「…リアちゃん。一緒に逃がしてあげられなくて、ごめんね。犯人に怪我人を解放させるためには、人質に抵抗力の弱い子供を残さないと、成功率が上がらなくて」
3人だけ残った店内で、綱吉はスクデーリアに詫びた。しかし、雲雀が残るならば自分も残ると決めていたスクデーリアは、首を振って答えた。
「いいんです、ドン・ボンゴレ。おじさんを病院に行かせてあげられて、本当によかった。わたしのことなら、ママとドン・ボンゴレと一緒なら平気だから、心配しないでください」
「そう…。ありがとう」
すまなさそうに微笑んだ綱吉は、ふと、しばらく口を開いていない雲雀が気になって、様子を窺った。綱吉が見つめていることに気付いた雲雀は、不思議そうに見つめ返す。
「なんだい?」
「…いえ。具合はいかがですか?」
「おかげさまで、これまでのところ、なんともないよ。心配はいらない」
実際のところは、重要な会話が始まったので、確実に集音マイクが会話を拾えるよう、口を開かずにいただけのことだ。店主が獄寺に連絡を取る頃には、ディーノが対応策を練り上げていることだろう。
だが、そんなこととは知らない綱吉は、雲雀が体調の悪さでしゃべっていないわけではないとわかって、ほっと息を吐く。
「そうですか、よかった。ヒバリさんになにかあったら、オレ、ディーノさんになんてお詫びしたらいいか、わかりません」
「キミが謝る必要はないよ。まだ手を打てない馬が不甲斐ないんだ、帰ったら覚えてろ」
「…?」
まるで、知っているのに助けに来ないディーノが悪いと言わんばかりの雲雀のセリフに、綱吉はわけがわからず首を傾げる。
そこへ、店主を外に出して警察と交渉してきた男が戻ってきた。
「おい。本当に、車と金、届くんだろうな?」
「はい。少し時間はかかってしまうと思いますけど、絶対に届きます。ですから、待っててください」
綱吉の微笑みに勢いを挫かれたように、男は言葉を詰まらせると、ぷいと背中を向けて離れたところに座り込んだ。
いまは自分たちをどうにかするつもりはないらしいと見て取った綱吉は、ほっと息を吐く。
「それじゃ、車とお金が来るまでは、時間が空くね」
退屈そうな雲雀のつぶやきを聞いて、綱吉はなにか話題をと考える。スクデーリアは、綱吉がなにを考えてるのかと問いかけるように見つめた。
「めったにない機会だし、こんなことでもないと聞けそうもないから、訊いてもいいかな?」
ひとりごちる綱吉に、雲雀とスクデーリアが、なにを言い出すのかという目を向ける。綱吉はにっこりと微笑むと、スクデーリアの方を向いた。
「…というわけで、リアちゃん」
「はい、ドン・ボンゴレ?」
「獄寺君のどこを好きになったのか、教えて?」
「……えぇっ!?」
驚いて真っ赤になったスクデーリアを、ゆっくりと振り向いて、雲雀も追い討ちをかける。
「そういえば、僕も聞いたことなかったな」
「ママまで!?」
「いいじゃない。僕もけっこう協力してるんだから、そのくらい教えて?」
満開のひまわりのような綱吉と、機嫌のいいチェシャ猫のような雲雀。この2人がこういう表情をしているときは、まず逃れられない。
観念したスクデーリアは、恥ずかしさを堪えて口を開く。
「え……えっと……」
「うん?」
「…………………………………………………………………………パパみたいなところ」
思わず、雲雀は綱吉を振り返って、「馬と彼、似てるかい?」と訊いてしまった。綱吉はふるふるっとしっかり首を振ってしまう。
「似てるよ。獄寺さんは、パパみたいにかっこよくて、パパみたいに強くて、パパみたいに大事にしてくれる。…でも、獄寺さんは、パパじゃないの。だから、大好き」
スクデーリアは、うっすらと頬を染めてはにかむ。本気で獄寺を好きなのだということはよく伝わってきて、雲雀も綱吉も優しく目を細めた。
ディーノの面影を獄寺に見つけているようでいて、獄寺は獄寺だと理解しているスクデーリアの言葉の真意がわかって、雲雀はスクデーリアがただの憧れで獄寺を慕っているのではないとあらためて実感する。それはつまり、獄寺がスクデーリアを大切にするのは、親や兄のような気持ちからではなく、スクデーリア個人を認めて、愛しんでいるからだと、スクデーリアが理解しているということだ。
残念だけど、僕たちの娘の心は、完全に、獄寺隼人のものになっちゃったみたいだよ。
雲雀は心の中で、この会話をスピーカーで聞いているはずのディーノに話しかける。口元には、幸せそうな微笑が浮かんでいた。
スピーカーの前で、ディーノと獄寺は撃沈していた。
もちろん、それぞれ別の意味でダメージを食らったわけだが、意外と傷が深いのはどちらも一緒だった。スクデーリアは、聞いているのが綱吉と雲雀だけだと思って言ったのだろうから、スクデーリアが解放されるまでには、立ち直っていなくてはいけないのだが。
やがて、ディーノよりは傷の浅い獄寺が、部屋の隅に控えている部下に、ガソリンを満タンに補充した車と小額紙幣で100万ユーロを用意するように指示を出す。それを耳にしたディーノは、何とか気を取り直して、電話を掛け始めた。
「跳ね馬。ヒバリに持たせてる通信機って、こっちから送信はできねーのか?」
ディーノの電話が終わる頃合を見計らって、獄寺が質問を投げかける。ディーノは通話を終えた携帯電話をしまいながら首を振った。
「バングルとしての外見を確保したら、機能が限定されちまってな。恭弥が持ってるのは、送信オンリーなんだ」
「っつーことは、10代目やヒバリとは、打ち合わせできねーってことか……」
獄寺は、地図やメモの散乱するテーブルを睨んで、考え込む。
「ひとつ報告だ。警察に話がついて、今後の犯人との交渉はぜんぶボンゴレが請け負うことで合意した。…まあ、要するに、警察は事実上手を引いたってことだな」
「どうせ、警察の面子を潰さねー限りって条件があるんだろ」
「だとしても、余計なちょっかいが入んねーのは、有難ぇだろ。ツナが犯人に『逃がす』って言った以上、とりあえず逃がすとこまではやりきらなきゃいけねーしな」
「わかってるって。つまりキモは、包囲してる警官隊に自作自演だってバレねーよーに、どーやって金と車の受渡しをして逃がすかってこったろ。…跳ね馬、ちょい耳貸せ」
ディーノに向かって手招きする獄寺に、ディーノは嫌そうな顔で近づく。
「なんだよ、あんまり近寄るなよな。オレにそこまで近づいていいのは、恭弥と子供たちだけだぜ」
ぶちぶちと文句を言いながら、獄寺に言われるままにテーブルの上に身を乗り出したディーノは、獄寺の説明を聞いて大きくうなずいた。
「ま、現状じゃそれがいちばん成功しそうな方法だな。それで行こーぜ」
「なぁ、おい。あんたの部下ってのは、まだ来ねーのかよ」
いらいらとその様子を気にしながら、男が綱吉を睨みつける。綱吉は平然とうなずいて、「なにしろ、100万ですからねぇ」と返事をした。
「ちぇっ。いつまで待てってんだよ…」
「もうちょっと、待ってみてください。きっと来ますから」
穏やかな綱吉の様子に、男は仕方なさそうにため息をつく。そして、ふと3人を眺めて訊ねた。
「なぁ、あんたたち、家族なのか? オレが最初にそのガキ拉致ったとき、ついて来ただろ?」
「家族!?」
「冗談!!」
間髪入れずに、綱吉が驚いて訊き返し、雲雀が気持ち悪そうに叫んだ。
「違うのか?」
あまりの反応の激しさに、自分も驚いた男がつぶやくと、けろりとしているスクデーリアがうなずいた。
「ママはわたしのママだけど、ドン・ボンゴレはわたしのゴッド・ファーザーよ。パパは今日はお仕事」
「強いて言うなら、ヒバリさんはオレの部下ですね」
「誰がキミの部下だって? キミが手のかかる馬の弟分だから、僕が面倒見てあげてるんでしょ」
「……ということらしいです。ところで、お名前をまだ伺ってませんでしたね」
「……。…タルパだ」
がしゃりと銃を投げ出して、タルパは床に座り込んだ。投げやりだが害意の消えたその様子に、どうやら時機が来たらしいと、綱吉は内心でほくそえむ。
「どうして、こんなことしたんです? したくてこんなことをしたわけではなさそうですが」
「オレだって、こんなことになるとは思ってなかったよ! 最初は、ただ金をひったくっただけだったんだから」
これを聞いた雲雀は、ただのひったくりにこんな目に遭わされることになったのかと、腹立たしげなため息をついた。どこでこんな大きな話になったことやら、タルパの運の悪さはたいしたものだ。
「金持ってそうなおばさんのカバンひったくったら、運悪く通りかかった警官に見られてて追いかけられて、どうにかして逃げ切りたくて、通りすがりのおっさんのカバンひったくったら、中に銃が入っててさ……。脅かしたらもう追いかけて来ねーかと思って、撃ってみたら、余計追っかけてきてよー…。どうしたら逃げられるかと思ってたら、あんたたちがいて、とっさにそこのガキの腕掴んで、この店に入ったんだよ。後は、あんたたちだって知ってるだろ。ほんと、それだけなんだよ。こんなことになるんだったら、ひったくりなんてしなかったよ」
半泣きの自供は、綱吉を呆れさせ、雲雀をさらに苛立たせた。アホのようなこの男の不運は、むしろ笑い話だ。スクデーリアがきょとんとタルパを見つめているのが、タルパの間抜け感をさらに増している。
「それなら、なんでひったくりなんてしたの?」
「子供の学校の、教材費や給食費が払えなくて……。オレが、先月、会社クビになったから、収入もなくて……」
スクデーリアの素直な疑問に、タルパは情けなさそうに答えた。家庭があるのにこの騒ぎじゃ、そりゃぁさぞかし困るだろうなぁと、綱吉は思う。
「なるほど? それで、なにかやって刑務所入っちゃえば、とりあえずの衣食住は確保できると思ったってわけ?」
「ヒバリさん、それは違うと思います…」
説得したり呆れたりツッコんだり、綱吉はそろそろ疲れてくる。獄寺君、早く来ないかなぁ…と綱吉が窓を振り向いたときだった。
ゴンゴン!
手荒いノックの音がして、入り口の前に人影が射す。警戒してふたたび銃に手を伸ばすタルパに、綱吉は部下だから開けてくれと告げた。
「10代目!! リア!! よかった、無事で…っ」
「恭弥!! リア!! 怪我はねーな? 大丈夫だなっ?」
ほっとした表情の獄寺とディーノが入ってきて、それぞれ愛しい存在をぎゅっと抱きしめる。誰も抱きついてくれない綱吉は、すこしやさぐれようかと思った。
ディーノがポケットからナイフを出すと、手際よく3人を縛っている紐を切る。
「待たせて悪かったな、恭弥。無事でよかった。…それと、リアと腹の子を守ってくれて、ありがとう」
「なに、たいしたことじゃないよ」
雲雀に手を貸して立ち上がらせたディーノは、ふっと微笑む雲雀を深く抱き込む。雲雀はすこし伸び上がって、ディーノの首に腕を回した。そして、どちらからともなくキスをする。
スクデーリアたちがいるのに雲雀がキスを嫌がらないのは、やはりそれなりに安心したからだろう。綱吉はふたりに背を向けるように獄寺たちに合図した。
「獄寺君、頼んでたお金と車は?」
「はい、金も車も、用意してあります」
綱吉の問いに、獄寺はうなずいて、持っているカバンをちょっと掲げて見せた。
「このカバンは、このあとの作戦用なんで、違うんですけどね。本部に用意した逃走用の車に、積んであります」
「ありがとう、獄寺君」
綱吉が礼を言う隣で、タルパが戸惑いがちに頭を下げた。
当初の打ち合わせをまったく忘れて、雲雀と二人の世界を作ってしまったディーノを頑張って無視しながら、獄寺が綱吉に今後の予定を説明する。
「跳ね馬が警察のコネを使って、奴らの面子を潰さねー限り、介入なしって約束を取り付けました。なんで、オレがこいつのフリをして、リアを人質にして逃げますんで、10代目はこいつにオレのフリをさせて、本部に戻ってください」
「獄寺君はどうするの?」
「すこし離れたところに、部下に車を用意させてます。オレはそこで車を乗り換えて、警察を撒きます。さっきもちらっと言いましたが、本部には別の車を用意してあるんで、10代目はその車でこいつを逃がしてください」
「この場の警察への対応は?」
「それは跳ね馬が引き受けるそうです。もともと跳ね馬のコネなんで、オレらはむしろ手を出さねーほうがいいでしょう」
「わかった」
「警察にしてみれば、犯人には逃げられたことになっちまいますが、人質が無事ってことで、差し引きゼロのはずです。こいつに追手はかからねーでしょう」
「段取りは?」
「まずはオレがリアと出ます。10代目は、オレの乗った車のエンジン音が聞こえなくなってから、出てきてください。もしかしたら、そのまえに警察が踏み込んでくるかもしれませんが、置き去りにされることで解放された人質のフリをすれば、問題ありません」
「ありがとう、獄寺君。それじゃ、気をつけて」
「まかせてください、10代目。…リア、できるな?」
「はい、獄寺さん」
獄寺はスクデーリアの手をもう一度、今度は緩く巻くだけのようにして縛ると、タルパの被っている帽子を借りて被り、コートを交換する。
「よし。それじゃ、行くぞ」
「はいっ」
獄寺の掛け声に、スクデーリアは頼もしくもきっぱりと返事をした。スクデーリアの度胸は、いつものことながら、感心する。
ダミーのカバンと銃を持ち、スクデーリアを盾にするように歩かせて、獄寺は店を出た。
作戦はそれなりに成功し、タルパはボンゴレ本部から車に乗って去って行った。その後、彼がどうなったのか、誰も興味を持たなかったので放置されているが、ある日ひょっこりと車が返ってきたので、とりあえず逮捕はされていないらしい。
雲雀は心配したディーノにしばらく休養させられて、すこし機嫌が悪くなり、ディーノは雲雀がベッドから抜け出さないように、枕元にへばりついている。
獄寺はどさくさにまぎれてディーノの矛先を逃れ、いつかスクデーリアが自分をパパみたいだと思わなくなる日がきたらいいなぁと思っているが、先は長そうだ。
そして、スクデーリアはあらためて綱吉とネックレスを買いに出かけ、ルビーの可憐なデザインのセットを買ってもらったのだった。