徒然頁

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と言うわけで、雑感に付け加えるのをやめ、この頁をおこしました。初めてホームページなど作るので、行き当たりばったりです。ここ4,5日は頁づくりで一日が暮れます。
   2001,8、17

母の役割
・この頃、実の母親による残酷な事件が多い。どの先進国でも必ず道徳が乱れる。長い歴史を見てもそうである。繁栄と堕落が繰り返される。そして殺戮、、。平和への希求、そして繁栄、、、。
 個人的には子供は3歳くらいまでは母親の手で育てられるべきだと思う。でも現実に共稼ぎをしなければならないし、両性の共生社会なのだから、女性が働くのは当然だ。3年くらい産休しても再就職できるシステムが必要だろうと思うのだが。
 昔の方がむしろ女性は立派な労働力だったろう。地域や家庭、社会全体で子供をしつけるのが当然だったからね。都市化、近代化、核家族化が急激に進み、村落共同体の意識は当然消滅するし、意識はしても現実的にみなそれぞれの人生に精一杯で、どうしても子供に目がいかなくなるだろう。
 だから学校の役割と言っても、教師は親にはなれない。以前、私のクラスに父親を早く亡くし、母親も男を作り家を出てしまい、自分一人で生活していた男子がいた。高校生といつわり居酒屋で夜バイトをして生活していた。毎日遅刻して来ていた。就職の面接も保護者の替わりに私が行った。
 でも最初から全てを私が知っていたわけではない。3年生の3学期のある夜、電話してきて、色々話をしているうちにそのことを言い出し、彼は電話の向こうで突然大声で泣き出してしまった。
 その時「でも親は親なんだよなあ。」と言っていたのが耳に残ってる。捨てられても子供にとったら母は母なんだなあ(当たり前ですが)としみじみ思った。
 その当たり前ができない母親が現実にいる、また増えている。虐待された子供はまた虐待を繰り返すケースも多い。もちろんそうならないケースもある。
 男女は愛するのは当然だし、結婚すれば子供も生まれる。でもフリーSEXを標榜していた70年代の評論家は、今の状況をどう考えるのか。TVが子供に与える影響は多大なはずである。
 評論家やマス・メディアは、なぜアメリカでセサミ・ストリートが制作されたか、その理由を知っていたはずだ。 
2001.9.5
・兼好のごと「我ながらものぐるほし」、と思うような文の羅列。されど「言いたきこと言わぬは腹ふくるる技なれ」でもある。誰でも思ってることをどこかで出さないと、ストレスがたまるだろう。でも鴨長明にしても兼好にしても名作となる所以は文章力、洞察力にある。私ごとき文はとうてい足下に及ばない。書いてもこちらの意図が思うとおり通じない、ああそのもどかしさ。でもかかねばならない気がする。
愛すること
・人を愛すること、こんなに難しいこととは思わなかった。あらためて実感する。
 ギリシア語には愛という言葉が3つある。エロス(性愛)、フィロ(知的愛?=英語の哲学フィロソフイーもアメリカのフィラデルフィアもここから来ている)、アガペー(誠愛=神への愛)。故に日本では愛という言葉が誤用、誤解されているのだと何かで読んだことがある。
 では愛とは何か。キリスト教の愛は「惜しみなく与える愛」である。「信仰、希望、愛は無限に存在する、しかしその三者のうち愛は最も大きい」「あなた方は皆互いに愛し合いなさい」「愛には恐れがない、愛は憎まない、愛はおごらない、愛は高ぶらない、愛は殺さない」「神を愛するとはその戒めを守ることである」「一番大切な戒めは人を愛することである」「愛とは無条件に自分自身を与えることである」「人がその命を友にささげること、これよりも大きな愛はない」「誰でも自分を愛してくれる人を愛することは簡単である、しかし自分を憎む者、殺そうとする者を愛することは難しい」「あなたの隣人を愛せよと言われているが、私は言う、あなたの敵をも愛しなさい」
 高校時代これらの言葉を読んでえらく感動した。でもこの歳になって人を愛するのがなんて難しいのかと思う。私は人一倍、気は短い。強く打たれると強く反発する太鼓みたいな人間だ。
 ドストエフスキーの「罪と罰」の汚れなき売春婦ソーニヤ。それが処女にして受胎したマリアの姿を極限の形で表現されたものだった。だがこんなことは現実にまずありえない。
 大学時代パスカルのパンセを読んだ。あまりにも純粋すぎてさほど感銘もしなかった。学生時代はやたら難解な書物、難しい言葉の羅列をどうしても好んでしまう。
 ああ、ここにインテリゲンチャーの過ちがある。20世紀は言葉に翻弄された時代だった。言葉が人を殺させるのだ。「すべての苦しみの根元は、無条件に人を許すというその一念が消え失せたことだ」(八木重吉)
 今、私は残りの人生で人を愛していこうと思う。でも毎日、挫折する。世の中で簡単に見えるものほど難しいものはない。昔人の言葉は単純だ、だから長く残るのだろう。
 私の父は突然死んだ。生前、私は父を許せなかった。五カ国語を話し、経済学に通じた男。やり手、しかし家庭的ではなかった。浮気性、子供にも自分を自慢する、他人には調子がよく、家族には冷たい、だから私の心は父から遠のいた。学問でもかなわないのだから。死の一ヶ月前、口をきかなかった。
 父の遺体を見てああこれで重苦しさから解放される、終わったんだという気持ちとああこれで和解できずに逝ってしまった、という悔悟の気持ちが同時に起きた。
 私は涙一つ流さなかった。だが火葬場から帰るバスの中、突然私は号泣した、息が止まるほど。なぜだか今でも分からない。
 その後母を大事にしていこうと思った。母の母、祖母が亡くなるとき、母は祖母の手をとっていた。暖かい土曜の午後だった。美しい死だった。私もこうしようと決めた。
 今、その母は、あの父に耐え、私たちを愛し惜しみなく自己犠牲してきた母が、老いの病にある。妄想する母。私には耐えられない。なぜこのような母がこうなるのか。いらだちを押さえられない。
 母は小学校から英文科まで首席だった。三カ国語を話す。ピアノは独学で弾きこなす。簡単なメロディーなら聞くとすぐ譜面に書いていた。恥ずかしながら大学時代、ドイツ語を母に聞いていた。グリークラブで歌う曲のリズムや音程を母に聞いていた。イタリア歌曲の発音を母から教わった。今の人ならこういう人は沢山いる。でも母の世代でできる人はいない。
 その母が老いてしまった。私はマザコンではない。できる限りのことはしてやりたいのだ。でもその思いが通じない悲しさにいらだつのだ。
 愛とはこんなにも難しいものなのだ。
教員の世界(根拠が曖昧なままここまできている)
  ーできの悪い中途採用者の法学部出身者の疑問ー

教員は議論好き

・どうして先生の会議は長いのかなあ。PCの普及でかえって書類が多くなってしまった。細かい資料を出すほど有能と思われる風潮がある。わずか数十名の集団で、日頃意志の疎通がないのだろう。やたら追求したがる人がこうさせる。会社でも役所でもこんなことしてたら、逆に能力がないと見なされるだろうに。よく言われる言葉「論を尽くして意思の統一をはかる」、逆だね、10やっても1やっても、効果が同じなら1でいい。やたら重箱の隅をつつくような議論をするから書類がふえるのだ。時間の浪費だ。

公文書の基本は
・なんで教員の世界は新しい事をやるのに時間がかかるのか。教師になったとき通知票は公文書だからボールペンは不可と言われた。これは間違いです。役所でも公文書はボールペン可としたのが30年以上も前です。ボールペンは出始めの頃は年がたつと変色するからだめだったのだ。公文書の基本は文部省、現文部科学省の文書課が発行している公文書作成の手引きにある。通知票をボールペンで書けとはどこにも法的な根拠はない。
 調査書を薄い紙にカーボン紙を敷いて書く。法的な根拠はない。役所でも30年以上も前にコピーに公印をつけば公文書と見なすとしていた。さんざん改善してくれと言い続けたけど、そのたびに教員の世界は違うのだと言われた。これは論外な発言である。
 やっと数年前ワープロ可、コピー可とされたが、遅すぎます。書式をフロッピーで作成しても何ら問題はない。書式に合わせてワープロを使ってもいいとしている、フロッピーで作ると書式がずれるからだって。変だよ。
 通知票もPCで書いた方が能率も良いはず。成績記入の間違いもなくなる。毎学期打ち出して通知票に綴っていった方が保護者もわかりやすいはずだ。法律上、通知票の書式は学校で決めて良いことになってる。なぜそれができないのか。
 公印は簡易な連絡文書では省略可である。むしろそうすべきである。なぜいちいち何十枚も通知文に公印を押すのか。法的根拠はない。公印を押した原稿を印刷して発送しても問題はない。あるいは四角の枠に公印省略と書いて氏名の後に印刷をしておけば良い。
 卒業証書も公印を赤字で印刷しておけば押し間違い、汚れを防げる。見た目もきれいである。
昼食指導は労働時間
・教員は昼休みをとるよう神奈川県では決議した。では昼食指導に行き、昼休み会議を持った場合、扱いはどうなるのか。組合は何ら救済策をしていない。明らかに労働法違反の行為である。他県では実際、昼食指導をしていないところもあるが、教育上これほど問題なことはない。
部活は仕事かボランティアか
・部活は仕事なのかボランティアか。文部科学省の見解は課外活動で教育活動ではないが教育上重要な役割としている。ではなぜ校務分掌に入っているのか。私も部活は重要と考えているが、本来の授業研究などが時間内でできないのはおかしい。なぜ進路の内申書に部活の欄をそれではもうけるのか。では、練習試合に費やされる交通費はなぜ生徒にも教師にもでないのか。神奈川県では休日に部活を4時間以上やるとはじめて数百円でる。すべての教師があらゆる部活ができるわけでない。教師も家庭がある。幼い子、病人を抱えている者もいる、健康を害している者もいる。
 保護者にとってもユニホーム、電車賃、弁当など負担が大きい。教育活動ならこれらを公費でまかなうべきだ。進路で部活でがんばった生徒が救われることもある。いや事実、県大会で上位をしめた者など非常に有利である。高校側からお声がかかることもある。また生徒にも生き甲斐ややりがい自信も与える。
 文部省はこうした現状をはっきり認識すべきである。いつまで曖昧にしておくのだろうか。
旅費・時間外勤務
・家庭訪問に自家用車を使用した場合、旅費はでるのか。法律上出すべきである。夜、生徒の家に家庭訪問をしたとする。時間外手当はでるのか。法律上出すべきである。
わかりやすく言えば、もし途中で事故に遭った場合、公務災害になるかどうかということだ。法律上なるのだから。労働法上では出勤途中の事故は勤務中と見なしている。確か判例があるはず。ただし経路図通りの道を通っていなければいけないが。
公務災害・校内暴力 
・教師が生徒に殴られた場合、また生徒が他生徒に暴行を受け傷害をおった場合、公務災害はでるのか、また生徒の治療費はでるのか。法律上は裁判にでもなれば教師は保護者に賠償金を請求できるし、公務災害と認定するよう訴えを起こすことができる。しかし現実にはそんなことは行われない。教育上、生徒との間にそんなことはできないからだ。
 ただしこういう例がある。若い女性教員がたびたび男子生徒にいたずらされ、保健室のベッドなどに押し倒されたりした。思いあまった女性教員は管理職に相談したが、我慢するよう言われた。疲れ果てた教員は同僚と相談して、警察に訴え、男子生徒は婦女暴行で逮捕された。
 これは生徒も同じで、もし医者に診断書を書いてもらうとする。つまり暴行を受けたすると、保険証は使えない。保護者は実費を払うことになる。なぜなら危害を加えた側に負担する責任があるからだ。故に多くの生徒が泣き寝入りをしている。
過労死
・参考までに。大阪で、過労死した教師の家族が労働災害の認定の訴訟を起こして認められています。この先生は生徒指導と部活で何ヶ月も夜が遅く、休日もなかったことが原因だった。教師にすすめることは、毎日、日記をつけることだ。役割の数でなく、その分掌にどれだけ時間が必要かが重要なのだ。この調査は組合でもしていない。故に、労働者の救済にならない。
通勤時間は労働時間
・会社員の例。通勤が労働にあたるか。判例では当たるとしてます。この人は会社までの通勤時間が2時間半かかりそれが過労死の原因となった。遺族が訴え通勤時間が勤務時間と認定されています。
副教材は受益者負担?
・義務教育が無償とされているが、副教材はなぜ保護者の負担になるのか。ただし就学援助(準生活保護)対象者には、後日、費用が出される。本来ならすべての児童・生徒に無償で配布すべであろう。
組合費はどのように使われている?
・組合費が選挙運動に使われたとしたら、これはむずかしいなあ。でもこれは言えるけど何で組合はあんなに紙の無駄遣いをするのだろう。毎週、猛烈な数のチラシやら新聞がくる。ほとんど読んでる人はいませんが、、、。
私立高校への出張は出張でない 
・進路出張費は公立高校に行く場合は公費から出る、しかし私立高校には出ない。だが60%近くの生徒が進路として私立を選択、あるいは併願して受験する。文部省では本来私立への出張はありえないとしているからだ。神奈川県では私立高校への出張を禁じた。しかし東京都はそうではない。都内の私立に進学したい生徒がいる場合どうしたらよいのか。
進路は進学だけでないと文部省はしているが
・進路は進学だけではない。文部科学省もそう言っている。しかし現実には、就職するものも多い。こうした生徒のためにももっと働きながら学習できる環境を整えるべきだ。技能者を育てねばいけない。その意味ではものづくり大学の考え方は間違ってない。なのにやたら学力低下を嘆き、それを教師の指導力不足にして、その割に来年度からの教科書を見ると、学習内容の大幅な削減、いや基本的な学力不足を確実に予見できる教科書を作成するのか。
経済政策に学校や公務員を利用する
・学習内容を削減せず、いきなり学校5日制にした。その背景には実はバブル期に、海外から日本の労働時間の短縮を求められたことがある。企業にそれを要求できないから、公務員で対処したのだ。実はあまり言えないが、国の中枢機関に知り合いがいたのでこっそりきいたら「まあそういう部分もあるのだ」と言ってましたが、、。これ以上は言えないが、、。

・石油ショック後、国内の購買力を増加するため政府は何をしたか。公務員に買い物をしなさいと勧めたのだ。そうした文書が上から来たと、組合を持たない公務員の人から聞きました。いや実はその場にわたし偶然いたもので、、、「これ買い物せえという、お達しなんだよ」とこの人つぶやいてました。
許せないピンポンダッシュ 2001.9.10
・この間、我が家にピンポンダッシュがあった。弟と2人で中学生7人を捕まえた。すぐ警察に連絡したらみなぶるぶる震えていた。実はこれには訳がある。我の母親は前述の通り、妄想に落ち込んでいる。夏でも締め切っていて、閉じこもりである。ただでさえ怯えているのだ。日頃いたずらされると怖がっていた。そういうわけでだれかみつけてやろうと思っていたのだ。残念ながら連中は近所の学生ではなかった。弟などは完全に切れていた。引き取りにきた母親に「どんな教育してんだよ」と詰め寄ったので私が制止した。この事件以来、母はまた症状が悪化した。ピンポンダッシュする人に言いたい。それぞれの家庭にはいろいろな人がいる。動けない人もいる。母のような例もある。夜勤で寝ている人もいる。単なる子供のいたずらですまないことがあるのだ。その辺をわきまえてほしい。おかげで苦労がまた増えた。回復までまた時間がかかる。それにしても近所で有名になってしまった。あそこの兄弟はおっかないということになってしまった。もっとも近所で3件もやられたのだから私たちが飛び出したとき、近所のおじいさんおばあさんも外へ出て「あの中学生よ」と言っていた。翌日中学に電話したら先生が出られ恐縮して他ので「私も同業者ですと」なだめたら電話口でおもわず「ホット」いうため息が聞こえた。「まあお互い立場が分かりますから先生のご指導にお任せしますよ」と柔らかく言っておいた。たぶん学生たちは恐ろしいおじさん「お兄さん」だったとはなしたに違いない。だがこれだけは言える、いたずらがいたずらですまない場合もあるのだから。
ある男の悲しい物語
2001.9.15
 ある日電車に乗ろうとした。「天野君」後ろから声をかけられた。中学時代の友人A君だった。彼の格好を見て私はすべてを悟った。かれとは中学も高校も一緒だった。高校時代彼は留年した。周りが皆優秀に見え、朝4時まで勉強したという。卒業後、僕は1浪した「来年は一緒に受験だね」そんな話しもしていた。でも彼も一浪した、やがて年ごとに彼は私から離れていった。家で暴れるようになり、精神科に通い始めた。彼が働いてないことは知っていた。だから彼が背広を着て、鞄を持ってるのが、母親の親心だということが私はすぐに分かったのだ。母親は周囲に気を遣わせまいと、彼に背広を与え、いかにも働いているような格好にさせていたのだ。「おれ精神病院に通ってるんだ」悲しい顔だった。その後今に至るまで音沙汰はない。純粋すぎてくるってしまった。まじめが何でいけないのだ。マスコミでも何でもすぐに犯罪者を普段はまじめで目立たないとか、内向的だったとか、上辺の明るさだけを求める世の中にさせ狂わせたのは、世の中だ。私だって安定剤くらいもらってる。教師は特にこうした人々への配慮が足りない。「体も風邪を引けば、心も風邪をひく」とあるカウンセラーが話してました。教師の世界は、いや今の世の中メリットシステムでなくデメリットシステムが働いてる。責任腹というやつだ。今時こんなことやってるから、新しいこともできない社会を作り出すのだ。
女性は恐ろしい?
今でも教師になった時のあの陰険な女性集団を思い出すとぞっとする。新採用の若い女性。有名な大学出身で、何をやらせてもすぐれていた。静かで言葉使いも丁寧、ピアノも弾けば、チエロも弾き、事務をあっという間にこなす。楽譜もすらすら読めるし。独身教師のあこがれだった。ところがですよ、職場に若い男性教員がいた、この人が女性教師のあこがれの的だった。2人は恋に落ちたようですが、、。お局様を中心として徹底的にこの女性教師をいじめまくってた。とうとうこの人耐えきれず、故郷に帰り、高校の先生になった。離任式の時にも女性たちが集まりこそこそ悪口を言っている。「お前らいいかげんにしろよ」思わず言いたくなったが、私もまだ教員として新しいから強いことが言えない。数年後、2人とも別の人と結婚したが、職員室で派閥があるのは事実です。特に女性に多い。悪いけど私は正直に言うよ。女性のグループ化はやめなよ。
教師の派閥
男で派閥作るのはもっと陰険だ。でもこれもあるしなあ。ある男、毎日校長を送り迎えし学年主任になった。こんな人が幅を利かせるようじゃあ教育がよくなるはずないよ。
 この人私と気が合わないのか、校長に悪口をさんざん言ったらしい。実は教師になって8年目に主任になれと言われたのだが、学年の生徒を3年まで持ちたいと断った。その間に校長が替わった。この校長と私は考えが合わず、おまけに例の男の讒言に合ってしまった。さらに追い打ちをかけるように、転勤希望を出せと言われ、体の調子や母のこともあるから電車はここがだめです、と書いたら、どこが悪いのか、医者の診断でもあるのか、こんな事書いたら不利になるから、書き直せ、と言われ通勤の配慮を消された。ところが、3月になり突然、はいここと転勤先を告げられた。家から2時間もかかる。私がこの沿線はだめと言ったではないか、と抗議すると、君はそんなことは言わなかった、などどけんもほろろ、さすがの私も切れてしまった。副担ならやると言って、ごねた。でもうれしかったのは、生徒たちが最後まで、感動的な別れをしてくれたことだった。一年生の最後の学活、私のためにこっそり大地讃頌を練習し間奏を三回繰り返し、わたしのために詩を朗読してくれた。たった一人で聞きながら「俺は校長に勝ったんだ、理屈じゃないんだ、こんな感動ができる教師がそういるか」と言い聞かせた。この話は頁作成の意味にも書いてあります。うらみは消えたが、それ以来出世(?)したいと思わなくなった。

マスコミは少しは人権に配慮しろよ
 2001.9.17

 rinさんのホームページのコラム3を見て、マスコミの今の姿勢に疑問をますます持ちます。最近のマスメディアは自己弁護と、他人批判に終始している。報道の自由の名なのもと、所詮は給料アップのためにいやがる人間にマイクを突きつけるのだ。池田小学校での事件後、報道に怒りを覚え、以下のメールをNHK、讀賣テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、日弁連、文部科学省に送った。唯一NHKだけが返事をよこした。読んでください。ちっとも反省してませんから。だって自己弁護ですよ、彼らはその手段がある、でも我々にはないのだ。そのくせ深夜になると急にSEX礼賛の番組を作り、アナウンサーがタレント化する。
私のメール
件名: 小学校での児童殺傷事件について
マスコミが被害にあった児童へのインタビューをし保護者、死亡生徒の写真を掲載しているのを大至急停止すべきだ。児童は現在フラッシュバックで危険なじょうたいである。なぜあのような無神経な報道を許すのか。

NHKの返事
いつもNHKのニュースや番組をご覧いただき、ありがとうございます。
また、大阪府池田市の小学校で起きた殺傷事件についてのNHKの放送をご覧になり、ご意見ご感想をお寄せいただきありがとうございます。
時間の経過とともに詳細が明らかになるにつれて、きわめて悲惨な事件であり、子どもたちが受けた衝撃も大きかったことがますますわかってきています。
このためNHKでは、発生当初の段階を除いて事件に遭遇した小学生に対する直接の取材や小学生のインタビューは行っていませんし、
今後こうしたインタビューを放送する予定はありません。
NHKが一般の視聴者に委嘱しているの放送モニターからも・保護者へのインタビューや学校関係者・医療関係者の談話は
人権への配慮がなされていたという報告が寄せられています
今後も細心の注意と最大限の配慮を払いながら、過去にほとんど例のない、今回の事件の真実に迫る報道に努めたいと思っております。
今後とも、NHKをご支援いただけますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。
NHK視聴者ふれあいセンター    


今後こうしたインタビューをしません!うそつき!誘拐された小学生が警察から出てきた直後待ちかねたようにマイクを突きつけたではないか!阪神淡路大地震の時、NHKの記者の後ろで、避難民の人が「お前らおもしろがって放送するんじゃねえ」と叫んでいた声があった。古いところでは、日航機墜落事故で助かった少女に、インタビューして、「○○ちゃん笑って」なんか言って写真を撮ってる。その場面その後映してないずるいよ。三宅島の子供たちが野球選手のところにいったのを執拗に追いかける。顔を背けた子がいたのを私は見逃さない。池田小学校でもたとえ後ろ姿でも撮らないことだ。もう疲れ果ているのだから、先生だって、大変なんだ。私は感心したのは、あの事件の時、整然と生徒が先生の指示で校庭に次々と整列したことだ。日頃の指導が行き届いてるのだ。でもマスコミは評価しない。阪神淡路大地震の時も、学校が避難場所になった。無名の多くの先生が、自主的に食料の配布やら班に分けてみたり、やってくれたのだ。少しマスコミは調子に乗ってるんじゃないの。

高橋尚子がドーピング?自由の国のアメリカの差別だ! 2001.10.9

ニューヨークタイムズが「高橋尚子はスズメバチのドリンクを飲んでる、これには薬物禁止に当てはまる物質がある、日本ではこのドリンク剤はどこでも手に入るものだ、寿司が大好きでこれが元気の源だ」と2ページに渡って書いてある。これをMSNの日本サイトで紹介している、そしてこの記事を友人に送るとと言う欄も設けてる。おまけにこれをスポーツ誌が取り上げてる。まるで日本人はキラービーを食べ、生魚を食う野蛮人として描かれているのだ。
 アメリカの映画でも日本人が寿司を食べる場面を異様なことのように描写してる物が多い。じゃあレアのビーフステーキはなんなんだよ。スズメバチはキラービーと訳す。これはすごく下手物のイメージを与える昆虫だ。許せないのは日本のMSNのサイトがこうした風評を流すことを許可してることだ。実に下劣だ、何でも許せるわけではないだろうが。

アフガンからの手紙と日本は自信を持て
 知人から次のメールが来た。何でもアフガンの高等弁務官の手記だそうだ。まあ公正を期すため紹介します。
以下友人のメール
NYの惨事の前日、NYから欧州に移動して難を逃れた高校時代の友人からメールが届きました。
相当硬派な彼も振り上げた拳をどこに下ろしていいか考えさせられた、と書かれていました。
私は11月はじめにインドのムンバイ(旧名:ボンベイ)で開催されるセミナーに参加する予定になっていました。改めて、地図でムンバイの位置を確認してみると、パキスタン・アフガニスタン
すぐそばなのに気が付きました。11月までに海外出張禁止が解ける可能性があるのか考えてみました。テロに対する報復、その報復に対する報復、....どこでこのスパイラルは止まるのだろうか、誰が止めるのだろうかと考えたら答えが簡単に出てこないのでゾーッとしました。どうみても、月や年の単位でなく、世代、世紀の単位でもそう簡単には収まらないと思われます。
Subject: アフガニスタンからの手紙
先ず、国連難民高等弁務官カンダハール事務所で働いていらした方、?千田悦子(ちだ・えつこ)さんという方の手記を紹介させて下さい。最近よくTVにゲストとして出演しているそうです。
千田さんは、国連難民高等弁務官カンダハール事務所で仕事をしていましたが、オサマ・ビン・ラディンをかくまっているとされるタリバンの本拠地へのアメリカの軍事行動などの危険性が出てくる中、一時的に勤務先をパキスタンに移転するという措置で、「避難」をしています。下記はその緊急避難の最中にしたためた手記だそうです。以下、千田さんの手記です。
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 報道機関の煽る危機感
 9月12日(水)の夜11時、カンダハールの国連のゲストハウスでアフ ガニスタンの人々と同じく眠れない夜を過ごしている。私のこの拙文を読んで、一人でも多くの人が アフガニスタンの人々が、(ごく普通の一人一人のアフガン人達が)、どんなに不安な気持ちで9月11日(昨日)に起きたアメリカの4件同時の飛行機ハイジャック襲撃事件を受け止めているか少しでも考えていただきたいと思う。テレビのBBCニュースを見ていて心底感じるのは 今回の事件の報道の仕方自体が政治的駆け引きであるということである。特にBBCやCNNの報道の仕方自体が根拠のない不安を世界中にあおっている。事件の発生直後(世界貿易センターに飛行機が2機突っ込んだ時点で)BBCは早くも、未確認の情報源よりパレスチナのテログループが犯行声明を行ったと、テレビで発表した。それ以後 事件の全貌が明らかになるにつれて オサマ.ビン.ラデンのグループの犯行を示唆する報道が急増する。その時点でカンダハールにいる我々はアメ リカがいつ根拠のない報復襲撃を また始めるかと不安におびえ、明らかに不必要に捏造された治安の危機にさらされる。何の捜査もしないうちから、一体何を根拠にこんなにも簡単に パレスチナやオサマ・ビン・ラビンの名前を大々的に報道できるのだろうか。そしてこの軽率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国連職員の生命を脅かしていることを全く考慮していない。1998年8月にケニヤとタンザニアの米国大使館爆破事件があった時、私は奇しくも ケニヤのダダブの難民キャンプで同じくフィールドオフィサーとして働いており、ブッシュネル米国在ケニヤ大使爆破事件の2日前ダダブのキャンプを訪問していたという奇遇であった。その時も物的確証も無いまま オサマ・ビン・ラデンの事件関与の疑いが濃厚という理由だけでアメリカ(クリントン政権)はスーダンとアフガニスタンにミサイルを発射した。スーダンの場合は、製薬会社、アフガンの場合は遊牧民や通りがかりの人々など 大部分のミサイルがもともとのターゲットと離れた場所に落ち、罪の無い人々が生命を落としたのは周知の事実である。まして標的であった軍部訓練所付近に落ちたミサイルも肝心のオサマ・ビン・ラデンに関与するグループの被害はほぼ皆無だった。タリバンやこうした組織的グループのメンバーは発達した情報網を携えているので、いち早く脱出しているからだ。前回のミサイル報復でも結局犠牲者の多くは 子供や女性だったと言う。我々国連職員の大部分は今日緊急避難される筈だったが天候上の理由として国連機がカンダハールに来なかった。ところがテレビの報道では「国連職員はアフガニスタンから避難した。」と既に報道している。報道のたびに「アメリカはミサイルを既に発射したのではないか。」という不安が募る。アフガニスタンに住む全市民は 毎夜この爆撃の不安の中で日々を過ごしていかなくてはいけないのだ。更に、現ブッシュ大統領の父、前ブッシュ大統領は 1993年の6月に同年4月にイラクが同大統領の暗殺計画を企てた、というだけで同国へのミサイル空爆を行っている。世界史上初めて、「計画」(実際には何の行動も伴わなかった?)に対して実際に武力行使の報復を行った大統領である。現ブッシュ大統領も今年(2001年)1月に就任後ほぼ最初に行ったのがイラクへのミサイル攻撃だった。これが単なる偶然でないことは 明確だ。更にCNNやBBCははじめからオサマ・ビン・ラデンの名を引き合いに出しているが米国内でこれだけ高度に飛行システムを操りテロリスト事件を起こせるというのは大変な技術である。なぜアメリカ 国内の勢力や、日本やヨーロッパのテロリストのグループ名は一切 あがらないのだろうか。他の団体の策略政策だという可能性は無いのか?国防長官は早々と 戦争宣言をした。アメリカが短絡な行動に走ら ないことをただ祈るのみである。それでも逃げる場所があり明日避難の見通しの立っている我々外国人は良い。今回の移動は 正式には 避難(Evacuation)と呼ばずに 暫定的勤務地変更(Temporary Relocation)と呼ばれている。ところがアフガンの人々は一体どこに逃げられるというのだろうか?アメリカは隣国のパキスタンも名指しの上、イランにも矛先を向けるかもしれない。前回のミサイル攻撃の時は オサマ・ビン・ラデンが明確なターゲットであったが 今回の報道はオサマ・ビン・ラデンを擁護しているタリバンそのものも槍玉にあげている。タリバンの本拠地カンダハールはもちろん、アフガニスタン全体が標的になることはありえないのか? アフガニスタンの人々も タリバンに多少不満があっても 20年来の戦争に比べれば平和だと思って積極的にタリバンを支持できないが 特に反対もしないという中間派が多いのだ。世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センターやハイジャック機、ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から死を悼み 無念の想いをやり場の無い怒りと共に抱いているようにアフガニスタンにも たくさんの一般市民が今回の事件に心を砕き ながら住んでいる。アフガンの人々にも嘆き悲しむ家族の人々がいる。世界中で ただテロの“疑惑”があるという理由だけで、嫌疑があるというだけで、ミサイル攻撃を行っているのは アメリカだけだ。世界はなぜ こんな横暴を黙認し続けるのか。このままではテロリスト撲滅と言う正当化のもとに アメリカが全世界の“テロリスト”地域と称する国に攻撃を開始することも可能ではないか。この無差別攻撃や ミサイル攻撃後に 一体何が残るというのか。又 新たな報復、そして 第2,第3のオサマ・ビン・ラデンが続出するだけで何の解決にもならないのではないか。オサマ・ビン・ラデンがテロリストだからと言って、無垢な市民まで巻き込む無差別なミサイル攻撃を 国際社会は何故 過去に黙認しつづけていたのか。これ以上 世界が 危険な方向に暴走しないように、我々も もう少し 声を大にしたほうが良いのではないか。アフガンから脱出できる我々国連職員はラッキーだ。不運続きのアフガンの人々のことを考えると 心が本当に痛む。どうかこれ以上災難が続かないように 今はただ祈っている。そしてこうして募る不満をただ紙にぶつけている。 千田悦子    2001年9月13日 筆
   ************.
  「手記」はできるだけ広範囲の方々に読んでもらいたい、ということですので、 他の方に紹介してくださってけっこうです。
以上が知人のメールです。
 でも個人的にはテロは絶対に許せないし、どちらの報道が正しいか全く分からない。実際疑わしいのは事実なのだから、そして、そのあと嫌がらせもあるのも事実。
 日本で悪いことをする外国人にはがまんできないし、人権権団体が行き過ぎた人権擁護をしてるのも事実。去年、入国審査を突破しようとした中国人に入国管理官が暴行を働いたとして懲戒免職になっている。そんな馬鹿な話しがあるか。今成田には「最近この場所を突破しようとする外国人がいます、これは絶対にしないように」と日本語で書いてある。なんだこれは!シンガポールでもタイでも入国前に機内で、国内でしてはいけないことをパンフレットやビデオで見せる。
日本だってすべきだ。来年、ワールドカップがある。もっと入国審査を厳しくすべきだ。警官を配置し、逮捕してかまわない。いや入国管理官は司法権があるのだから、逮捕することは当たり前の行為だ。はっきり言って拳銃を携帯する警備が必要な状況なのだ。来年来るフーリガンは日本人が考えるほど甘い者ではない。試合後、国内で何をしでかすか想像がみんなつくだろうか。改札突破、無銭飲食、タクシー・電車、無賃乗車、車内でのらんちき騒ぎ、女性への暴行、遮断機の降りた踏切突破、今の日本に彼らを取り締まる力があるか、危機管理システムはお粗末すぎる。東南アジアで欧米人のみならずアラブ系、中国系の非道徳的な振る舞いは、目に余る。日本人はこれでもまだおとなしいのだ。最近は少々違ってきたが、、。

 
偉そうに女性評論家が「外国では人の前を横切るのも失礼なのですよ、こうしたことも理解して対処するのが国際化ですよ」と話していた。冗談じゃない。
 じゃあ今、路上で物売りしてる奴らどうなんだあ。渋谷の井の頭線の構内、バンドが出たり、物売りがいたり無法地帯だ。六本木の土曜日、外国人が平気で、地下鉄の自動改札機を乗り越える。日本人を馬鹿にしてる。新宿ではマンションのほとんどが不法滞在者で占められている。日本のやくざが保証人になってるから、実際は日本人が住んでることになってる。事実上、マンションがやくざに乗っ取られているのだ。ここ毎年、ハロウインの日、新宿駅は外国人が騒ぎ電車がストップする。最近は日本の若者がそれに同調してる。
それぞれの国にはそれぞれの歴史があるし文化がある、それを守れる人なら日本に来て良い。我々だって移民をして苦しい思いをして、その国の人になったのだ


テレビは差別を助長している2001.10.23
上の文を書いた後、私が外国人を差別してるみたいにとらえられたらしい。よく読めばそんなことは書いてない。むしろ私は、子供の頃、父親の関係で家には毎年200人の外国の人が泊まっていった。それ以外に、実際5人ぐらい同居、まさしく同居だった。私には今更、国際理解などと言う言葉は不要だ。何十年も前にすませてしまった。そのせいか、言葉や行動が変わってると言われるたびに苦しい思いをした。
 教師になっても同じだった。変人扱いだ。私の生育歴を話しても理解しようともしない。それで人権など口にするな!国際理解などと大きな口を利くな。
 私には世界中に知人がいる国連付属の小学校の校長?もうやめたかな、ジョージ・ダイモンド夫妻、フランス国立教育研究所のジョエル、プランティエール女史、オーストリアのクルト・シュミット氏(天皇陛下かから勲章をいただいている)、スリランカのDR.ソイサーサー(もうなくなられた:ウイッキーさんは彼の親戚筋だ、彼も我が家に宿泊したことがある)韓国の李東雲氏(ソウル大学とハーバード大学を出られた医師)、みな我が家の知人である。
 それ故に私は、本当の外国人(この場合は、どこの国にいっても、自国のアイデンティティーを持ちながら、その国の文化や習慣を大切にする人のことだ)知っているつもりだ。
 以前勤めていた学校で、ALTが来ると急に張り切る英語の先生がいた。急に態度が、アメリカ人になってしまう。なんだ、それは?それほど自分に自信がないのか?私を非難しておきながら、アメリカ人の、おおっぴらなユーモアは許す、なぜだ?それはその人の劣等感の表れにしかすぎない。
 テレビはどうか。世界のびっくり人間とか、タレントの探訪記など、外国の食生活をさもおかしいもののように放送してるではないか。私は今でもブッシュマンのニカウさんを日本に連れてきた番組を許せない。
 アメリカの映画などで、日本人が寿司を食べている場面を皮肉って描いてるではないか、それにはわれわれは不愉快な気持ちになる。同じことでしょ。私に右翼とか国粋主義者のレッテルを貼る人もいる。特に教師にはね。それは話しの方向を変えているよ。私は盾の会のメンバーも知人にいた。過激派もいた、だがいずれでも私はない。よほど分類が教師は好きなんだね。
 どこの国でも、独自の歴史や風土がある、それをお互い尊重しろと言ってるだけだ。なんで欧米のまねを強いるのか。日本人で改札を突破したら捕まえるでしょ。入管を乗り越えたら罪でしょ、なんで捕まえようとした入管職員が暴行罪で免職になるんだ。拳銃を向けた警察官が職場復帰したではないか。あの入管職員も復帰させろよ