正面に立つ男の体が、ぐらりと揺れて力なく地面に倒れるのを、スクデーリアは映画を見ているかのような気持ちで見ていた。
どうして? どうして、まだ自分はこうして息をしている?
背後には、もうひとり男がいた。自分は、その男に撃ち殺されているはずだった。
どうして?
その疑問を吹き飛ばしたのは、聞いたことのない怒鳴り声だった。
「てめー、跳ね馬の娘だよなぁ!?」
背後から突然聞こえた大声に、スクデーリアは肩をびくりと跳ねさせて振り返る。
そこには、長い銀髪の男が、左手に剣を携えて立っていた。足元には、彼に一刀で倒されたのだろう、スクデーリアを撃とうとしていた男が事切れて転がっている。
「う゛お゛ぉい! 訊かれたことには答えやがれぇ!!」
「あっ、は、はい! 跳ね馬ディーノの娘、スクデーリアと言いますっ」
反応がないことに焦れた男に怒鳴られ、スクデーリアは慌てて名乗る。男は、スクデーリアの名前を聞くなり、ぎりぎりと眉を吊り上げた。
「てめーみてーなガキが、なんだってこんな時間にウロチョロしてやがんだぁ!? さっさと城に帰れぇ!」
「帰れません。城はいま、敵ファミリーの襲撃を受けています。わたしは、ボンゴレ本部に救援の要請に行かなくてはいけないんです」
「襲撃だとぉ!?」
スクデーリアの言葉を意外そうに受け止めた男は、ふと振り返り、少し離れたところに立っている人影に声をかけた。
「う゛お゛ぉい! 誰か、キャバッローネの敵対勢力の動き確認しろぉ!!」
「仕方ないわねー。ほんと、人使いが荒いったら」
やけに甲高い男の声が、銀髪の男に答える。呆気に取られて、ただ成り行きを見ているだけしか出来ないスクデーリアの後ろで、低いうめき声がした。
「ししっ。ツメが甘ぇんじゃねーの? こいつ、死んでなかったぜ?」
長い前髪で目を隠した男が、スクデーリアに撃たれて倒れていた男の喉笛をナイフで切り裂いていた。スクデーリアはその光景を見て、自分が撃った男は、その銃弾では死んでいなかったのだと気付いた。
「…ありがとうございます」
「へぇ。案外素直じゃん」
スクデーリアを見上げ、にやにやと笑う男は、しかし、目が見えないために真意が掴めない。スクデーリアは礼を言ったものの、本当に自分を助けるために殺したのかは、わからないと思った。
「わかったわよーぅ。確かに、ひとつ動いてるファミリーがあるわ。こないだツナちゃんが気に入らないって言ってたとこよぅ」
「『気に入らない』じゃなくて『気になる』の間違いですルッス先輩」
大きなカエルの帽子をかぶった男が、棒読み口調でサングラスをかけた人物の言葉を訂正する。サングラスの人物は、「いいじゃないの、そんな細かいこと」と言い返した。声からすると男性のようだが、もしかしたら女性なのだろうかと、スクデーリアは判断に迷った。
「今日の任務はこれで終わりだったよな?」
「まぁね、一応は。あと、ボスに報告が残ってるけど」
「オレはこれからちょっと行くところができた。報告は任せる」
「オレも行くよ。切り裂き放題だろ?」
前髪で目を隠した男が、銀髪の男の言葉を聞きつけて、ゆらりと立ち上がる。
「じゃあ、先に戻ってるレヴィに報告させときましょ。私も、さっきの任務で上がったテンション、まだ醒めないのよね」
「仕方ないですから、ミーもついてってあげますー。先輩たちだけじゃ心配なんで」
サングラスの男とカエルの帽子の男もついてくる気のようだ。銀髪の男は「好きにしろ」と吐き捨てた。
「跳ね馬の娘ぇ!」
不意に声をかけられ、スクデーリアはびくりと銀髪の男を見上げる。
「は、はい」
「ついて来るかどうするか、いますぐ決めろ」
「行きます!」
尋ねられた内容を考えるより先に、スクデーリアは叫んでいた。銀髪の男はひとつうなずくと、足早にボンゴレ本部とは反対方向―――つまり、キャバッローネの城の方向に歩き出す。
スクデーリアは急いで銀髪の男に駆け寄った。
「あの。助けてくださって、ありがとうございました」
「……てめーが跳ね馬の娘だったからなぁ」
低くつぶやいた言葉で、男がディーノの知り合いなのだと、スクデーリアは知った。
「あの…?」
「オレの名前はスペルビ・スクアーロだぁ」
「スクアーロさん……」
その名前には、聞き覚えがあった。ボンゴレ・ファミリーの独立暗殺部隊ヴァリアーのNo.2だ。そして、ディーノの学友だったと聞いている。
では、いま自分を助けてくれたのは、ヴァリアーの構成員たちだったのか。
「父から、お名前は伺っていました。お力添え、ありがとうございます」
ディーノには似ていない少女の、しかしディーノを彷彿とさせる素直さに、スクアーロはすこしむず痒くなる。
「余計な話をしている余裕はねーぞ。しっかり掴まってろぉ!!」
言われたかと思うと、スクデーリアはスクアーロの肩に担ぎ上げられていた。反射的に、スクアーロの頭にしがみつく。
「キャバッローネに向かうぞぉ!!」
スクアーロの咆哮が、深夜の街に響き渡った。
「それでね。来る途中に、スクアーロさんが問い合わせてくれて、カナとちっちゃいディーノは、無事にボンゴレ本部に着いたって」
「…そうか。頑張ったな、リア」
スクデーリアから事情を聞いたディーノは、入り口付近に立つスクアーロを振り向いた。
「ありがとな、スクアーロ」
「別にかまわねぇ。…それより、そろそろ撃って出るぞ。準備はいいか」
スクアーロに訊ねられて、一瞬顔を見合わせたディーノと雲雀とスクデーリアは、それぞれに愛器を構えてうなずく。
そして、キャバッローネ・ファミリーの反撃が始まった。
キャバッローネの城の戦闘は、夜明けと共に終結した。
幼い子供がいるのでは半壊した城で寝起きするわけにもいかず、ディーノ一家は城の修理が終わるまで、ボンゴレ本部の奥、雲雀の私室とその周辺を当面の仮住まいにすることになった。
キャバッローネ・ファミリーの部下たちも、キャバッローネの城の無事な部分に収容しきれない者は、ボンゴレ本部の離れや、自宅がある者はそれぞれの自宅などに分散して、休息を取っている。
草壁は、命に別条はないものの、自力では動けない重傷を負っているのを、金糸雀に案内された山本に発見された。いまは、ボンゴレ本部の医務室で治療を受けている。
スクデーリアは、この世の終わりのような顔をして駆けつけた獄寺と一緒に、獄寺の私室に引き取った。ディーノは不満そうだったが、どうせ一緒の部屋にいたところで、獄寺がスクデーリアにすることなど、添い寝が関の山だとわかっている雲雀は、自室の人口密度が下がる方がありがたいと、あっさり了承してくれた。
「リア、怪我はなかったか?」
風呂上り、ピーチソーダを飲むスクデーリアに、獄寺はもう何回目かわからない問いかけをする。スクデーリアはグラスをテーブルに置くと、獄寺に向き直った。
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう、獄寺さん」
「すまなかった。すぐに助けに行ってやれなくて」
「それも、もう気にしないで。獄寺さんはお仕事だったんだから」
綱吉の名代でミラノまで出張していた獄寺は、仕事を終えて戻ってきたボンゴレ本部でキャバッローネの窮地を聞くなり、取るものも取りあえず飛び出して行ったのだった。
キャバッローネの城に着いた獄寺が目にしたのは、スクアーロたちヴァリアー勢を従えたスクデーリアが、ディーノや雲雀、キャバッローネの部下たちと共に、煙の立ち上る城から出てくるところだった。
「スクアーロさんがとても親切にしてくれたから、なにも怖いことはなかったのよ。獄寺さん、心配してくれるのは嬉しいけど、本当に大丈夫よ」
「…っ! くそ」
無邪気にスクアーロを信頼するスクデーリアの言葉に、獄寺はますますその場に居合わせられなかった苛立ちを募らせる。けれど、それは獄寺の勝手な感情。喜ぶべきは、スクデーリアの無事が第一だ。それなら、獄寺にはいまのこの状況だけで充分だった。
気持ちを切り替え、獄寺はスクデーリアに微笑を向ける。
「リアは、すげーな。あんな状況で、よく頑張ったな」
「うん。自分でもびっくりした。わたし、こんなに頑張れたんだ、と思って」
「さすがは、キャバッローネの総領なだけあるな」
獄寺がくしゃ、と髪をかき回すように頭を撫でると、スクデーリアは嬉しそうに首をすくめた。
獄寺はソファに腰を下ろし、手を差し伸べてスクデーリアを招き寄せると、抱き上げて膝の上に降ろした。膝に感じる重みと、腕に感じる体温が、たまらなく愛しい。
スクデーリアは獄寺の首に腕を回して姿勢を安定させると、おもむろに口を開いた。
「あのね、獄寺さん。わたし、今度のことで決めたことがあるの」
「なんだ?」
やけに改まった口調に、獄寺も表情を引き締める。スクデーリアがすごく真面目な話をしようとしていた。
「あのね。わたし、マフィアになろうと思う」
「は!?」
思いがけない言葉に、獄寺は素っ頓狂な声を上げた。
「それ、ヒバリや跳ね馬や10代目は知ってるのか?」
「ううん。いま、初めて人に言った」
「おいおい…」
「でも、決めたの。わたしは、大事な人を守るためなら、敵の血を流すことを躊躇わない。手を汚すことは怖くない。なら、わたしはマフィアになって、みんなを守るの」
「リア」
「今日、とても怖かった。パパやママや、カナやちっちゃいディーノ、哲、ロマーリオ……みんな、いなくなっちゃうのかと思った。でも、カナとちっちゃいディーノを逃がすとき、わたし、誰かを殺すことも、自分が殺されるかもしれないことも、怖くなかった。守りたい誰かを守るためなら、わたし、人を殺せるんだって、わかった。だから、マフィアになるの」
「リア……」
「キャバッローネの跡継ぎは、ちっちゃいディーノよ。わたしは、隣でちっちゃいディーノを守るの。哲や、ロマーリオや、獄寺さんが、自分のボスにそうしているみたいに」
きっぱりと言い切るスクデーリアの言葉に、眼差しに、迷いはない。獄寺は、スクデーリアが自分の意志で進む道を決断したのだと悟った。
「けど、リア。マフィアになったら、今日みてーなことは珍しいことじゃなくなるぞ。マジでヤバいとき、またタイミングよく誰かが助けてくれるとは限らねーんだぞ」
獄寺は、それでスクデーリアの意志が変わることはないと予感しながらも、わざと厳しいことを突きつける。実際、今日のスクデーリアは、任務帰りのヴァリアーが通りかからなかったら、そして、そこで殺されかかっているのがディーノの娘だとスクアーロが気付かなかったら、あの場で撃ち殺されていた。
「わかってる」
それでも、スクデーリアの視線は揺るがず、まっすぐに獄寺を見ていた。スクデーリアなりに、スクデーリアの持つ全部で覚悟を決めているのだと、獄寺は確信できた。
もしかしたら、そう遠くない将来、スクデーリアの左腕にも現れるかもしれない。炎を背負った跳ね馬が。
だが、いまはただ、その穢れのない華奢な手を血塗られた未来をつかむために伸ばす勇気と気高さを見守りたいと、そう思った。
物理的な危険からは、自分が守り抜けばいい。根負けしたため息と共に、獄寺はゆっくりと口を開く。
「じゃあ…」
本当は、スクデーリアにそんな未来を歩ませたくはない。でもいま、獄寺がしたいことはスクデーリアの願いを叶えることで、それなら、すべきことは決まっていた。
「10代目に、リアのお披露目はパーティじゃなくて、同盟の会合にしてくれって、頼まねーとな」
絶対に反対されると思っていたスクデーリアは、思いがけずあっさりと獄寺が受け入れてくれたことに、一瞬きょとんとする。だが、次の瞬間には、満開の花のように笑みを浮かべて、獄寺にぎゅぅっと抱きついた。
「ありがとう、獄寺さん!!」
「礼を言うのはまだ早ぇ。10代目と跳ね馬は、オレほど簡単に説得できるわけねーからな」
そう言いながら、獄寺はまだ肉の薄い少女の背に手を置き、綱吉とディーノを守って闘う遠くない未来の自分とスクデーリアの姿を想像して笑った。
数ヵ月後。
「行けるな、リア?」
かっちりとスーツに身を固めた獄寺が、議場のドアの前で振り返る。
これから、同盟ファミリーのボスたちが集合する会議が開催される。その議場の警護が、スクデーリアの初任務だ。
スクデーリアはネクタイがきちんと整っていることを確認し、うなずいた。
「はい、獄寺さん」
獄寺の合図で議場のドアが開かれる。その中へ、スクデーリアは胸を張って足を踏み出した。