そんなやり取りがあることを知らず、宗像亨は悲愴なため息をついた。考えているのは、弟の春樹のことである。大好きな母の死と引き換えに出来た、世界で一番大事な弟。皮肉なことに母に一番似ている春樹だけが、彼女の顔を知らない。そんな寂しさを感じさせないよう、物心がついたときから、弟の面倒を見てきた。弟たちはまだ幼かったので、面倒を見るのは自分しかいない!小学校のころからろくに遊びもせずに春樹の面倒を見てきた。遊ぶことがあっても家に呼んで、常に家族が視界にあるようにした。高校、大学となってある程度弟たちが成長してからはそれなりに遊びほうけることもあったが、弟たちのことは片隅も頭から離れなかった。しかし、そんな真面目っぽい面を出さなかったのは、照れくさいからではなく、最愛の末っ子に抱いた後ろめたい想いのせいだった。

亨は実の弟に恋をしていた。春樹だけ特別扱いしたのは、確かに最初は兄としての愛だった。しかし、時が経つごとにそれとは違ったものが浮かんでいくのを感じた。自分の気持ちに疑念を抱いたのは、弟の着替えに釘付けになったとき。思わず触ってしまいたくなったことがある。もちろん、最初はそれを認めたくなかった。春樹は男であるだけでなく、血のつながった兄弟である。
能天気で、基本的にはポジティブである彼も、これに関してはネガティブにならざるを得なかった。思春期特有の現象かと思っていたが、時間が経つごとに想いが膨れ上がってきて、男同士に偏見がない亨でも、そんな気持ちを病気だと思ったこともある。しかし、親友の一言が彼の心を楽にしてくれた。

「まぁ・・・弟だからって好きにならないとは・・・限らないから・・・な」
「あー、俺の味方はお前だけだよ。倉科ぁ〜。ホントお前いいやつだなぁ。なのにどうして誰とも付き合わないのよ?」
亨の親友とされている倉科という男も、これまたモテる。暖かく、真面目そうな容貌が男女問わず惹きつけてしまい、高校時代は亨と人気をわけたほどである。しかし、彼は誰とも付き合うことはない。倉科はそんな質問には肩をすくめただけだった。
「あぁ・・・ひょっとして、まだ黒木くんに操立てしてるとか?」
「いや、別にそうじゃない。恋する気がないだけだ」
「あ、運命の恋人とやらを探しているとか?」
「運命・・・か」
そこで倉科は黙り込んだが、亨には何を思っているのかが分かる。おそらく、最愛の男のことを想っているのだろう。亨が知っている限り、ただ一人倉科が愛している男のことを。中学のとき、苦笑いしながら倉科は片想いだと言っていたが、亨が見た限りでは想われていた少年、黒木歩も倉科と同じくらいの熱い視線で見つめていたような気がした。本人たちが無自覚なだけで、両想いなのかもしれない。しかし、それはそれでやり切れない。まだ、片想いだったほうがよかったのではないか。だからそれは倉科には言うつもりは無い。言えるはずがない。倉科は二度と黒木に会うことはできないから・・・。それに比べたらまだ自分は好きな奴と一緒にいられるだけ幸せなのかもしれない。
「そうだよ・・・な。俺は兄として愛するという選択もあるんだよな」
「いっそのこと、玉砕したらどうか?」
「お前、無責任だな・・・」
「責任が無いから言えるんだよ」
そりゃそうだ、亨は苦笑せざるを得ない。お互いそれなりに距離があるから言いたい放題言える。もしお互いの距離がこれよりも近かったら、こんな関係にはならないだろう。そう思うと、倉科という男が凄く見える。
「ホントお前って強いやつだな・・・」
「強い?俺が?・・・俺はただ過去にすがり付いているだけさ。お前が思うほど、俺は強くない」

本人はそう言うが、亨はそう思っていない。倉科の「弱さ」は、美点だ。本当に強い男が持っているものだろう。彼が未だに一人の人間を想っていることは知っている。しかし、それは決して過去に浸っているものではない。過去を残しつつも、しっかり未来を見据えて歩いている男だった・・・。
自分など、弟への想いだけでため息の連続なのに、倉科は報われない想いと知っていても、あえてぎりぎりの近さまで身を置いていた。自分にもそんだけの度胸があればよかったのに、そう思い、またもやため息をつく。
「ホントに・・・黒木くんはお前にそこまで想われて幸せだよ」
「春樹くんこそ、兄貴にここまで好かれていて、幸せだな・・・」
二人は全く同じタイミングでため息をつき、そこで苦笑したのだった・・・。

「春樹と柊くんって付き合ってるの?」
友達に聞かれたので、慌てて否定する。
「な、何言ってるの?やだなー・・・俺もあいつも・・・」
ただの親友だと誤魔化すつもりだったが、それに気づいて穏やかな少年が珍しく睨んだので、正直に認めることにした。
「うん。好きだと言ってくれたから、付き合うことにしたんだ」
「お兄さんに言った?」
何故兄のことが出るのか?怪訝そうに聞くと、少年は当然のように答えた。
「だって、お兄さんのこと好きなんでしょ?」
兄が好きなら、正直に話して理解者になってもらえばいい、と言いたいのだろう。
「言いたいことは分かるけど・・・恐いんだ。男同士であることを気持ち悪いと思うような人じゃないけど、何でだろうね。兄さんを裏切っている気がしてくるんだ」
「それは・・・隠し事をしているからなのかもしれないね」
「そうかもしれない。これが兄さんにする初めての隠し事だから・・・。こればっかりは言えないんだよね」
「そうだね・・・大好きだから何でも言えるって訳じゃないよね」
「兄さんのファンなのに・・・怒らないんだ」
その友達が亨のファンであることは知っている。彼からすれば兄への裏切りは許しがたい行為であるはずなのに、怒ろうとしない。それが不思議でならない。
「春樹だって辛いんでしょ」
心優しい彼に、心底感謝する。もし兄に恋人が出来たなら(それはそれで寂しい気もするが)、こんな人がいい、そう思ったのだった。

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