薄雲 02

 急ぎ足で廊下を進むディーノは、馴染んだドアをノックの返事も待たずに開けた。

 ボンゴレ本部の、綱吉の執務室。中にいるのは、獄寺と数名の部下だった。

「跳ね馬? なんでてめーがここに……」

「スモーキン・ボム。リアと恭弥とツナの件は、もう知ってるか?」

「…っ! おい、なんでてめーが知ってんだよ?」

 唐突な訪問に驚く獄寺に、ディーノは遠慮なくストレートど真ん中で切り出す。キャバッローネ・ファミリーがこの件を掴んでいると思っていなかった獄寺は、驚きを別の意味合いのものに変化させた。

 ボンゴレ10代目ボスの腹心の幹部と、同盟ファミリーのボス。どちらかが折れれば、主導権は相手ファミリーのものだ。互いに譲るまいとして、相手の質問に答えずに睨み合う。もっとも、獄寺の反応で、ディーノへの返答としては充分なのだが。

「言っとくが、10代目が巻き込まれている以上、この件はボンゴレが預かるぜ」

 獄寺の駄目押しで、折れたのはディーノだった。睨み合っているばかりでは埒が明かないのも事実だ。ディーノは自分の手札を獄寺に明かす。

「恭弥から、緊急通信が入ったんだ。現場の音声は、ぜんぶこっちで拾ってる。オレが知ってるのはそこからの情報だけだが、リアルタイムの音声だからな、情報の鮮度と信頼性は保証するぜ」

「リアルタイムの音声、だと?」

「ああ。オレの持ってる受信機と対の通信機を恭弥が持ってるんでな。恭弥がそのスイッチを入れたんで、オレも事件を知ることができた」

 ディーノは持っている小型のスピーカーを獄寺に見せる。タイミング悪く、会話の途切れているときのようで、スピーカーからはなにも聞こえてこないが、獄寺の気を引くには充分だった。

「…ちっ、仕方ねー。共同戦線ってことにしてやる」

 獄寺は部下に指示して、部屋の中央にテーブルを用意させた。その上に、現場周辺の地図やこれまでの資料などを広げていき、ディーノと共用できるように場を整える。

「跳ね馬。…これで、借りなしだからな」

 先日のスクデーリア誘拐事件でディーノに負い目を作ってしまった獄寺は、これで負い目はチャラだと啖呵を切る。

「あの件は、ツナと話がついてる。これはオレの借りでいいぜ」

 しかし、獄寺にそんなものを感じていなかったディーノは、それをさらりと受け流した挙句に、余裕たっぷりに獄寺への恩を認めた。

 だからこいつは嫌いだと、獄寺は苦々しげに煙草に火をつけると、部下に2人分のコーヒーを命じて口調を切り替えた。

「ボンゴレ本部…というか、オレが今回の件を把握したのは、発生の5分後。10代目の車を運転していた部下と、ヒバリの車を運転していた部下と、それぞれからオレ宛に電話が入った。部下の目撃情報によれば、銃を持った男がリアをすれ違い様に拉致、手近な店舗に入った。その直後、10代目と雲雀が後を追って中に入り、店舗の入り口に施錠、すべての窓にカーテンが下りた」

「その運転手は?」

「いまも現場に残って、外の様子を10分毎に報告させている。その定期報告の他に、なにかあればすぐに連絡するように言ってある」

「ボンゴレ本部の対応がどうなっているか、教えてくれ」

「10代目が巻き込まれているからな。オレとオレの直属だけで対応してる。ただし、守護者全員に、極秘の通達メールは送信済みだ。…キャバッローネはどうだ?」

「こっちも、身重の恭弥とリアの絡みだからな。知ってるのはオレと、ロマーリオを含めた数名の腹心だけってとこだ。あとはボンゴレの対応次第だと思って来た。…警察の包囲はずいぶん早かったみてーだが?」

「もともと、奴は警察に追われてたらしい。追っ手の警官が、人質を取って立て篭もったことを確認してすぐに、包囲隊が出動してる」

「出動している警察署はどこかわかるか?」

「ああ、これが出動隊の名簿だ」

「……この警察署なら、オレのコネが使える。手を回して、こっちに情報まわさせる」

「わかった。……それと、これだけは言っておかねーとな……」

 ぽんぽんとリズムよく状況確認が進むのは、どちらもとても有能だからこそのものだ。現場周辺の地図と資料を要所要所で参照しながらの獄寺の報告を聞きながら、ディーノの頭の中に概要が組み立てられていく。

 骨組みが出来上がって、次は肉付けのために具体的な状況の把握を…と考えていたディーノに、獄寺はふと居住まいを正して向き合った。自然、ディーノも佇まいを改めて顔を上げる。

「なんだ?」

「リアのことだ。10代目とヒバリは、リアをひとりで行かせねーために、自分からついて行ったらしいが、ボンゴレ・ファミリーがキャバッローネ・ファミリーの大事な総領娘を預かっておきながら、危険な目に遭わせてることには違いねー。この件が片付いたら、10代目から改めて挨拶があると思うが、まずは右腕のオレから、詫びさせてくれ。責めはもちろん負うが、いまは全力で以ってリアを無事に救い出すから、話をつけるのはそれまで待ってくれたら有難ぇ」

 テーブルに手をつき、深々と頭を下げた獄寺のプラチナ・ブロンドを見つめて、ディーノは大きく息を吐き出した。ディーノにとっては、これは不運な事故のようなもので、ボンゴレに責任を求めるようなことではない。だいたい、ビジネス的に考えたとしても、こんな風にボンゴレに貸しを作って優位に立ったところで、キャバッローネ・ファミリーに得になりはしないのだ。獄寺の気持ちを無碍にするようで心苦しくはあるが、ディーノは首を振って獄寺に頭を上げさせた。

「……それを言えば、キャバッローネの総領娘でありながら、自分の身も守れず、大ボンゴレのボスを巻き込んだスクデーリアに落ち度がある。オレの妻である恭弥の責任も大きい。こんなことを言えた立場じゃねーが、差し引きチャラってことで行こーぜ」

 ディーノの厳しい叱責を覚悟していた獄寺は、拍子抜けしてディーノを見つめた。ディーノは獄寺の視線を受け止めて、軽く肩をすくめる。

「なまじっか、恭弥がどっちにも籍を持ってるから、話がややこしくなるんだよな。まあ、恭弥を雲の守護者として育てたのはオレだし、仕方ねーんだけど。で、スモーキン・ボム、いくつか確認してーんだが…」

「お、おう。なんだ?」

「恭弥が草壁に仕事の代理を頼んで、ふらっと出かけてたのは知ってるが、ツナはどうだったんだ? ボンゴレのボスが、連れてる部下が運転手だけってのは、妙な気がするんだが」

「10代目は、今日はオフだったんだ。ちょうどマナー講習に来てたリアと、たまたま行き合わせて、前から話してたリアの宝石を見に行くことになって。堅気の街に出るんだし、オフの日まで護衛だらけは気疲れするからってことで、護衛を運転手だけにして外出なさったんだ。……こんなことなら、お怒りを買っても、もっと部下をつけるべきだったぜ」

「そーいうなよ。きっと、ツナのことだから、自分がオフの日にまで部下に負担かけたくなかったんだぜ」

「…まあ、オレもそー思ったから、無理にとは申し上げなかったんだけどよ……」

 獄寺は苦い表情でうなずいた。綱吉の気持ちも、獄寺の気持ちもわかるだけに、ディーノとしてもなんと言ったらいいものかと、苦笑いする。

「そうだ、跳ね馬、リアルタイムの音声って言ってたのはなんなんだ?」

「ん? ああ…、実は、恭弥に特注の通信機、持っててもらってんだ。バングルが送信機になってて、スイッチを入れると、集音マイクが拾った音を、オレが持ってるスピーカーに送ってくる仕組みになってる。集音マイクは飾りピンになってて、恭弥はスーツの襟に刺してたはずだから、会話はほぼ拾えてるぜ」

 ディーノはテーブルの上にスピーカーを置き、ボリュームを上げた。スピーカーからは遠くの雑踏のようなざわめきが聞こえてきていた。

「ここに来るまでで聞けた情報は、まず立て篭もってる店の主が肩を撃たれてることと、立て篭もり犯の目的は警察からの逃亡だということ、犯人の男はリアを盾にして警察と交渉してるらしいが、リアを実際にどうにかするわけじゃなさそうだってこと、かな」

「…てことは、様子見て、逃がすことを条件に解放を求めることができそうだな」

「ああ。実際、ツナはそのつもりみてーだぜ。あとは、恭弥の身体がどのくらい持つか、だ」

「そうか、ヒバリは身重なんだよな」

「ああ。いまのとこ、なんともねーみてーだが……」

 これまで冷静だったディーノの表情が、苦しげに歪む。いま雲雀になにかあれば、腹の子共々雲雀を失うことだって、あり得るのだ。獄寺自身も綱吉とスクデーリアのことが心配で仕方がない分、ディーノの心痛は想像ができて、獄寺の背筋を震わせた。

「心配すんなよ。10代目が一緒にいるんだ」

 それは、ディーノにというよりも、自分自身に言い聞かせているのに近かった。ディーノは深いため息をついて、「わかってる」と低く答えた。

『…で、リアちゃん……』

『はい、ドン・ボンゴレ?』

 不意にスピーカーから会話が流れ、ディーノと獄寺はばっとスピーカーに目を向ける。店内で、なにか動きがあったのだろうか。

 ディーノはいつでも部下へ指示が出せるよう、電話を構えてスピーカーに耳を傾ける。獄寺も、重要な情報を書きとめられるようにメモの用意をして、耳を澄ませた。



 警察と怒鳴りあった男は、しばらくすると奥へ戻ってきて、雲雀の隣にスクデーリアを投げ出した。

「……上手く行かなかったようですね。なにを要求したんですか?」

 どさりとカウンター前の椅子に腰を下ろした男は、綱吉の問いかけにも答えず、いらいらとガラスケースを殴りつける。

「…仕方ないな。隣で、リアちゃん、聞いていたよね?」

「はい、ドン・ボンゴレ。逃走用の車と、逃走資金の100万ユーロを、用意しろって……」

 起き上がり、雲雀にぴったりと寄り添ったスクデーリアが、男の代わりに綱吉に教える。100万ユーロの額が妥当かどうかは別として、男が警察当局の手から逃れたいのだという確証が、これで得られた。うなずいた綱吉は、男に向き直る。

「提案です。この店の御店主、あなたが肩を撃った人ですが、そろそろ病院に運んであげてはどうでしょうか。いまのところ、命に別条のない怪我ですが、精神的にはかなり厳しい状況のはずです。これで万が一のことがあれば、あなたは殺人犯になる。いまよりさらに、逃げにくくなりますよ」

 びくりと肩を震わせた男は、綱吉を振り返った。サングラスで目を隠してはいても、口元が見えれば表情はわかる。明らかに、怖気ている。

 追い詰めすぎて逆上ということにならないように、綱吉はじわりと攻め手を進める。

「オレたち3人はそのまま人質として残せば、御店主を解放したところで警察が踏み込んでは来ない。逃げ切るためには、まず、これ以上罪を重くしないことが、上策だと思うんですが」

「そ…、そうすりゃ、逃げ切れるって、保証はあんのかよ?」

 男が質問したことで、綱吉は内心で「よしっ!」と思う。こちらの話に乗ってきた証拠だ。綱吉は力強くうなずいて、男を見上げた。

「オレは、ボンゴレ・グループの総帥で、沢田綱吉といいます。あなたが、決して人を傷つけない人だと、御店主も好んで撃ったわけではないと、証明してくださるなら、あなたの身柄はボンゴレで引き受けましょう」

「逃がしてくれる、ってことか…」

「ご希望なら、ボンゴレで働いていただくことも可能です」

 綱吉の提示した条件のよさに、男はごくりとつばを飲み込む。話が旨すぎて、にわかには信じられないのだろう。それももっともなことだ。

 綱吉はじっと男を見据えて、答を待つ。

「……信じていいのかよ」

「疑うなら、まず、御店主にオレの部下に宛てたオレの指示を預けて、解放してみてください。部下は、指示を聞けば必ず動いてくれますし、部下が動けば確実にあなたは逃げられます。…もし部下が動かなければ、そのときはあなたの好きにしたらいい」

「……………」

「試してみる価値は、あると思うんですが」

 ボンゴレ・ファミリーは、一般的な事業グループとしてもビジネスを展開していた。イタリア国内で、ボンゴレの知名度は決して低くない。その総帥の約束に、男が揺れ動いていることは、見て取れる。

「………………。…………わかった。そのじいさんは解放する。あんたの部下への指示を、オレに聞こえるようにじいさんに伝えろ」

 うなずいた綱吉は、壁にもたれてじっと痛みに耐えている店主を振り返った。店主は、綱吉の視線に気付いて、顔を上げる。その額には、びっしりと汗が浮いていた。

「御店主。オレの名刺を渡しますから、電話を掛けて、獄寺という人を呼び出してください。車と100万ユーロを用意して、このお店に来るようにと伝えてくだされば、あとのことはすべて獄寺が引き受けます。大丈夫ですか?」

「わかりました。…私だけ先に逃れて、申し訳ありません。沢田さま、ありがとうございます」

「いいえ。電話は、先に病院に行ってからでかまいませんから。ただ、電話に出たほかの人間に言付けるのではなく、かならず、獄寺に直接話してください」

「はい」

 縛っていた紐を解かれた店主は、綱吉の誘導で上着の内ポケットから名刺を見つけると、男と共に店の入り口に向かった。


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