そうやって自宅に帰ってみたのはいいものの、人の気配がない。由美子は予備校で、秋良はサークルか。それに納得して自室に篭ろうとドアを開けると、窓際に春樹がたたずんでいた。しばらく見ないうちに変わったな。亨の胸が締め付けられた。生気を全く感じないという弘平の話は本当だった。やはり自分が春樹を傷つけてしまったのだろうか?
「あぁ、兄さん、帰ってきたんだ」
いつもだったら尻尾を振ってくるはずなのに、目の前で力なく言うのが痛々しくて。思わず抱きしめようとしてこらえる。昔みたいな単純に仲のよい兄弟には戻れないことは悟っていても、兄弟という事実が彼を縛りつける。兄弟であれば、ずっとそばにいれるんだ・・・例えどんなに嫌われようとも。
「兄さん・・・俺のこと、嫌いなんだね。前の兄さんなら、こういうとき俺を抱きしめてくれた!」
抱きしめないほうが彼のためだと思っていたが、それがどうやら更に春樹を傷つけてしまったらしい。やることが裏目に出まくる自分を恨む。
「まぁ、それは仕方ないと思う。全ては俺が悪いんだし。でも・・・これだけは言いたかったんだ。これだけ言わせてくれれば、俺はただのブラコンな弟に戻るから・・・」
「これだけ・・・?」
春樹の言葉が理解できなかったので、促した。しかし彼はしばらく口を開かなかった。彼が口を開かないとはどういうことだ?何をためらっている?そんな疑問の答えは、次の言葉だった。
「どんなに兄さんが俺を嫌いでも、俺は兄さんが好きだから・・・」
あぁ、俺が好きなのね?と聞き流すところだった。
「ちょっと待て。お前俺が嫌いだってはっきりと言ったじゃないか」
しかし、亨はそれをすんなり信じる気にはなれなかった。それは無理もない話で、春樹が嫌いだと言ったからこそ、彼から離れたのだ。しかも、それは一度ではない。二度もだ。どうしてそれを信じられようか。信じて裏切られるのも恐かった。
「ごめん・・・。本当は嫌いじゃない。嫌いになんか・・・ なれない。でも、俺、調子に乗ってた。兄さんは何を言われても怒らないって・・・。だから兄さんに嫌われたとき、本当に辛かった。俺、馬鹿なこと言ったって。しかも、そういうときに好きだって気づいちゃってさ。馬鹿だよね」
「その言葉、本当に本当か?」
応えた春樹の瞳にはひとかけらの迷いも存在しなかった。
「うん・・・嘘じゃないと・・・思う」
・・・はずだが、答える春樹の口調は弱弱しい。ため息をついてみると、大慌てで弁解する。
「う・・・仕方ないじゃない。俺だっていつから兄さんに恋してたかなんか分からないんだから・・・。だって、ずっと側にいてくれたから気づかないし・・・」
ほんのりとした頬の赤さが迷いつつもその言葉が嘘でないことを教えてくれた。
「そうか・・・嬉しいよ。柊くんには悪いけどな」
「本当に、弘平には何て謝ったらいいか分からない」
春樹は弘平を思い、ため息をつく。それで亨も二人の間に何かやり取りがあったことを察した。きっと自分の気持ちを捨てて・・・。それは分かっているけれども。
「じゃあ、俺からも告白させてもらう。春樹、お前が好きだ。だけど、実の弟だ。しかも、恋人も出来た。だから、俺は何度も諦めようと思った。せめて『兄』としてでもお前を支えてやろうとした。でも、だめだったよ。やっぱり吹っ切ろうとするとお前の顔が浮かぶんだ・・・。
だから、俺はもうお前を離すつもりはない。どんなにあいつが好きだと言っても兄として、お前を愛するものとして、反対するからな!どんなに嫌われても邪魔してやるからな!覚悟しとけよ」
春樹が自分に恋する。ずっと待ち望んできたことだった。だからこそ、現実ありうることとして考えていなかった。しかし、そのような気持ちを自分に抱いてくれるのなら、遠慮するつもりはない。今まで春樹にはチャンスがあったのだ。それを捨ててまでも自分を選ぶのなら、彼の気持ちを無視してまでも側においておくつもりだ。
「いいよ。縛り付けるのが兄さんなら、俺は喜んで。それに、もう兄さんには・・・」
身も心も縛り付けられているから、恥ずかしそうに彼は言ったがその点では亨も全く同じだった。それなら沈むときは二人一緒か。全然悪い気はしない。むしろ、最高だった。
「だから、キスしてほしい。俺が兄さんのモノだって証明してほしい・・・。ファーストキスじゃないけど」
尻尾の爆弾に亨のこめかみがぴくりと動いた。弘平と付き合っていたのならキスしていて当然だが、ファーストキスを奪えなかったというショックは大きかった。ついでに、いや、こちらのほうがはるかに重要だが、その先は進んだのだろうか。弘平は春樹の裸を拝んだのだろうか。どす黒い思念が渦巻きかけたが、自分も似たようなものであることを思い出し、辛うじて抑えた。
「大丈夫。俺だってすでにしてるし」
春樹を気遣って言ったつもりだった。そしたら今度は春樹の機嫌のほうが悪くなっていくような気がした。
「誰と・・・したの?俺のことは・・・遊び?」
墓の中まで持ち込もうとしたが、それは許さぬと迫られ、仕方なく白状した。
「お前も知ってるだろ?倉科だ。お前に弘平を紹介されてからあいつのところに転がり込んでな。俺もあいつもその気になっちまったんだよ・・・」

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