低いところから足元を揺らすように響くエンジンの爆音を聞くともなしに聞きながら、雲雀は窓の外を眺めた。
国際線の航行高度は1万メートルを超えると記憶している。その高さから見下ろす地上は、闇の中に都市の灯がぽかりと見えて、宇宙の中の星雲のようだった。
日付は12月24日。世間はクリスマス・イヴと言って、浮かれている。けれど、雲雀が日本行きの飛行機に乗っているのは、仕事だった。
ディーノは今頃、イタリアでクリスマスパーティの真っ最中だろう。もっとも、そのパーティは仕事の付き合いで必要なものだから、特にどうだという気も起きない。ただ、冬の国際線の窓際席は凍えるように寒くて、らしくもなく独りが身に染みた。
草壁を連れて来たらよかったかもしれない。
ふと思ったが、草壁が隣にいたとしても、突然襲ってきたこの孤独感がなくなるわけではなかっただろう。だいたい、草壁は雲雀の代理で各方面のクリスマスパーティを梯子だ。
「まもなく当機は、東京国際空港に着陸いたします。本日の東京の天候は雪、気温は現在零度でございます…」
機内アナウンスが淡々と告げる内容を聞き流し、雲雀はふたたび窓の外に目を向ける。
飛行機の中で仕事の資料を読み込むつもりでいたのに、結局、トランジットも含めた半日近いフライトのあいだ中、ディーノのことばかり考えていた。無自覚のうちの自分の思考にまだ、雲雀本人は気付いていないけれど。
ぐんと身体にかかる負荷が大きくなり、飛行機が高度を落としているのだと気付く。暗闇の中、着陸の誘導灯が見えてきた。
日本とイタリアを行き来するようになってから愛用の、文字盤が2つある腕時計を見て、雲雀は目を細めた。ひとつは日本時間に合わせてある。もうひとつはイタリアの時間。いつもはなんとも思わない8時間の時差が、今日はとてつもなく遠く感じられた。
着陸した機体にボーディング・ブリッジが接続し、乗客たちが降り始める。雲雀は混雑を避けて、他の客がいなくなってから席を立った。
できるだけクリスマスの喧騒の中にいる時間を短くしようと思って、夜に着く便にしたのは、実は間違いだったのかもしれない。夜の飛行場はやけに風情があって、おまけに雪まで降っているものだから、入国ゲートを過ぎてもいないのに、カップルがそこここで立ち止まって窓の外を眺めていた。
いますぐに彼らを咬み殺したいと思うものの、トンファーはトランクの中だ。素手でも充分だったけれど、いまはディーノにもらったリングをしているので、止めておいたほうが賢明だろう。殴った衝撃でリングの石が割れてしまう可能性はある。
ディーノに感謝するんだね、と心の中で言い捨てて、雲雀はカップルの横を通り過ぎた。
自分の隣にいないくせに、見ず知らずのカップルを守るなんて、いったいどういう神経をしているんだろうと、雲雀は無茶苦茶な怒りをディーノに向ける。いまごろ、ディーノはクシャミをしているかもしれない。
入国審査を難なく抜け、トランクを受け取る。イタリアを発つときにはこんなものだと思っていたトランクの重みがやけに感じられて、雲雀は眉をひそめた。
時間はすっかり遅いけれど、この辺りでホテルを取るよりも、とにかく並盛まで行ってしまうほうが得策だろう。この雪の調子では、明日は交通機関が軒並み麻痺していてもおかしくなさそうだ。
まだ特急はあったっけ、と腕時計に目をやりながら、到着ロビーへ出る。ハードケースのトランクをよいせ、と勢いをつけて転がし、特急のホームへ向けて踏み出した、そのとき。
「恭弥」
聞きたいと思っていた声が、雲雀を呼び止めた。
驚いた雲雀が振り向いた先、到着ロビーのベンチから立ち上がったディーノが、微笑んでいた。
「来ちまった」
バツが悪そうな笑顔は、頭が真っ白になった雲雀にも、間違いなくディーノだとわかる笑顔。雲雀はトランクから手を離して、ディーノに向き直る。
「やっぱ、ダメだ。クリスマスには、恭弥がいねーと」
言い終わるかどうかのうちに、走り出した雲雀はディーノの広げた腕の中に飛び込む。
「メリー・クリスマス、恭弥」
ディーノのささやきに誘われて顔を上げると、降りてきたキスを雲雀は厳かに受け止めた。