何故あの時嫌いだと言ってしまったんだろう?本当は嫌いではなかったのに。嫌いになれるはずはないのに。ただ自分に心配かけたのが許せなかっただけだったのに。馬鹿みたいに拗ねて、今度こそ本当に嫌われた。亨は春樹を好きだから、どんなことを言っても亨だけは自分を見捨てないと自惚れていたのかもしれない。しかし、あのとき自分は亨を振ってしまった。そんな憎しみが彼の中で育ち続けていないという保証などあるはずがなかったのだ。
(顔も見たくない・・・か)
胸がちぎれそうなくらい痛む。今まで言われたどんな言葉よりも傷ついた。好きな人に言われると、ここまで苦しいんだな。
(好き・・・)
やっと気づいた自分の気持ち。今まで近くにいすぎて分からなかった。大事であることは分かっていたけれど、今までのは漠然としすぎていた。いつの間にここまで大事な人になったのだろうかも分からない。彼が自分から離れたことで、自分が兄に恋していることに気づいた。
(でも・・・手遅れだ)
あの時どうして抱かれてもいいと思ったのか。別に亨のためだけではなかった。自分が彼をほしかったのかもしれない。もしあの時自分の気持ちに気づいていれば、こうやって大好きな人を失うようなことにはならなかった。
「春樹・・・話が・・・」
彼にとって最悪であろうタイミングで弘平が声をかける。
「何?出来れば独りにしてほしいんだけど・・・」
「俺たち、別れよう」
突然切り出された別れ話に、春樹は狼狽する。今彼に捨てられたら、自分は世界で独りぼっちになってしまう。
「どうして!どうしてそんなことを言うんだよ!」
「お前、好きな奴、いるんだろ?」
それは、亨のことを言っているのだろう。ブラコンであるのを隠したことはなかったので、それについては何も疑うことはない。しかし、春樹には彼の言うことをすんなりと受け入れられない理由がある。
「でも・・・あの人は俺を嫌いだよ」
自分で口に出した言葉に傷つけられる。亨は自分を嫌いだ。叶わぬ恋をしても、仕方がないではないか。
「そうだな。亨さんの愛情は凄まじかったからな。多分その反動でお前のこと、殺したくなるほど憎んでいるだろうな・・・。でもな、いい加減仲直りしろ!本当に暗くて、俺までもじめじめしちまうんだよ」
「でも・・・」
「だから別れてやるって言ってるんだよ。お前の代わりなんていくらでもいるし」
人の心臓を抉るようなきつい一言。しかし、それは弘平なりの愛情なのかもしれない。彼はどんなに怒っていても、そんな汚い言葉は使わない。
「ごめん。それと、ありがと。愛してるよ・・・」
ゆっくりと弘平を抱きしめる。
「その言葉、初めて聞いたな・・・。ま、仕方ないな。頑張れよ」
ありがとう、弘平。心の中で言ってからもう一つの障害を思い出し、頭を抱える。
「でも・・・もう手遅れなんだ。兄さん、俺よりも好きな人が出来たから・・・」

爆弾発言だった。弘平は驚きに目を見開いている。
「え?嘘・・・。あの亨さんが春樹以外を好きになった・・・?」
「うん。好き合っているみたいなんだ。やっぱり弟じゃ兄の一番になれないんだな・・・」
あの時亨が兄でよかったと思った理由。兄でなければと思う理由。兄弟であればずっとそばにいることが出来る。しかし、絶対に一番にしてもらえることはない。これが他人であれば、別れれば済むが、兄弟であれば、血縁が二人を放すことはない。
彼の弟に産まれてきたからこそ、亨と会うことが出来た。彼を好きになることが出来た。これが他人だったら会う可能性は限りなくゼロだろう。知り合いになったところで、大事にしてもらえる可能性は低い。
しかし、一方で一番にしてもらえる可能性はゼロではないのだ。あの時も亨はやめないで最後まで抱いたのかもしれない。春樹が弟だから、先に進まなかったのだ。弟が兄を拒めないことを、双方とも知っているから。兄弟は奇跡かつ残酷だ。もし自分が沙耶だったら・・・。
「そんなこと、ないと思うよ?亨さん、どんな形でも春樹のこと、想ってる。それが好意なのか憎しみなのかは僕には教えてくれなかったけど」
「榎木はいいよな。兄さんに気に入ってもらえて」
これは焼餅だ。しかも、ただの八つ当たりだ。言いながら自己嫌悪に陥る。榎木は素直だから亨にお似合いではないか。自分のすべきことは、彼に兄を託すことなのだ。
「お気に入り・・・だったら、よかったね。でも、亨さんは残念だけど僕のことはなんとも思っていないよ。僕のほうも一緒。だけど、このままだと・・・言わなくても分かるよね」
淡々とした口調とは裏腹に、苦しそうな瞳。沙耶は沙耶で葛藤している。苦しいのは自分だけではなかった。弘平も、沙耶も、そして春樹も一人の人間を好きになったことで・・・。
「その、ごめん」
「いや・・・謝ってもらっても困るよ。僕のはまだ引っ込みがつく・・・まぁ、恋に恋しているだけだからね。もし本気で好きだったら、春樹が相手でも奪い取るもん。でも・・・春樹はあの人がいないとダメなんでしょ?」
「ありがと・・・」
よく出来ました。にっこりと沙耶が微笑む。亨が今自分をどう思っているかは分からないけれど、この気持ちだけはどうしても伝えたかった・・・。

「おー、帰るのか。ちょっと残念だな」
とは言いつつも、心の中では厄介者がいなくなって大喜びだという親友に頭が痛くなる。
「本当に世話になったな・・・」
彼には本当に甘えすぎた、亨は苦笑する。
「頑張れよ。後悔だけはするな」
「後からするから後悔なんだよ。でも・・・俺様の魅力を見せつけてやるよ」
今まで落ち込んでいたのが、馬鹿馬鹿しくなった。自分は自分なりに口説いていけばいいのだ。
「あぁ、お前なら大丈夫だ。俺が保証する」
親友の心からの励ましに、温かいものを感じる。彼がいてくれたから、自分は弟を好きでいられたのかもしれない。ひょっとしたら、彼は全てを見越して自分の相手をしていたのだろうか?もし運命というものが存在するなら、もし、神というものが存在するのなら、倉科に素晴らしい相手を与えてほしい、そう願わずにはいられない。
「サンキューな」
そんな気持ちと共に、彼は自分の居場所へと戻っていった・・・。

NEXT