れない天井が目に入った。
「起きたか、恭弥」
ディーノの低い声がして横を向くと、ディーノが心配そうに覗き込んでいた。
「あなた、仕事は?」
「終わらせてきた」
「そう…」
つぶやきほどの雲雀の声に、ディーノは気遣うようにそっと答える。
「ここは? 家?」
「いや。ボンゴレ本部の客間だ。ツナが必要な設備全部用意してくれた。身体、どうだ? 痛むところはあるか?」
「ううん、大丈夫。……僕、どうしたの?」
目が覚めたばかりだからなのか、雲雀の思考はまだふわふわとしていてまとまらない。
「覚えてないのか」
「ボンゴレに来たのは覚えてる。沢田綱吉が狙われて……、赤ちゃん! ねえ、僕の赤ちゃんはどうなったの!?」
意識を失う前のことを一気に思い出して、雲雀は身体を起こそうとする。その肩を、思いのほか強い力でディーノがベッドに押さえつけた。
「起きるな、まだ絶対安静なんだから」
「安静? それじゃ」
「子供は無事だから。ちゃんと恭弥のお腹にいるから」
言い聞かされて、雲雀の体から力が抜ける。安心した雲雀の様子に、しかしディーノは苦い表情で雲雀を見下ろした。
「恭弥。そんなに子供のことが心配なのに、どうしてあんな無茶したんだ」
「どうしてって…」
「そんなに大事なら! いま恭弥がすることは、暗殺者を確保することじゃねーだろ!!」
怒鳴りつけたディーノに、雲雀は目を瞠った。こんなふうに怒鳴られたことは、これまで一度だってなかった。
「だけど、あのときは」
言いかけた雲雀の頬に、痺れるような衝撃が走る。ディーノに頬を打たれたのだと理解するのに、ずいぶんと時間がかかった。
「恭弥は、本当に、オレが恭弥と恭弥のお腹の子をどれだけ大事に思ってるか、わかってねーだろ。オレがどうしても抜けられない会議中に連絡受けて、どんな気持ちで会議終わらせてきたか、想像もできねーんだろ!」
怒鳴るディーノの目にぶわっと涙が浮かぶ。ぱたぱたと滴る涙を拭おうともせず、ディーノは叫んだ。
「オレのいねーところで! 恭弥も子供も、いっぺんになくすとこだったんだぞ!! そんなにオレを悲しませてーのかよ!」
ディーノが怒っていることは、その剣幕でよくわかった。それ以上に、雲雀を失うことを恐れていることも。
へなちょこだのなんだのと言われながら、しかしディーノはとても気高いボスだった。その気高い人にこんな恐怖を与えてしまったことに、雲雀はいまさらながら気付いた。気付いて、背筋がぞっとした。
僕は、なんてことをしてしまったのだろう。
泣けば許されるとは思っていないし、どちらかと言えば、叱られて泣くのは単なる自己憐憫でみっともないものだと思っていた。けれど、今回ばかりは、自分のしてしまったことの重大さが恐ろしくて、涙が溢れた。
雲雀のしたことが間違っていたわけではない。けれど、正しい選択肢は常に複数存在していて、いくつかある正しい行動の中から選ぶべきものを選べなかったという間違いを犯していた。
「ごめんなさい」
涙を止められないまま、雲雀はディーノを見上げた。
「あなたを苦しめた。ごめんなさい」
雲雀から目をそらして泣いていたディーノが、ゆっくりと雲雀に視線を戻す。その目をしっかりと見据えて、雲雀はもう一度謝った。
「もう、二度としない。僕のためばかりじゃなく、子供のためと、あなたのために」
うなずいて雲雀の言葉を受け止めたディーノは、手を伸ばして、雲雀の涙を優しく拭った。
「反省したなら、それでいい」
ようやく笑みを浮かべたディーノに、雲雀もほっとして微笑んだ。
綱吉が気にしていたファミリーと、雲雀の運転手に抜擢された男との繋がりが見つかって、綱吉暗殺未遂の件はあっさりと全貌を明らかにされ、怒りに燃える獄寺の手によって壊滅した。
雲雀は容態が安定するのを待ってキャバッローネの城に戻り、今度こそ平和な妊婦生活を送っている。
数ヵ月後に生まれる子が男の子か女の子か、一部でトトカルチョが実施されていることは、ディーノと雲雀には内緒の話。