密室に二人だけ、そんなシチュエーションも最高だな、やましい気持ちになりかけ、急いで頭から振り払う。景色は最高だった。夕方に乗ったせいか、ちょうど地平線に日が沈みかけ、地上を浄化の炎で焼き尽くそうとしている。毎日同じものを見ているはずなのに、今日はいっそう輝いて見えるのは、目の前の少年の影響だろうか。
そして輝く空が深淵の闇に侵食されていく。全ての生あるものの祖である太陽は力を失い、じわりじわりと空は黒いヴェールに包まれていく。自分たちが浮遊し、ちょうど頂上についたころには天空を完全なる月光が支配し、闇の世界の主として君臨していた・・・。
亨も沙耶も言葉を発することが出来なかった。この沈黙が苦しい。神は自分の心を見透かしているのだろうか。自分の心が恋に塗り換わるのを嘲笑っているのだろうか。早く魔法が解けてほしい。時計の針を動かしてほしい。このまま頂上で止まったままなのは・・・
「止まった・・・まま・・・?」
自分の黙考で我に返る。カップルなら喜ぶ状況なのだろうが、これは祝福ではない。呪いだ。頂上でとまったそれは、自分の力では一μたりとも動こうとする気配はなかった。
「なんてこったい・・・」
頭を抱え、はるか天空を見上げる。可愛い沙耶の誕生日にこんな事故は、いくらなんでも運命の皮肉としか言いようがない。
「まぁ、のんびりと待ちましょうや」
今更じたばたしたところで、この禍々しい状況は変えようがない。それに、活路を見出そうとして死地に赴いてしまってはどうしようもない。こういうときは、開き直って現在の状況を楽しんだほうが得策であろう。
「そうだね・・・こんな機会、滅多にないからね」
くすくすと沙耶が笑みを浮かべている。
「ほんとうに・・・密室だ。何か僕もやましい気分になりそう」
「やましいって・・・おいおい」
沙耶の口から出た意外な発言に亨は苦笑してツッコむ。子羊のような沙耶が、一瞬子悪魔に見えた。
「春樹がいるのに横から掻っ攫っちゃいけないから」
「あのなぁ、春樹にはちゃんと恋人が・・・」
「ほんとに好きなら・・・奪えばいいじゃない。どうして見てるだけなの?」
責めるように言う。穏やかな彼からは想像がつかない。
「やっぱり・・・恐いのかもしれないな。やっぱり兄としての俺が邪魔をするんだ」
長く一緒にいすぎたからこそ、バランスを崩したくない。兄なら、ずっと弟して愛していけるから・・・。気がつけば亨は臆病になっていた。

「しかし・・・いい加減動かないのかね」
停止してから何時間たったのだろうか?それは最初のほうは時計を見ていたのだが、段々見るのも馬鹿馬鹿しくなってきたのでやめた。
「夜だから修復作業が難航してるのかもね」
亨も沙耶も、至って冷静だった。もう少し慌ててもいいと人は言うのだろうが、逆にそんな状況だからこそ冷静にならざるを得なかったのかもしれない。
「あー・・・夕食・・・」
せっかくだから沙耶を家に誘おうと思っていたのだ。こんなことになるとは思ってもいなかったので、全く準備もしておらず、家族が腹を空かせて苛立っているところだろう。困ったことに電波も通じない。
「というか、本当は別のところで困るべきなんだろうね・・・」
どこまでも家庭的な亨には、苦笑するしかなかった・・・。

「亨さん、今何時?」
「今?午後十時くらい」
「四時間くらい経ってるんだ・・・」
他人事のように沙耶が聞き、同じく他人事のように亨が「そうだな」と答える。何かどうでもよくなってきたというのが、亨の感想である。せっかく沙耶とデートしたのに、ろくなことになっていない。とはいえ、珍しい体験ならいいかと諦めている部分もある。
「春樹に・・・怒られるなぁ・・・」
実は沙耶とのデートについて話したところ、観覧車には乗るなと念を押された。何故それにこだわるかと聞いたところ、占いでは今日のアンラッキーアイテムに相当したらしい。そのときは占いなんて迷信だと笑い飛ばしていたが、まさか的中してしまうとは思ってもいなかった。
「そのときは僕も謝るから・・・」
はははと笑ってくれたので、亨の気持ちも軽くなる。
「何というか・・・眠いわ・・・って、おっと」
がこーん、夢の世界に沈みかけた亨を起こすかのごとく、それは動いた。
「どうやら・・・直ったみたいだね」
二人ともほっとため息をつく。その光る円盤は何事もなかったかのように動き回り、二人を再び下の世界へ帰す。
「ふー・・・同じ時間座っていると尻が痛くなるわな・・・って、春樹?」
観覧車を降りると、そこには春樹がいたので、亨の身体中から血の気が引く。これはきっと怒られるな・・・と思ったら。
「だから・・・乗るなって・・・言ったのに・・・!」
亨にしがみつきながら震える声で言う。
「そんな大げさな・・・」
「ニュース見たら・・・兄さんが行った遊園地の観覧車が止まったっていうから!勿論、そんなことはない、兄さんは巻き込まれていないと思ったよ!でも・・・帰りが遅いから!榎木連れて夕飯一緒に食べるって言ったから!」
「悪かったよ・・・」
怒りながら泣く彼に、申し訳なく思う亨。ここまで心配してくれたのなら、どうして彼の言うとおりにしなかったのだろうか?悔いたところでどうしようもなかった・・・。

泣きじゃくる弟と、優しくその背中をなでてあやしている兄を見ると、胸が痛くなるのを通り越して、微笑ましくも思う。
「榎木、今回は災難だったな」
「あ、柊くん。これは・・・僕が誘ったからなんだ。巻き込まれたのは、亨さんのほうだよ。それより、春樹には悪いことをしちゃったね」
「それほど亨さんのことが心配だったんだろ」
「そうだね。もし僕だったらあそこまで出来ないや。どうやらあの人のことは諦めないといけないようだ・・・。まぁ、まだファンだったからよかったけどね」
沙耶は寂しそうに二人のほうを見やり、しばらくして何もなかったかのように弘平を見て微笑んだ。
「柊くん、邪魔者は一緒に帰ろ?」

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