Nummer zehn
それから俺たちは元の兄弟に戻った。
つい数日前の出来事は夢だったんではないか・・・そう思いたかった。
しかし、それが夢ではないことは、俺も兄も判っていた。
やっぱり俺たちは舞台に立って演じている。
それが恋人からちょっと休憩時間があり、仲のいい兄弟に移っただけ。
兄は俺を弟として可愛がり、俺は兄に従順な弟をやっているけれども、
俺も兄もそんな「相変わらず」である生活にほころびが出るのを恐れている。
約束どおり実家に戻ろうとしたけれども、それは母に止められて、相変わらず・・・ということだ。
何かが変わっているようで、何も変わっていない。
何も変わっていないようで、何かが違う、そんな矛盾の日々を俺らは送っている・・・。
水をやっていないのに、相変わらず勿忘草は枯れていない。
やはり、相も変わらず俺の気持ちは昇華しきれていない。
枯れたら諦めもつくのだろうけれど、どうしたことか、相も変わらず青々としているので、俺は区切りをつけることが出来ない。
いや・・・どうも最近俺もこの花も枯れるどころか、勢いがよくなっている気がしてくる。
結局諦めるのは無理か、そう思った途端得体の知れない可笑しさがこみ上げてくる。
もし諦めることが出来るのなら、二回も好きになんかなるはずがないのだ。
こうなったら当たって砕けるしかない。そんで滅茶苦茶に振ってもらえば、俺もこんな人を好きになって後悔した、と思えるのだ・・・。
『話があるの。待ち合わせはあの喫茶店。時間は・・・』
俺の携帯宛に一言メッセージ。何故かその声の主は鷹司さん。本当は行きたくなかったけれど、それを察してか、
『まさか行かないなんて臆病で男らしくないことは言わないわよね?』
嫌みったらしく言われる。俺に選択肢などあるはずがなかった・・・。
指定された場所に行くと、すでに待っていたらしく、彼女は手招きした。
正直、気は重かった。兄さんが好きであろうこの人が俺を呼んだということは・・・想像できることは一つしかないし、それを無視できるほど俺も図々しくはない。
「こんにちは。相当警戒しているみたいね」
「俺の気持ち・・・知ってるんでしょう?単刀直入に聞きます。俺にあの人を諦めろ、そう言いたいんでしょう?」
「そうね。瞬くんが光輝君に抱く気持ちは、許されるものではない。所詮ホモだものね・・・」
容赦ない刃に俺の身体が動かなくなるのを感じる。
この人は嫌でも俺が逃げたい事実を的確に突きつけてきた。
おそらく俺がどんな反応をするか予測がついている上でこう言っているのだろう。
「君も普通に弟をやっていればよかったのにね。変な色目を使うから、彼も事故に遭って、左目を失うのよね」
俺が動けないのをいいことに、とうとう事故のことを持ち出してきた。俺は耳をふさぎたい気持ちだった。
「ここまで言えばわかるでしょ?あなたがね・・・邪魔なのよ。たかが弟の分際であの人に気にかけられるあなたの存在がね・・・」
「それは俺に消えろ・・・ということですか?」
「そうは言わないわ。そんなことをすれば、
彼はどうせ・・・それを気に病む。
だから、全てを忘れて元のように普通の弟をやっていればいいわ」
彼女の言いたいことはわかる。
俺もそうしたかった。
でも・・・もう後悔したくない。
同じ後悔するなら、嫌われてもぶちまけてからにしたい。
「ふふ・・・やっと生き返ったみたいね」
は?俺はその言葉を疑った。
「心配だったのよね。瞬くんの目に輝きがなかったから」
「えーっと・・・何が言いたいんですか?」
「つまり、あの腐りきった光輝君をどうにかしてほしいということ。彼、最近滅茶苦茶機嫌が悪いのよ?」
その言葉が信じられなかった。確かに俺たちは仲のよい兄弟を演じてはいたけれど、機嫌の悪さは微塵も感じることが出来なかった。
「でも、鷹司さんは・・・兄さんのことが・・・」
「ふふ。あんなブラコンを好きになるはずがないわ」
「ぶら・・・こんですか・・・」
「知らぬは本人ばかりなりってやつね。大学でもやる気のなくなるくらい自慢していたわ。そのくせ、誰にも会わせようともしないで。もっとも・・・やっぱり君にそういう気持ちを持たれたのはショックだったみたいだけどね」
ショック・・・確かに実の弟からそういう目で見られればショックだな。
「でも・・・それ以上にショックだったのは、あの事故だったみたい。
多分君以上にね。
ずっと・・・自分を責めて。私は会わなかったけれど、噂にはなってた。その後は、君のほうが詳しいでしょ。君も、光輝君も、ずっと時間がとまったまま。だから・・・いい加減」
最後まで言わなかった。それが彼女なりの応援だとわかったのに気づいたから。でも・・・
「本当に・・・いいんですか?兄さんは鷹司さんが・・・」
「別に構わないわ。私達の間に恋愛感情はないから。って・・・瞬くん?
あなたどさくさにまぎれて聞き捨てならないことを言ったわね?
どうして弟しか目に入っていないような男が私を好きになる必要があるの?教えてほしいわね」
えっと・・・心底嫌がっているようなので、俺はそう思った理由をかいつまんで話した。
「光輝君もなんというか・・・
かわいそうね。
よくよく自分の頭を整理してみなさい」
なんか遠い遠い方向に哀れみの視線を向けられ、俺はその通り整理することにした。
俺は光輝兄が好きだ。
でも、光輝兄は俺にそういう気持ちはない。
だから、俺は自分の気持ちを忘れて欲しいと、意味を勘違いして勿忘草をあげた。
しかしその意思に反し、光輝兄は・・・
ちょっと待て。
俺はとんでもない勘違いをしていたことになる。まさか・・・そういうことなのか?俺の背筋が一気に凍る。
「やっと判ったのね?」
「え・・・でも・・・そんなことが・・・」
それでも信じたくない俺がそこにいる。
「やってみないとわからないでしょう?」
「その・・・ありがとうございます」
「別にいいわ。条件を飲んでくれれば」
条件?聞き返した俺に彼女は軽く舌を出した。
「今日あったこと、今日話した内容は絶対光輝君には黙っておくこと・・・いいわね」
思いやりかと思ったけど、その顔が悪魔と形容するのにふさわしく、俺は震えながらハイとしかいえなかった・・・。