2005年10月14日(モスクワ時間)


−−様 (編注:失礼ながら、Webのお約束で、一応伏せさせて頂きました。)

メール大変有難う御座います。

ここに掲載してみたウェブ写真は、何年も前に試験アップロードしてみたweb開通テスト写真を除けば、これは私にとって生まれて始めてのものなのですが(笑) このようなメールを頂きまして、作ってみた当人としては甚だ嬉しい限り、お礼申し上げます。

お礼方々、少し種明かしをします。これらの写真は今のロシアであり、また、ソ連でもあります。つまり、これはソ連時代からちっとも変わっていない「現実と光」なのです。 ソ連時代に日本人が抱いていたソ連のイメージ、今の時代に日本人が抱いているロシアのイメージの境をなくして「根底は何も変わらないんだ」と言おうと試みた点が、 結果的にはですが、暗に意図したところといえば、ところです。

ただ一部分、ミヤシショフ3M“バイソン”爆撃機に、ソ連時代当時に西側が抱いていた「ソ連のイメージ」という皮肉、また、当時世界無比の技術力で開発されたもの ソ連崩壊で朽ち果てたベリエフ14M1P試作水上機に、また、廃墟となったソ連時代の国営工場群(今のロシアにはこんなのが腐る程残っています)に、 ロシア人の一途で素朴で善良な価値観に大きな影響を与えたソ連崩壊後の90年代前半のハイパーインフレという一大事件(私は個人的にこの出来事を非常に 憎んでいます)に対する皮肉をこめたつもりですが、少なくとも、これらも、国の外枠は変わっても、あくまで、「ロシア」が経験してきた個々の現実に変わりはありません。

あと、もう一つ、ロシア人にとって、大祖国戦争(第二次世界大戦をロシアではこう呼ぶ)のトラウマは、日本人にとっての「太平洋戦争、B29、原爆」と同じか、 それ以上のものがあります。ソ連時代は、半分は国策で巨大な追悼モニュメントがたくさん立てられました。それらに対する人々の特別な想いは、国の体制が 変わった事によって消えさる性質のものでは到底ありません。ソ連時代に建てられた大祖国戦争追悼碑を足蹴にする人など一人もいませんし、むしろ、 この記憶を消さぬよう、ロシアになってもさらに新たな碑が建てられ続けています。(小走りで走る少女の背景に写っているのは、実はこの村の大位祖国戦争 戦死者追悼碑だったりします。)

あまり種明かしをしてしまっては面白くないのでこのへんにしますが、アルセニーの「いのち、いのち」という詩に、そしてそれが劇中で読まれた映画「鏡」に敬意を表して、 これら作品に少しだけ別の見方からアプローチしてみた、といえば、タルコフスキー親子の名作に対して非常に恐れ多い限りですが、結果的に、少しでもそれが 感じられたとすれば、幸甚です。 勿論、これを最初から意識して写真を撮っていたわけではありませんし、結果的にそうなったかな、という所です。人それぞれの感じ方で楽しんでいただければ、 作って見た甲斐があったというもので、甚だ嬉しい限りでございます。

ご参考までに映画「鏡」に寄せられた評を以下に転記しますのでご参考になれば幸いです。

“黒澤明が逆説的に語る「幼い頃の思い出が理路整然につながっている筈がない。/ きれぎれの思い出の断片の奇妙なつながりこそ幼い頃の思い出の詩がある。 / そう思って見れば、こんな判りやすい映画はない」という言葉をそのまま受け止めるかどうかは別にして、この映画を見たロシアの女性がタルコフスキーに送った私信には 「あなたの『鏡』には感謝しております。/ 私にもあのような幼年時代がありました。・・・ただそれについてあなたが知っているはずはありませんね」と書かれていた。 つまり一見難解なこの映画の「私」はタルコフスキー自身であると同時にロシア人であり、ドキュメンタリーフィルムから引用される1934年ソ連成層圏飛行やスペイン戦争、 第二次世界大戦などロシアにかかわる歴史的現実を統合する「鏡」という作品は、まさに一個人の記憶を超えたロシアの時代的映画とも言えるのだ。”

(出典「タルコフスキー Testaments by Andrey Tarkovsky / WAVE26」発行:WAVE)

以上ながくなりました、すみません。


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