Nummer acht
それが空白だった俺の記憶。
そして・・・何故俺は記憶喪失になったかの本当の答え。
鵜飼先生は俺の記憶喪失の理由がどちらかは分からないと言った。
しかし、実際には両方だった。
事故による脳への衝撃、そして・・・
消してしまいたい記憶。
俺が兄さんを事故に巻き込んだんだ。俺が兄さんから左目の光を奪ったんだ。
俺はずっと記憶を取り戻したいと思っていた。
その理由は兄さんに自分を見てほしかったから。
だけど、もし俺の記憶がそんな血にまみれたものだと分かっていたら、思い出そうなんて思わなかった。
心に鍵をかけて、兄さんにとっていい弟を続けていた。
兄さんも何も知らない俺を優しく扱ってくれただろう。
記憶を失った『俺』は俺に嫉妬し、記憶の戻った俺は『俺』を羨む・・・。
これが皮肉でなければ、何を皮肉と言うのだろう?
それだけならまだ良かった。でも、もう一つどうしようもない事実が判明した。
俺は光輝兄のことが好きだった。
つまり、同じ人を二度も好きになってしまったんだ。哂えるよな。
この気持ちを忘れるつもりであの花を渡したくせに、忘れたら忘れたでまた好きになってしまったんだ。
俺はどうすればいい?全てを思い出してしまった以上、前と同じ顔なんかしていられないよ。
ここで俺は一枚の名刺を思い出す。何かあったときに相談するようにと渡された一枚。
でも、一人で相談するのが恐かった。だから俺は修一郎に相談した。彼は俺の話を聞いて最初は驚いたけど、黙って俺についてきてくれた。
その人、鳩山先生に電話でアポをとろうとしたら、予約がいっぱいで後にしてくれと言われた。空いている時間を聞くと、時間外で、夜だったから、修一郎が来てくれるのは心強かった。
「あぁ、君が瞬くん?鵜飼先生から話は聞いてるよ。悪かったね、営業時間内だとお金取らないといけないから」
「どういうことですか?」
「いや、君の悩みは僕の範囲外だと思ってね。お金を取るのは詐欺になりそうだから。友達感覚で話してくれていいよ?」
いや、そうは言われても、一応こっちは相談してもらう身なわけで。
「あぁ、気にしなくていい。これが料金だけの働きが出来るとは思わないから」
「鵜飼先生?その言い方は傷つきますよ。せめてきっかけを与えることしか出来ない、と」
気がつけば鵜飼先生もそこにいた。どうしてだろう。
「悪い悪い。あぁ、鳩山先生から電話をもらってな。主治医だった私が立ち会ったほうがいいという判断で来させてもらったよ。嫌であるなら帰るが」
「いえ、構わないです。多分気づいていると思うんですけど、俺、記憶が戻りました」
「そうか。その分だとあまりいいものじゃないんだな」
「そういうことです。本当に・・・思い出さなければよかった・・・」
二人の医者は何も聞くことはしなかった。ただ俺が全て話すのを待ってくれていた。
「それは思い出したくなかっただろうね。どうしてほしい?」
俺は考えた。嫌なことを思い出して、それをこの人たちに話して、結局何がしたかったのか?それは・・・
「また、忘れたいんです」
記憶を封じ込めて、偽りの日々を過ごすこと。『俺』でいること。それが俺の願い。
「記憶操作か・・・出来ないことはないよ。君は忘れることを望んでいる。それなら暗示にもかかりやすい」
鳩山先生は俺の考えに理解を示してくれた。修一郎は複雑な気持ちだったようだけど、俺が楽になれるなら、と渋々了解してくれた。しかし、鵜飼先生は難色を示した。
「私は賛成しかねるな。君の気持ちは解らないでもない。それは当然の流れだ。しかし、酷なことを言うことは自覚してるが、それでは何の解決にもならんよ。何故か解るかね?今暗示をかければ、確かに表面上は消えるだろう。だが、また思い出すことになる・・・それで、また暗示をかけるかね?それでは君自身が持たん」
「それでも・・・いいんです。持たないならそれはそれで・・・」
「よくないさ。それに、
生きてきた足跡は、誰にも消すことが出来ない
」
「じゃぁ、どうすれば!俺はどうしたらいいんです!?」
「一週間・・・君に考える時間をあげる。ゆっくり考えなさい。
これから先は相談の範囲を超える。
瞬くんの人生そのものを変えてしまう以上、君や、こちらの独断だけで行うことは出来ないから。
それで、本当に必要という結論なら、家族立会いの下で行うことにする」
わかったね?有無を言わさぬ迫力に俺は従うことしか出来なかった・・・。
「修一郎・・・俺はどうしたらいいと思う?」
途方にくれた俺は彼に意見を求めた。俺の気持ちに賛成してほしかった。
「悪いな。本当は俺もお前が記憶を失うのには反対なんだ」
しかし、彼の口から出たのは残酷な答え。
「お前には・・・解らない。今俺がどれだけ・・・」
「でも・・・忘れ去られる身にもなってみろよ」
「だけど・・・頭が割れそうなんだよ!お前には・・・解るもんか」
「・・・そんなの・・・お前じゃないから知らねーよ」
うじうじとした俺に対する冷たい一言。これに俺もぶち切れてしまった。
「もういいよ!お前に相談した俺が馬鹿だった!」
ちょ、ちょっと待て!そんな彼の制止も振り切って俺はそこから走り去った。