「獄寺さんが撃てと言うなら、わたしは撃つ」
「リア…」
それは、獄寺に責任を押し付けているのではなく、獄寺の判断を疑わないというスクデーリアの覚悟があるからこその言葉だった。
一瞬、その毅然とした口調に気圧された獄寺は、しかし、すぐに気を取り直すと、うなずいた。
「よし。じゃあ説明するぜ。オレは応援を呼ぶのに電話を掛ける。その間、どーしてもハンドル操作に集中できねー。その隙に、追手は距離を詰めてくるだろう。リアは、その追手を撃って牽制してくれ」
「はい」
「窓から身を乗り出さなきゃなんねー、危ねー役目だ。けど、スピードを落としてやることはできねー。いいな?」
「はい」
「牽制目的だから、当てる必要はねー。けど、ある程度は狙えてねーと、威嚇にならねー。そこは、頑張ってくれとしか、言えねーが……」
「やります」
腹をくくったスクデーリアの返事は、歯切れよく端的だ。獄寺はうなずくと、ハンドルから片手を離し、胸ポケットから携帯電話を取り出す。
スクデーリアはシートベルトを外して窓を開けると、身を乗り出して内側のハンドグリップを掴み、窓枠に腰掛ける。いわゆる箱乗りという体勢だ。恐ろしくないとは、口が裂けても言えないが、こうしなければ充分に狙って追跡者を撃つことは難しすぎた。
右手で銃を構えると、撃鉄を起こし、腕がブレないようにぐっと力を込めて引き鉄を引く。
パン!!
乾いた音と共に、アスファルトが抉れた。先頭の車が蛇行し、後続の数台を巻き込んでクラッシュする。スクデーリアは立て続けに撃鉄を起こしては、引き鉄を引いた。
パン! パン!
疾走する車のエンジン音に紛れて、銃声が続く。
「…あ!? 銃声? リアだ、リア。…は!? わかってんだよ、そんなこたぁ!! いーから、とっとと応援手配しやがれ!!」
携帯電話に怒鳴りつけた獄寺は、ギア横の物入れに端末を叩き込むと、スクデーリアに「もういい」と合図をした。
「山本に連絡ついたぜ。すぐに応援出してくれる。ありがとな、リア」
器用に戻ってきたスクデーリアに首尾を報告すると、スクデーリアは乱れてしまった髪を撫で付けながら、ほっとした表情を浮かべた。
「よかった。わたしでも役に立てることがあって、嬉しい」
「役に立つどころか、リアは優秀なマフィアになれるぜ。飲み込みが早ぇし、度胸も据わってる。さすが、キャバッローネの総領娘だな。今度、なにか礼をさせてくれよ」
ふたたび運転に意識を集中させる獄寺は、アクセルを踏み込みながら、心底スクデーリアに感服する。自分の直属の部下でさえ、咄嗟にここまで対応できる者など、何人もいない。
「お礼なんて…! そもそも、わたしが守ってもらってるのに」
「だからだって。守ってやるなんて大見得切って、手伝ってもらってるんだぜ。リアがオレの部下だったら、臨時ボーナスと特別昇進モノだ」
ギャキキキ! とタイヤを軋ませ、交差点を左折する。ボンゴレ本部へ戻る道を封鎖されていないのは救いだった。その反応の鈍さで、獄寺は改めて、ヴィストーソ・ファミリーの権力範囲を実感する。警察を黙らせることはできても、思い通りに動かすことができないようでは、ボンゴレの一翼に食い込むにはまだ足りない。
「……まだついてきやがる。しつけーな」
バックミラーを見た獄寺が、ぽつりとつぶやく。黒い車の集団は、数をずいぶん減らしながらも、まだついてきていた。ただ、距離を多めに取っているのが、先ほどまでと違うところだった。
「リアの銃撃、そーとー効いたんだろーぜ。ヤツら、射程距離に入らねーよう、気をつけてる」
これまで、追うばかりで足止めをかけてこなかったことから、彼らの力量はもう割れている。このままなら、ボンゴレ本部まで逃げ切れるだろう。気を緩められないながらも、見通しが立ったことに、獄寺は安堵の息を吐いた。
「なんかよ…」
「はい」
「安心したら、腹立ってきたな」
「…はい?」
思いがけない獄寺の言葉に、スクデーリアは面食らって訊き返した。
「車止めて、ヤツらにダイナマイトでもブチ込むか?」
「それはやめて。リアまで巻き込まれる」
いきなり会話に入ってきた声を聞き、獄寺はうっと呻いて言葉に詰まり、スクデーリアは驚いて窓の外を見た。
いつのまにか、大型バイクが、ぴたりと並んで走っている。眼を風から守るためにサングラスをかけていたが、そのドライバーをスクデーリアが間違うはずがない。スクデーリアは窓を開けて顔を出した。
「ママ!」
「やぁ、リア。ずいぶん頑張ったみたいだね?」
「うん。獄寺さんと一緒だったから」
「ヒバリ! 応援はてめーだけか!?」
「まさか。ちゃんと山本武と笹川了平が手勢を連れて出発したよ。僕は別口」
「別口だと?」
「そう。報復は任せてもらうよ。それで君も溜飲を下げて。でないと、リアが巻き添えになるからね」
言うだけ言うと、雲雀は「それじゃ、あとで本部で」と言い捨て、バイクをターンさせて、ヴィストーソ・ファミリーの車団に向かって突っ込んでいく。獄寺はスクデーリアに急いで窓を閉めるように指示した。
「ママのカッコいいところ、見ていたらダメ?」
「気持ちはわかるけどな。なにかが飛んできて、リアに当たったら大変だろ」
バックミラーに映る銃撃戦を見ながら、獄寺はスクデーリアに説明する。これだけ距離があれば、普通ならそうそう変なものは飛んでこないだろうが、黒い車団の向こうにちらりと見えた赤い車体が確かならば、なにが飛んできてもおかしくない銃撃戦になることは容易に予測できた。
パパーッ!
横道から出てきた数台の車が、クラクションを鳴らして獄寺の車を走りながら取り囲む。窓を開けて顔を出したのは、山本だった。
「待たせたな、獄寺」
「まったくだ。遅ぇよ、バカ!」
「そーゆーなよ、これでも電話もらってすぐに飛び出してきたのな!」
「間に合わなかったら意味がねーっつってんだ!!」
猛スピードで走る車を運転しながら山本と言い合い始めた獄寺を見て、スクデーリアはくすくす笑いながら、ようやく心からほっとした。
「で、獄寺くん? どーしてリアちゃんがパヴォーネ・ヴィストーソに狙われることになったのか、聞かせてくれるかな」
ボンゴレ本部に帰着した獄寺は、山本と笹川を出動させた報告をしに行った綱吉の執務室で、笑顔の綱吉に迎えられた。
やべぇ、10代目怒ってる!
そう思ったときには、もう遅い。獄寺は綱吉の執務室の一角にある応接セットで、テーブルを挟んで差し向かいに座っていた。状況はほぼ尋問だ。
「申し訳ありません、10代目! オレの失態です」
がばっと頭を下げた獄寺は、経緯を綱吉に説明する。スクデーリアと行ったショッピングモールで、偶然にパヴォーネに会ったこと。パヴォーネがスクデーリアに対する暴言を重ねたこと。スクデーリアを庇いきれず、パヴォーネがスクデーリアの排除に動き出したこと。黙って全てを聞いた綱吉は、考え込むように組んだ手に顎を埋めた。
「獄寺くん、本当にそれだけ?」
「もちろんです。なにも隠してなんていません」
「ふぅん…。パヴォーネ・ヴィストーソのことはわかったよ。けど、いまの話だと、リアちゃんが傷ついている理由がないんだよね」
「それは、パヴォーネの暴言が原因なんじゃ…」
言いかけた獄寺に、綱吉はついため息を漏らした。この側近は、本当に、人の機微に疎い。
「獄寺くん…オレ、獄寺くんはとっくにわかってると思ってたけどな。リアちゃんは、くだらない偏見の暴言に傷つくほど、弱い子じゃないよ」
「と、いうことは…?」
「うん。そういうことだよね。……次に泣かせたら覚悟してって、以前言ったと思うけど」
獄寺はうっと言葉に詰まり、綱吉から視線を外した。スクデーリアを傷つけることを言った記憶は本当にない。けれど、綱吉がスクデーリアが傷ついていると、原因が獄寺だと言うなら、それは間違いなくそうなのだ。しかも、綱吉は言外に「原因は自分で考えろ」と突きつけている。
「リアと、話をしてもいいですか」
「リアちゃんが獄寺くんと話してもいいと言ったなら」
そう言って、綱吉はスクデーリアの居場所を示すように腕を上げる。その向きで、獄寺はスクデーリアがいる部屋に見当がついた。人の出入りが激しい守護者用サロンではなく、独りで落ち着ける応接室でスクデーリアを休ませているのだろう。獄寺は立ち上がると、綱吉に一礼して部屋を出た。
スクデーリアは、ボンゴレ本部に着くとすぐに奥まった応接室のひとつに通された。スクデーリアのために用意してくれたのだろう。ソファにはたくさんのクッションが置かれ、テーブルにはピンクの花束が活けてある。そこでは綱吉が待っていてくれて、スクデーリアを気遣ってくれた。
綱吉が出て行くのと入れ違いに、今度はメイドが冷たいココアと果物を運んできてくれて、ココアに誘われるままに口をつけたら、それまで張っていた気が一気に抜けて、スクデーリアはくったりとソファに沈み込んだ。
今日初めて会った女性。孔雀のような眼でスクデーリアを見下ろしていた。その視線と言葉は、容赦なく見えない刃をスクデーリアめがけて振り下ろしてきた。
ただ、本当のところを言えば、その女性が怖かったかどうかよりも、そのあとの獄寺の言葉と、獄寺の眼の、どちらを信じたらいいのかがわからなくて、そればかりが頭を回っていた。
『10代目がご自分の娘のように大事にされているお嬢さんですから』
とても冷たく、とても事務的な口調は、耳にこびりついて離れない。
獄寺がスクデーリアを大切にしてくれていることはわかっている。あの一言は、気にするほどの重みなどない一言なのだろう。だから、獄寺は弁明しないのだ。スクデーリアが受け止めるに値しない言葉だから。
けれど、どうしても、気になって忘れられない。
信じたいほうなら、決まっている。否、自分の気持ちだけを見ていいのなら、いつだって獄寺を信じている。けれど、それでいいのだろうか。自分は、知らないうちに、獄寺の迷惑になってはいないのだろうか…。
パヴォーネの刺客に追われている間は、それどころではなかったから、忘れていられた。けれど、一度思い出したら、もうその考えを振り払うことはできなかった。
ぼろりとスクデーリアの目から涙が零れ落ちる。
自分がもっと大人だったなら、獄寺にこんなふうに迷惑をかけたりせず、自分の力で刺客と戦えただろう。いや、そのまえに、そもそも刺客を差し向けられるような足手まといではなかっただろう。子供であったばかりに、獄寺に負担をかけたのだ。
だから、スクデーリアは、あの言葉が忘れられない。どんなに迷惑をかけても、獄寺が笑って許してくれる理由としては、「綱吉の命令だから」というのは説得力がありすぎる。
こんなことは、今回が初めてではないのだ、きっと。繰り返すうちに、獄寺がそれを負担に思うようになっていたとしても、そのためにスクデーリアを疎み始めていたとしても、すこしもおかしくない。
ぼろり、ぼろりと雫が転がり落ちる。獄寺に大事にされることが嬉しくて、そのために獄寺が被る迷惑をすこしも顧みなかったなんて、なんてみっともないことをしていたのだろうか。
クッションをひとつ抱き寄せ、顔を埋める。ふかふかの綿は、スクデーリアの顔を柔らかく包んで、涙を吸い取り続けてくれた。
コン!
強くドアを叩く音で、綱吉はそちらを振り返った。胸ポケットにサングラスを差した雲雀が、銃撃戦を済ませてきたとは思えない綺麗さで立っている。
「雲雀さん。お疲れ様でした」
「まったくね。君がさっさとあの女を切り捨ててたら、こんなことにはならなかったよ」
「それは、本当に申し訳なく思っています。ディーノさんにも、謝罪に伺いたいと連絡しました」
「そう」
手振りでソファを勧めた綱吉に、雲雀は素っ気なく首を振って断ると、少し足を進めてドアから離れた。
「潮時なんじゃないの?」
「なにがです?」
「リアのことさ。君が馬と獄寺隼人の反目を気にして、リアの社交界デビューを引き伸ばしてることはわかってる。けど、今回のことで君もわかったろ。いまのやり方じゃ、もうリアは守れない。命も、心も」
「そのことなら……確かにそうです」
ため息混じりに綱吉はうなずく。綱吉の名や獄寺の存在で、スクデーリア自身を狙う存在は遠ざけられた。けれど、こんどは、その獄寺がスクデーリアへの危険を呼び寄せ始めた。婚約者でもないのに獄寺を独占する少女への嫉妬という危険は、誰にも抑止できないという点で、スクデーリアそのものを望む危険よりも、はるかに性質が悪い。
「獄寺隼人が、リアが恋人だって事を隠したって、リアに向けられる悪意は消えはしない。むしろ、リアを傷つけた分だけ、なお悪い。もう限界だ」
「早急に検討します」
「検討するだけじゃダメだ。行動して」
雲雀にぴしゃりと言われて、綱吉は「善処します」とつぶやく。雲雀は綱吉に視線で圧力をかけたが、いまは綱吉からそれ以上の言葉を引き出せないと判断すると、ドアに向かって歩き出した。
「お帰りですか?」
「ああ。リアはどこ?」
「リアちゃんなら、南の応接室で獄寺くんと話しています」
確かめるように振り向いた雲雀に、綱吉は続ける。
「オレが責任持って、キャバッローネまで送り届けますよ」
「なら、門限は夕食の時間。厳守」
「わかりました」
雲雀が出て行ったドアを見つめ、綱吉はこれからのディーノと獄寺のことを考えて、誰かいい胃薬知らないかなと思った。
綱吉に教えられた応接室に入ると、スクデーリアはソファの上で膝を抱え、膝に置いたクッションに顔を埋めていた。
「リア」
声をかけると、はっとしてこちらを振り向く。目が赤く腫れていて、泣いていたのだとすぐに知れた。
「悪い、オレが……」
「ごめんなさい!!」
獄寺が話し出すより先に、スクデーリアはばっと立ち上がって叫んだ。
「ごめんなさい、獄寺さん。迷惑ばかりいっぱいかけて、ごめんなさい。ごめんなさい。獄寺さん、お願いだから、わたしのこと嫌いにならないで…!!」
うつむき加減に、呪文のように「ごめんなさい」を繰り返すスクデーリアに、獄寺はスクデーリアの傷を突きつけられる。たまらずに、獄寺は数歩分の距離を一気に詰めて、スクデーリアを抱き締めた。
「嫌いになんてなれるかよ!!」
「…っ!」
「無理だろ、そんなの……こんなにリアのこと大事なのに、嫌いになんてなれねーよ……。ごめんな、リア。傷つけてごめんな。守ってやるなんて言って、いちばん傷つけてるのオレだよな。本当にごめんな」
ぎゅっと苦しくなるくらいに抱き締めてくれる獄寺の腕に、スクデーリアは自分の思い違いを知る。
そうだ、どうして忘れていたのだろう。獄寺にいつも嘘なんてなかった。
「ごめんなさい……」
先ほどと同じ言葉を言う。今度は、獄寺の心を疑ったことを詫びるために。
獄寺も、違うことを言っていると気付いたのだろう。腕を緩めて、床に膝をつき、スクデーリアと目の高さをあわせると、そっと涙を拭ってくれた。
「お互い様だ」
「うん」
獄寺の謝罪と許しの詰まった一言に、スクデーリアはうなずくと、きゅっと獄寺の首に抱きついた。その背中をぽんぽんと叩き、獄寺はスクデーリアを抱えて立ち上がる。
「メイドに、新しいココアを頼もう。それと、桃が冷えてるはずだ。甘くて美味いってクロームが言ってた。食いながら、パヴォーネに邪魔された分までしゃべろーぜ」
「うん」
ソファに腰を下ろすと、自然、スクデーリアが膝に乗る。もう少しスクデーリアの背が伸びたら、きっともうできなくなる姿勢。こうやって、相手の視線から逃れられない距離で、もっともっと理解を深めていきたいと獄寺は願う。
獄寺は、だから、その姿勢のまま、メイドを呼ぶベルを鳴らした。
後日、ディーノの許を訪れた綱吉は、スクデーリアを危険な目に遭わせた詫びの他に、スクデーリアの門限破りについても詫びることになったという。