水の子供
                          昭和六十二年四月
水の子供が遊んでいた
冬の夜の光の中で
子供達は光の筋となって
円を作った
そのままの形で
地上舞おりた
翌朝、一家の主人が出かけるころ
フロントガラスに
踊っている子供たちの姿がそのままで
やきついていた
子供たちは
主人が出かけるころ
再び光の中へ帰っていった

また炎の結晶を作るために


                                

一行詩
                          昭和六十二年四月
心の中だけが陽だまりの縁側の座ぶとん

テロによってなくなられた方に、また世界平和を願い、私のつたない詩をささげます。2001.9.16

   ユ ダ の 涙
                          平成13年(2001)9月
金袋を握りしめ、ユダは泣いたのか?
 「いや、あなだ」
を他の信徒も聞いたのだろうか
聞いたのだったら、なぜユダを捕まえなかったのか

どうしてユダは後悔したのだろう
どうして裏切りをおそれなかったのだろう
どうしてその時悪魔は彼に入ったのだろう
どうして自殺したのだろう

ただ一人、救われることのない人間として生まれた男

同じ裏切り者のペテロは許された

原爆を運んだ男
原爆を投下した男
原爆を作った男

原爆に焼かれた人・・・

私の顔にユダがいる
みんなの顔にユダがいる

運命をキリスト教は認めない
摂理は永遠の愛だから
選択は自由だから

私の手にも
みんなの手にも
原爆のスイッチはゆだねられている
キリストと金との選択が許されている

でもユダは泣いたに違いない

私も泣こう

そんな心でいたいね

そんな心で僕もいたね
満員電車の女学生

何の本を読んでほほえむの
活字の世界が
あなたに何を語っているの

このおじさんも
昔はそうして眺めていたよ

見えない世界にあこがれて
見えない人に恋をして
見えない世界に泣いていた

まわりのおじさんも
おばさんも
みんなこわい顔をしているよ

きっとつかれてしまっているんだね
本の外の世界は疲れるね

そんな心でいたいね
静かにほほえんでいたいね
                            1993秋季号

それでも床は掃く

それでも床は掃かねばならない
渋谷のビルに
たむろするのは何故か若者
その下で床を掃く
同年代の女性
うつむきつつ何を考えているのか
名札には漢字一文字

それでも床は掃かねばならない
日本の若者がやりたがらない床掃きを

いっそみんな掃き出してしまいたいだろう
ビルにあるものはみな
何一つとして日本のものはないのだから・・・・

それでも床は掃かなければならない
                                      1992夏季号
                今までの投稿で、唯一この詩だけが本欄採用だった、、。

凝固


夕方
音もなく木は上を指している
私は しがらみを脱いでいる
一つの固まりになる
仕事も女も地下水になっていく
境内は都会の中に
私の田舎を作っていく
フィルターの様な世界が広がる
その中に幼い私がいる
そして母が私を連れて歩いている
すまなさと さけびたい気持ちをかみしめて
私は固まったままであった
からみつく糸は切らずにおこう・・・
                                        1992春季号

生命の木

心の中の木
木を思う時 時が止まる
時が止まる時木を思う
子供の頃
千里の山奥で見た
黄色い大地に濃い緑の葉を生い繁らせ
立っていた ひときわ目立つ
野原の真ん中にはその木しかなかった
大きな木
南洋の諸島にある生命の木
中国の奥地にある宇宙の木
燃えるモーゼの芝の木
八重垣神社の奥に立っていた木
ずっとずっと何万年も昔かもしれない
私の遺伝子が伝える
生命の木、平和な気分をかもし出してくれる
ひょっとしたら
宇宙からふってきたのかもしれない
生命の源からふってきた
生命体かもしれない
私の存在が
その木を探している
                                        1991春季号

   アトムの子供

   
手塚治虫が死んだ日、僕はまぶたに
「漫画の神様」の場面を思い出した。
彼の創作した主人公たちと誰もいない街を楽しそうに歩いていく場面だ。

漫画家も小説家もさびしい人なんだなあ
作品が一人歩きして
新しいレッテルをはられて

主人公は彼の分身?
彼の世界が安住の地なんだろうか

でもアトムは生きている
今も生きている

いつまでたっても、子供のまま大人になれないアトム
君もさびしかい
でも君は理想的な人間だったよね

生みの親に捨てられて
それでも人間になりたくて
機械のくせに涙を流し
恋をして
また恋をされ
誰とでも、宇宙人とでも、悪人とでも
友達になって

もうじき君の生まれた2003年がやってくる
もし君が本当に生まれたら、、、
もっと涙を流すのだろうか、、

小さな小さな大人になれない子供
そう、僕のあだ名はアトムなんだ
君と同じだよ

                                    2001冬季号

悲しいライオン

ライオンはほえている
ライオンが真っ昼間ほえるなんて
動物園としてはめずらしい
周りから歓声があがった
もっとほえろと、
人間のほえる声が聞こえる

ライオンはもっとほえた
そろそろと前に出てきた
ウオーッとどよめき
そしてまたほえる
観衆は喜んでまた人間のほえる声

檻には紙くず、空き缶、ビニル袋、、、
ライオンは足をひきずっている
「病気だ、かわいそうに」
でも人間はほえるのをやめなかった

マニラの動物園
ライオンは悲しい
人間様だって食べるのが精一杯
動物にかまってられない

ほえる人間も分かってる
分かっているが
しょうがない

ライオンも人間もほえている
悲しいマニラの動物園

                                2002春季号

車窓の時
                   

電車の中でうとうとしていた
何となく窓を見た
そのときすぐに分かったのだが、、、

急停車した車内で放送を聞いた客は意外と沈
着だった、席を立った者はあまりいない

窓を開け外を見てる者もいたが、、

これで二度目だ今年になって。なぜかいつも
顔を上げた時に起こるのだが、、

色々考えるのだ、その人の人生とか、家族と
か。

窓をグレーの布が横切ったのを見た(意外と
ゆっくりなものだなあ)

形は見えなかった、電車は走っていて、真下
に落ちたのだから横に流れるのだろうが、こ
んなにゆっくりしたものなのか。

車体はかなり揺れたから転覆するかと思った
が、、

実際上下に揺れた、レールから浮き上がった
感じがしたから

それも二、三度かな

急ブレーキは徐々にかかったから運転手も見
たのだろうか


車掌のアナウンスも停止後すぐだから、連絡
したのだろう


座っている乗客と立ち上がってみてる乗客と
どちらが倫理的なのだろうか、
どうもつまらないことを考えていた

電車は十五分遅れで出発した、手際のいいこ
とに、数個目の駅で車両交換だった

時間はいつもと同じように過ぎていく
私の時も同じように

                               2003秋季号

俺は日本一の板前      

板前になった
学年全体の前で君は
「ボクは就職する、立派な板前になる」
そう宣言したね
「早く食べに来てくださいよ」
三年目ようやく店を訪ねてみた
「お前の得意料理はなんだい」
「巻物だよ」
仲間がけんかする時
「あいつを呼びに行かせるから先生止めてく
れ」

そいつが君だったよな
「こんな先生見たことない、見てるだけでと
んでもねえ先生だと思ったよ」

と笑って言う
「当たり前だよ、ケンカしていいって言える
かよ、それにあいつは本気でやりゃあしな
い」

他の先生みんなびびってたなあ
「先生今日はゴチになります」
中退した仲間だった
「今は通信でやっと高三になります。先生幼
稚園の先生になるにはどうしたらいいんです
か」

そうか、子どもが好きなんか
不登校に、中退、ケンカ屋
みんな俺の後輩だな
私も9年遅く先生になったからなあ
今でも落ちこぼれ
出世街道はずれても
もう主任なんか拒否してる
いいんだよ
頭でっかちはそんなにいらないんだ
ゆっくり生きて、目標探せよ
大切なことはそんなに多くない
自分にも言い聞かせて寿司を食べた

                               2004夏季号

夜中の電報
                          
電報が来たのよ、夜十二時に
でも電報屋さんの電文を
他の人がくしゃくしゃにしたの
おかあちゃまはかわいそうだから
「これは電文ですか?」って聞いたのよ
最後に
「○○さんすみません」っておかあちゃまの
結婚前の名前を言って

電報屋さんが泣いていたの

痴呆の母の話だった
遠い昔と、今の時代が重なって
夢と現実が一緒になって
私はうなずいて聞いてた
私は劣等生だった
母は英文科を主席で出た
私が先生になったら喜んだ母

強制入院だった
職場で
「だから先生もおかしいんだよな」
「誰にでもあるのよ」
「昇降口閉めてから帰ってくれよ」
「女房が風引いたんだ、後お願いします」
母は暑さの中でおびえて
閉めきった部屋で脱水症状を起こしていた
あの時早く帰宅させてくれていたら、、、
まあ、愚痴を言うのは男じゃないな
私は今母の先生
昔、体が弱くて学校に行けなかった私に母は
九九を教えてくれた

私は母に教えることはできない
「うんうん」と聞いているだけ
昔の世界が今見えている
母は幸せなのかもしれない

                               2004秋季号
俺は少々先生やりすぎた

町を歩くと、つい小言を言いたくなる、テレビをつけると腹が立つ、若い奴の嫌なところばかり目についてくる
「フアッションは自由です」
もっと他のことで自分を磨けよ
「夢はバンドです」
みんなが生産しくなったら日本はどうなる「人間は平等です」年長者を敬えよ
「手本になる人がいませんから夢がもてません」
生き方は自分で考えろよ
最近は四十代、三十代にも腹が立つ
「昔は公務員にはなりやすかったけど、今は難しいんです」
偏差値の分布なんて変わっているものか
「団塊の世代が高い給料貰いすぎなんです」
よせやい、バブルの頃にお前らの給料と格差が縮められたんだ
「○○知ってますかあ」「同じ仕事してください」
俺はさんざんやってきた、文句も言わずに家族も自分も犠牲にしてきたんだ、おかげで今は療養休暇、定年後は仕事も金もないんだぜ

地震でボランティアしている若者、少しの暇を見つけ旅をしている若者、海外に協力隊で行く者、部活に汗流す生徒
テレビを見た、小学生の兄妹が、お金が無くて、挙式できなかった両親に、手作りの結婚式をプレゼントしていた
泣けた、俺は何をやってきたんだ、まず批判ありき、いつの間にか俺も嫌な教師になっていた、世の中美しく見てみよう
「先生早く良くなって、寒いシャレを言ってください、待ってます」
数少ない年賀状・・・・
そうだなあ、この地球をもう一度冷やしに行くか

                               2005春季号

目次に久しぶりに載せてもらった。嬉しかった。11月から療休で、思いのまま書いた。ホントの気持ち・・・。

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