夢浮橋

 今日は思いがけない出来事があって、とても久しぶりに、わたしは隼人さんを好きになった頃のことを思い出した。

 10年前、金のコンパクトミラーをもらった頃。あの頃は、あのミラーをもらったという事実がとても重大で、わたしはミラーをそれはもう大切にしていた。いまでも、お化粧ポーチに入っている。

 生まれたときからわたしの身近には隼人さんがいた。もちろ、生まれたときから隼人さんのことが好きだったわけじゃない。子供心には、優しいけどちょっと怖いお兄さんだった。

 けれど、10歳の時にチンピラにさらわれそうになったわたしを隼人さんが助けてくれたときから、わたしにとっては隼人さんはただのお兄さんじゃなくなった。

 隼人さんの恋人になれたとき、わたしは、神様は本当にこの世にいるんだと思った。

 わたしが自分の将来の選択肢にマフィアという道を加えることを躊躇わなかったのも、隼人さんの存在が大きかった。マフィアになると決めたのは、隼人さんのためではなかったけれど……マフィアになると決めてからは、早く隼人さんに追いついて、隼人さんと同じ目線で物事を見られるようになりたかった。隼人さんは私の恋人であると同時に、一人の人間として目標とする人でもあった。

 マフィアには、そんなに簡単になれたわけじゃなかった。パパもドン・ボンゴレも、並大抵のことでは認めてくれなかった。だからわたしも、自分にできる全力で、本気を伝えるしかなかった。

 パパとドン・ボンゴレがようやく許してくれたとき、パパはひとつ条件をつけた。一人前になるまでは、キャバッローネ以外のファミリーで修行すること。それは、通常ならばありえない。けれど、ボスの娘にひたすら甘い部下たちからわたしを切り離すためには絶対に必要なことだった。だからわたしは、キャバッローネ・ファミリーの新入りとして、ボンゴレ・ファミリーで鍛えられた。

 わたしの指導役は、隼人さんだった。隼人さんは、わたしのことを特別扱いしなかった。覚悟していた以上にキツい思いもしたし、しんどい経験もあった。返り血塗れで帰宅したこともある。ママに弱音を吐いたこともある。

 でも、わたしはマフィアになるのをやめるとは絶対に言わなかった。

 3年かけて、わたしは「さすがはキャバッローネの総領娘だ。血は争えない」と同盟のご老人方からお墨付きをもらえるくらいのマフィアになれた。

 13歳の秋、わたしは14歳の誕生日からキャバッローネ・ファミリーに戻り、11代目―――つまり、ちっちゃいディーノの右腕になるための教育を受けることが決まった。

 そして、14歳になった5月のよく晴れた日に、わたしは隼人さんと結婚式を挙げた。

 隼人さんがキャバッローネのパーティのど真ん中で土下座したこととか、パパが誰も見ていないところで泣いて嫌がってママに縋っていたこととか、私の結婚式の日になぜかキャバッローネの部下のみんながひとりもいなかったこととか(あとで聞いた話によると、みんな泣いててママに咬み殺されたんだって)、

 まあつまり、わたしが結婚するには、わたしがマフィアになる許しをもらうのと同じくらいいろんなことがあったんだけど、一言で「結婚した」とあっさり言えるくらいには祝福されて、わたしたちは結婚した。

 住まいはボンゴレ本部。わたしは毎朝、ママと入れ違いにキャバッローネに通勤した。

 最初の子が産まれたのは、わたしが16歳のとき。女の子だったから、「絶対に嫁にはやらない」って、隼人さんとパパは初めて意気投合し、和解が成立した。

 2人目の子は、男の子。隼人さんとパパは立派なマフィアに育てるんだって意気込んでたけど、マフィアになるかどうかは本人の自由だとわたしが決めていることを知っていたママが、実力行使で収めてくれた。

 そして今日の昼、わたしはランボさんの10年バズーカに当たって、10年前にトリップした。

 10年前と言ったら、まだ隼人さんとはくすぐったくなるような恋人同士だった頃。 いまの隼人さんを見慣れたわたしの目には、その頃の隼人さんは、まだ一生懸命さの残る顔つきをしていた。そんな隼人さんを見て、当時の隼人さんがどれだけ必死にわたしを大切にしてくれていたのか、わたしは想像できた。そして、いまの隼人さんが、どれほどの覚悟をしていまの隼人さんになったのかということも。どんな言葉よりもそれは、雄弁にわたしに愛されている実感をくれた。

 3人目の子がおなかにいると言ったら、10年前のママが、視線で、隼人さんとわたしのおなかを順番に示して、相手は隼人さんか?って問いかけてきたので、わたしはうなずいた。ママはほっとした表情で「よかった」と言ってくれた。ママはずっと、わたしと隼人さんのことに関してはわりとあっさりした態度を取っていたけれど、それはわたしのことを信じてくれていたからで、心の中では心配していてくれたんだと、わたしはその一言で理解した。

 たった5分間のことだったけど、わたしは、いまこの時期に10年前に行ってこれて、とてもよかったと思った。

 戻ってきたとき、妊婦のわたしに10年バズーカを当てたというので、ランボさんはママに咬み殺されていた。そのまま、ドン・ボンゴレに医務室まで運ばれていったらしい。次にランボさんに会ったら、10年前に行ってこれたお礼を言わなくちゃ。

 もうすぐ、隼人さんが仕事を終えて帰ってくる。帰ってきたら、いちばんにこの部屋に来て、眠っている子供たちの顔を見て、わたしにキスをするだろう。

 そうしたらわたしは、居間でゆっくり、今日あったことを話そうと思う。もちろん、ランボさんを怒らないでね、ってお願いしてから。

 今日、10年前で、あなたに惚れ直しました―――って。


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