Nummer eins


「そうか・・・俺が解らないか・・・」

哀しそうに青年は言った。どうして彼はそこまで悲しむのだろう?

「あなたは・・・誰・・・?」

恐らく彼は俺が誰かを知る人間。それは解るのだ。でも、関係がわからない。
どうも俺は記憶喪失らしい。基本的な知識は忘れてはいないので、生活そのものに不自由はなさそうだが、どうやら人間関係、俺自身、そして、それにまつわる記憶がすっぽりと抜け落ちてしまったようだ。つまり、マンガでしか起こらなそうなことを体験してしまった、幸せといっていいのかどうかはわからない男ということになる。
後で医者に聞いて解ったんだけど、俺のこの頭の原因は分からないらしい。普通は事故によるものか、心因性かというものが解るらしいけれど、こういう事情により、原因は断定できないみたいだ。すぐ戻るか時間がかかるかは不明だから覚悟を決めておかなければいけない・・・そう言われた。

「俺は鷺沼光輝。お前、鷺沼瞬の兄だ」

どうやら俺たちは兄弟であるらしい。すると俺が目を覚ましてから初めて見た身内ということになるんだけど、どうしても他人事にしか感じられない。
まぁ、わざわざ俺に嘘をついても仕方ないと思うので、それは信じようと思う。
それに、初めて会った男に警戒心がなさ過ぎると言われるかもしれないけど、本気で俺を心配してくれるこの人なら、真実はどうであれ、兄であってもいいと思ったんだ。

「そう・・・兄さん・・・悪いけど教えてくれないかな。俺、どうなったの?」

兄さんという言葉に彼は目を伏せた。自分で兄と言っておきながら、どうしてそんな苦しそうな顔になるの?だけど、その後の答えが俺からそれを忘れさせた。

「俺の・・・せいだよ。あの日、俺とお前はドライブしていたんだ。それで、俺はハンドル操作を誤って事故を起こした。お前の記憶を奪ったのは・・・俺なんだよ」

悪かった、そう言って彼は弟であるらしい俺に頭を下げた。俺は恨む気にはなれなかった。
正直、記憶、しかも人間関係という大事なものを失った苛立ちはないわけじゃない。
でも、怪我をしている彼の前で、どうしてそれを言える?

「そうなんだ・・・。でも、いいよ。身体は無事だしさ・・・」

俺にはそれしか言えなかった・・・。




「よぉ・・・記憶喪失だって?」

リンゴをむきながら俺と同い年そうな男が声をかける。彼、鷲尾修一郎は俺の親友らしい。

「う〜ん・・・何がなんだか分からないんだよね。夏休みだからよかったけど、これが学期内だったらもっと大変だったかも・・・」

うん、好奇の対象にされただろうな。ご都合主義なことに、勉強に関しては覚えているみたいで差し支えないから、そっちのほうが頭痛の種になりそうだ。

「じゃぁ、教えてやろう。俺とお前は恋人同士だったんだ」

嘘だな。俺は即否定した。男同士だからではない。俺の直感がそう告げたのだ。

「・・・つまらんな。ちっとは動揺してもいいのに」

ぶつぶつと言いながら切り終えたリンゴを渡す。皮は切れずにつながっているので、彼はなかなか手先が器用なようである。俺はその皮のほうを見ながら言う。

「いや。動揺してるよ。どうしてすんなり否定できたんだろ・・・」

う〜ん・・・彼は首をかしげた。そりゃ、本人がわからないことだ。他人ならなおさらだろう。

「そりゃまぁ、ホモだもの。普通は否定するけど。でも、お前はそれが理由じゃないんだろ?・・・俺は医学には詳しくないからなぁ。でも、脳がやられてないなら、そういうことがあってもいいんじゃないか?」

「俺の記憶、戻ると思う?」

何となく、聞いてみた。若干不安はあるけれど、俺自身は別に思い出さなくてもいいと思う。新しい想い出を作っていけばいいだけだ。でも、兄さんがすごく寂しそうなんだ・・・。

「焦らなくてもいいんじゃないか?よくあるだろ?思い出したいときに思い出せないくせに、ふとした瞬間に思い出すってやつ」

言いたいことはわかっている。でも、それは今は思い出せないと言われているようで、やっぱりちょっと焦る俺なのである・・・。


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