久しぶりにボンゴレ本部に守護者が全員そろい、会議が行われた。
平穏な、いつも通りの午後。仰々しいことが好きではない綱吉は、美味しいコーヒーと街で人気のお菓子を用意して、まるでお茶会のように場を作っている。
その中で、独断行動が許されている雲雀やクロームまでもを召集するからには、よほど重大な内容の会議なのだろうと、守護者たちは身構えていた。
「…というわけで、ですね。クリスマスの前に、これらの案件を片付けてしまいたいと思います。みんな忙しいと思うけど、よろしくね」
どこが特別ということもなく、処理中と未処理の案件をすべて話し終え、そう締めくくった綱吉は、全員の視線が自分に集中していることに気付いて、問いかけるように座を見回した。
「10代目。本当にそれだけ、ですか？」
「そうだよ。…あれ、オレなにか話し忘れてるかな」
獄寺の問いかけにさらりと答えたものの、綱吉は手元の資料をばさばさと確認しはじめる。その様子では本当に今日の話題はもうないのだと、守護者たちは力を抜いた。
「全員召集って言うから、なにかと思ったぜ。…まあ、クリスマス目前にしてて大きな案件がねーってことは、いーことだけどな」
「さっさと片付けて、クリスマスの用意もはじめなきゃいけませんしね」
「おう！ クリスマスと言ったらチキンだ！ チキンの極限焼きだ！！」
「クリスマス、千種と犬も呼んでいいかな」
「バカ野郎！！ てめーら、その前に仕事だ仕事！！」
それまでの緊張の反動でがやがやとしゃべりはじめた守護者たちの中、1人だけ渡された書類を何度も読み返していた雲雀は、退出しようとしていた綱吉を捕まえて共に廊下に出た。
「今日の報告、僕は好きに解釈して、好きに動いていいわけ？」
「珍しい質問ですね。ヒバリさんは、いつも僕に確認なんかしないで、好きにしてるじゃないですか」
執務室に向かう綱吉にあわせて歩きながら、雲雀は綱吉の答えにムッとする。そのむくれた子供のような他愛のない表情に、くすくすと笑いながら、綱吉は言葉を続けた。
「ヒバリさんがどう考えているのかはわかりませんが、ボンゴレの認識と決定は、お渡しした書類通りです。さらに言うなら、文面通りに受け取っていただいて大丈夫ですよ」
「もうひとつ。3枚目の資料の件、あれは他に指令書がある？」
「いいえ。ですから、あの内容を正確に把握しているのは、オレの他には多分ヒバリさんだけです。ヒバリさんが担当してくれたら、すごく助かるんですけどね」
「僕が素直に引き受けると思うかい？」
「あれ、違うんですか？ 困ったな、オレも、そう何回もいろんな人に説明したい内容じゃないんですが」
「僕がやらなくても、内容に変更はない、ってこと」
「そうです」
立ち止まった雲雀に気付いて、綱吉も足を止め、振り返る。その視線を、まっすぐに繋いだ。
「僕は好きなようにしか動かないよ」
「ええ、そういう約束でリングを受け取っていただきました。同時に、マフィアの掟に例外がないことも、御承知ですね」
無言のまま、雲雀は綱吉を冷たく睨み続ける。構えることもなくその目を見つめ返す綱吉は、やがてふと笑みをこぼした。
「すみません。来客の時間になってしまいました。それじゃ、よろしくお願いします」
会釈をして、綱吉は執務室へ歩き出す。返事を聞く必要はないと暗に示しているその背中を、雲雀はじっと見送った。
会議資料３枚目。
このところ成長目覚しいチフラという企業を厄介な存在になる前に無力化するとだけ書かれている、見落としてしまいそうなほど小さな案件。
キャバッローネの絡む情報に敏い雲雀だからこそ、隠された詳細を読み取れた、簡素な記述。
『優先するべきはその完遂とし、遂行する過程でいかなる犠牲が発生しようと、本部は惜しまぬものである』
完遂するには、ディーノを抹殺することがいちばん確実な方法だった。
「哲。指令入ったから、いまやってる仕事、任せるよ」
個人的に構えているアジトで、雲雀は出迎えた草壁に書類一式を預けると、居間のソファに腰を下ろした。雲雀にコーヒーを渡した草壁は、預かった書類に目を通し、驚愕を浮かべて顔を上げた。
「恭さん。この指令、本当に受けたんですか」
「受けたよ」
「でも、この内容は…！」
「そうだね。だから、受けた」
何も書いていなくても、キャバッローネの活動に少し注意を払っていれば、その企業を潰すためにはキャバッローネの動きを止めなければならないことは、すぐにわかる。並盛にいた頃から雲雀とディーノの関わりを見てきた草壁には、にわかに納得できることではなかった。
しかし、雲雀はコーヒーを飲みながら、あっさりと答える。草壁の驚愕など、気にも留めない。
「哲。キミと親しいキャバッローネの誰かに、教えたりしないでね。マフィアの裏切り者は消されるのみだよ」
「それは大丈夫です。情報を漏らすなど、誓って、ありません。それよりも…」
言い募る草壁に、雲雀は穏やかな目を向けると、ゆっくりと首を振って草壁の言葉を封じる。
「あの人の命に関わるから、僕は受けた。彼の命を好きにしていいのは、僕だけ」
「では、本気で、ドン・キャバッローネを殺す、と…」
雲雀はふわりと微笑んで、それ以上答えなかった。
書類の山に埋もれて、ディーノは頭を抱えていた。どうしても、チフラの案件の判断に迷う。それを片付けなければ、他の書類に手を付けることができないのに。
「ボス。ようやく上がったぜ」
一冊の報告書を手にして、ロマーリオがやってきた。分厚いそれは、ディーノが少し前から欲しがっていた、チフラの調査報告書だった。
「面倒だったみてーだな。よく調べてくれた」
受け取ったディーノは急いで内容に目を通す。本来ならば、もっと前に読みたかったものだった。できれば、チフラ絡みの案件を抱えてしまう前に。けれど、いまから読んでも遅くはない。
ディーノが紙をめくる音が一定の間隔で響く。最後のページまで読んで、もう一度最初からザッと読み直し、ディーノは報告書を机に置いた。
「ロマーリオはもう読んだのか」
「ああ」
険しい表情のディーノに、ロマーリオも厳しい顔つきでうなずく。
「このままほっときゃ、チフラは早晩、ボンゴレの反感買うぜ。まだ、その兆候は掴めてねーけどな…。どーするつもりだ、ボス」
「どーするったって…。チフラは親父が死んだ頃に世話んなった、恩のある企業だぞ。あっさり『さようなら』なんて、できるはずねーだろ」
報告書で得た知識が新しいうちに、再度チフラとの契約稟議書を読み返す。稟議書だけではどうしてもひっかかってしまう部分にようやく納得が行ったが、了承できるかどうかはまた別の話だ。
「ボスだっていまのチフラのやり方がいいとは思ってねーんだろ？」
「世話んなった企業が、独力で持ち直すなら、それがいちばんいい。チフラはマフィア系の資本じゃねーからな。オレが向こうのやり方をどう思うかは問題にならねーよ」
「けどよ。ボンゴレに睨まれて、正攻法で攻められたら、打つ手はねーぞ。契約するんなら、せめて、いまのやり方変えさせるとか…」
「ただの取引契約で、そこまで口出せるわけねーだろーが。資本提携って話にでもなりゃ別だが、それはこっちだってできねーしな」
「それでチフラがボンゴレに睨まれたら、ボンゴレとボスの関係だって、どうなるかわかったもんじゃねーじゃねーか」
「オレだってツナを敵にしてーわけじゃねー。けど、チフラはボンゴレに喧嘩売ってもいねーだろ。そうなるかもって憶測だけじゃ、どーにもできねーよ」
はあ、と大きなため息とともにディーノは稟議書を投げ出すと、頭を抱えてデスクに肘をついた。
「ロマーリオだって知ってんだろ。親父が死んだとき、チフラの引退したじーさんがいなけりゃ、キャバッローネの表がどんなことになったか。代替わりしてるとは言ってもじーさんだってまだ存命だし、世話になった借りがあるのはこっちだ。正式な申し入れを向こうが納得する理由もなく断れるわけねーだろーが」
「ボス…」
ディーノの言うことももっともなのは、ロマーリオだってわかっていた。理不尽に取引を撥ねつけることも、恩知らずなこともできない。だから、チフラとの取引は避けられない。
結局、ディーノはチフラとの取引にうなずく以外の道がないのだった。
雲雀のデスクに、１枚、また１枚と、CDが増えていく。草壁やボンゴレから届くチフラの情報が記録されているディスクだ。
チフラを潰すにはキャバッローネとの繋がりを絶たなくてはならない。恩義というパイプで繋がっているキャバッローネは、力の続く限り支援するだろうから。そしてその恩義をもっとも重んじているディーノがキャバッローネを動かしている状況を変えなくては、キャバッローネはチフラから手を引かない。
この数日、雲雀は何度も資料を読み返した。だが、確実にという条件付けを満たすには、ディーノの意思を沈黙化すること…つまり殺害による排除がベストだという結論は変わらなかった。
考えろ、考えろ！ 本当にそれしか道がないのか。
ディーノを殺して自分も後を追うことなんて、いつでもできる。そんなものは道とは呼ばない。
この雲雀恭弥が、あえてボンゴレに留まり続けるからには、ディーノも綱吉も、何者にも傷つけさせはしないのだ。
それでも、どうしてもディーノが死ななくてはならなくなったら。
その命は自分が奪うのだ。
「恭さん。今夜こそは、寝てください」
声と共に読んでいた書類を手で隠されて、雲雀はようやく草壁がいることに気付いた。
時計は深夜２時。部下たちがすっかりいなくなったアジトには、冬の夜特有の忍び寄るような冷気が満ちていた。
「くしゅんっ！」
寒さに気付いた途端、くしゃみが出る。冷気をすっかり吸い込んだ服は氷のようにも思えて、身震いした。
ふわりと、厚いウールのストールが肩に乗る。雲雀が起きていることに気付いた草壁が持ってきてくれたのだった。自室のストーブで暖めたのか、ストールは冷え切った雲雀の身体を切りつけるように暖かい。
「寒いところで寝ずにいたら、悪い方向にしか考えられなくなります。今日はもう休んでください」
「哲。僕は、この任務から外されるわけにいかない」
「わかっています。ですが、一昨日から寝ていないでしょう」
「寝たら、僕はあの人を殺す瞬間の夢を見てしまう……」
「夢を見て目が覚めたら、ココアか何かお持ちしましょう」
この10年で、草壁は雲雀を宥めるのが格段に上手くなった。いまも暖かいストールと落ち着いた声に諭されて、雲雀はこくんとうなずいてしまう。
促されるままに立ち上がり、居住ゾーンにふらふらと足を向ける。草壁は照明を落としてセキュリティのスイッチを入れながらついてくる。
寝室の前で立ち止まった雲雀に、草壁は最後の助言をした。
「あのドンを殺すとき、恭さんがどんな顔をしているかで、あのドンの死に様が決まるのだと思います」
「知ってるよ。あの人を殺すとき、僕は誰よりも微笑わなくちゃいけない」
ストールをぎゅっと握り、視線を足元に落としたまま、雲雀は応える。
「差し出がましいことを言いました。……おやすみなさい、恭さん」
「おやすみ、哲」
隣の自室に戻る草壁の足音を聞きながら、雲雀は寝室のドアを開けた。
朝食の時間になっても食堂へこないディーノの様子を見に、ロマーリオはディーノの寝室まで足を運んだ。
「ボスー？」
ゴンゴンと殴りつけるようなノックをすると、携帯電話が鳴った。見れば、ディーノからだ。
「ボス？」
『ロマ。静かにしろ』
通話ボタンを押すと、聞き取るのがやっとなほどに潜めたディーノの声が聞こえた。
『入ってきていいから、音立てるな。いいな？』
ぷつっと通話が切れ、ロマーリオは首を傾げながらディーノの寝室のドアを開けた。
一般庶民の感覚からしたら、部屋の中央にベッドが置いてあるワンルームマンションかと思うほど広い、ディーノの寝室。設えてあるキングサイズのベッドの中央、積み上げた枕を背凭れにして上体を起こしているディーノは、唇に人差し指を当てて、ロマーリオに『静かに』と合図した。
足音を忍ばせてベッドの横に行くと、ディーノの隣にシャツ１枚の姿で雲雀が眠っていた。20代も半ばの雲雀がシャツ1枚の格好なのはかなり刺激的だが、ディーノもロマーリオもそれ以上に過激な姿があることを知っているので、シャツを着ているだけ穏便だという感想しか浮かばない。
ディーノの腰に腕を絡めて頬を寄せ、無防備にすぅすぅと寝息を立てている様子は、お気に入りのクマさんを抱いて眠る少女のようだ。
「いつの間に来たんだ？」
可能な限り声を潜めて訊ねると、ディーノも小さな声で夜中、と答えた。
「ほとんど明け方近い時間だったけどな。窓から入ってきた。起こしたくねーから、今日はここでこのまま仕事する」
普段は葉が落ちる音で目を覚ますほど眠りの浅い雲雀も、ディーノのベッドにいるときは比較的眠りが安定していた。できるだけしゃべらず、最低限の出入りに抑えれば、横で仕事をしても起こしてしまうことはないだろう。
うなずいたロマーリオは、どうしても今日中に処理しなければならないものだけ運んでくる、と言って部屋を出た。
ディーノがすっかり熟睡していた深夜と明け方の狭間の時間。窓の掛け金が外れる音で、ディーノは目を覚ました。
窓の外には警備がいる。それをこれだけ静かに突破できたということは、顔パスで通過した以外にありえない。考えられるのは、１人しかいなかった。
「恭弥。どうした、こんな夜更けに」
起き上がり、シャツを羽織ってベッドを出ると、窓を入ってすぐのところに立ったままの雲雀に歩み寄った。
「寒いだろ。コート着ないで来たのか」
うつろな顔つきの雲雀は、ディーノの声にも反応しない。バッグ一つ持たずに来た雲雀の、持ち物らしいものと言ったら、手の中のバイクのキーくらい。疲れが全身に滲んでいるのに、眠っていないことは顔を見れば一目でわかった。
「きょーおや」
歌うように名を呼んで、頬に手を添え、自分へ顔を向けさせる。悄然とした表情でされるがままにディーノを見上げる雲雀の様子から、眠っていないのは今晩だけのことではなさそうだと、ディーノは見当をつけた。
たぶん、何日か眠っていない。それも、精神的な理由で。
「どうした。まだ朝まで時間あるぞ。寝ようぜ」
訊いたって答えないとわかっているから、ここに来た訳も寝ていない訳も訊かず、ディーノは雲雀を抱き上げた。ベッドに戻り、雲雀の首からネクタイを抜き、シャツ１枚だけまで服をくつろげると、雲雀を抱え込んで布団に包まる。
「あ、恭弥冷てー。しょーがねーなぁ、もっとくっつけよ」
雲雀の冷え切った脚に自分の脚を絡めると、氷のような冷たさが伝わってくる。肩を引き寄せると、雲雀はディーノの身体に腕を回してきゅっと抱きついた。
「ん、それでよし。…おやすみ」
耳元でささやくときには、雲雀は電池が切れたようにことんと眠りに落ちていた。
朝になってディーノが目を覚ましても雲雀は起きず、しっかり抱きついている腕がたまらなく愛しくて、起こせなくて。
斯くして、ディーノはベッドから動けなくなってしまったのだった。
