結局悩みに悩んだ末、亨は告白することにした。こうなったら当たって砕けるのだ。この気持ちが受け入れられるとは思わないが、完璧に望みがないわけでもない。うじうじしても仕方が無い。自分は自分のやり方でいけばいい。
「春樹、話が・・・」
珍しく真面目な顔をして言ったものだから、春樹のほうも気を引き締めて聞く。こういうときに逃げると、亨は怒るのだ。真面目な話をしているときは真面目に聞け、と。
「兄さん、何?俺、何も悪いことしてないけど・・・」
「好きだ・・・」
出てきたのは予想すらしなかった言葉。最近帰りが遅かったから、しかも、弘平と一緒にいることが多かったから、叱られるだろうと思っていたのだ。更に、春樹には後ろめたいものがある。だから、一気に力が抜ける。
「やだな、そんな改まった顔して言うなよ」
「そうでもしないと本気に聞こえないだろ?」
本気?春樹はつい吹き出してしまった。弘平の告白で男同士がありうることは知っているが、どう考えても冗談にしか聞こえなかった。ブラコンな兄が言ってもおかしくない言葉ではあることは事実だが、普通兄がそんな顔をして弟に言う言葉ではないだろう。そのため本気であってほしくない部分もあった。この男は自分をからかって遊んでいるのだ。そう結論したため、つい口が滑ってしまった・・・。

「兄さん、可愛い弟にそういうこと言うのは感心しないよ。それに・・・兄さんがいくら本気だったとしても、俺、付き合ってる人がいるんだよ?」

その言葉を聞いた途端、亨の足元がガラガラと音を立てて崩れていく気がした。どこにショックを受ければいいのか分からない。兄の気持ちをそうやって流したこともあるし、恋人がいたこともある。やっぱり兄じゃお前の一番にはなれないんだな、そんな落胆を隠し、努めて冷静に質問する。
「あ、それ、聞き捨てならないな。いつ恋人が出来たのよ?そういうのはお兄様に知らせるようにと言ったはずじゃないか」
「そんなこと、言ってないよ。それに、兄さんには関係ないことじゃないか」
「関係・・・ない、か。そうだよな、俺には全く関係ないことだな」
それは弟に言うのではなく、自分に言い聞かせているものだった。しかし、言葉のトーンが微妙に違うことは、春樹は気づかなかったのだった。

「ほれ、みんな朝だぞ?朝食とって弁当持ってさっさとしたくしろ!」
「兄さん、不気味にテンションが高いわね」
「空元気だな。何か嫌なことでもあったのか?」
朝から朗らかな亨の声に秋良、由美子兄妹は顔を見合わせる。亨は朝からテンションの高い人間ではない。大抵はいやいや布団から出て、次第にテンションが上がっていくというパターンなのだ。それに、いくら明るい兄でも、落ち込むときは普通に落ち込む人間だ。空元気ということは、嫌なことを通り越して相当辛い目にあったのだろうか。彼らに心当たりは、無くも無い。
「春樹絡みだな」
「兄さん、とうとう手を出したのかしら」
「いや、それは無いだろ。そんなことをしたら春樹がもっと避ける」
「そうかしら。あの子ならそのまま受け止めてしまいそうだけど・・・。でも、兄さんがあんなだから、出してるはずはないだろうし。だけど、あそこまで落ち込むといったら、春くんのこと以外に考えられないのよね・・・」
「お前ら、早くしないと遅れんぞ?」
殺気を帯びた亨に気づく。今はもたもたしていることに怒っているだけだからよいが、これ以上無駄口を叩いて地雷を踏んでも自分たちが損をするだけだということは分かっていたので、この話は切り上げて二人は家を出た・・・。

「・・・鬱陶しいな。せっかく天気がいいんだから、お前の頭も能天気にしていろ」
「あ、ひどっ!落ち込んだ親友を慰めようという気にはならないのかい!?」
「・・・何をやらかした?まさか春樹くんを・・・」
「あー、違う違う。まだ出してません」
こういうときに限って暖かくない親友を一睨みする。それなりに殺意をこめたはずだが、倉科は飄々としたままで、これっぽっちもダメージを受けた気配がない。仕方がないのでため息をついてから亨は白状する。
「そりゃ、まぁ・・・好きなやつに恋人がいるのは切ない・・・な」
暗雲立ち込め、今にも雨が降ってきそうな親友を、顔の筋肉を引きつらせながら見つめる。好きな人に恋人がいるという彼の痛みは手にとるように分かるのだ。かつて自分もそうだったから・・・。
「兄ってこういうときに嫌だよな。側にはいられるけど、どうしても一番にはなれない。あいつの幸せを影から祈るしかない・・・」
「なら、俺が慰めてやるが。身体ででもいいぞ?」
「お前の身体・・・で?魅力的だけど、やめとくわ。そんなことしたら呪い殺される」
「何、もとからそんなつもりはない」
それにしては目が笑っていなかったような気がするが。まぁ、本気でないから言えるということは、亨も分かっているつもりだ。だからこそ、そんな慰めを素直に受け入れられる。
「やっぱりお前、フリーにしておくにはもったいないわ」
「ま、今は家庭教師で手一杯だけどな・・・」
彼が教える人はどんな子なのだろう?どうでもいいことを思った・・・

「兄さん、春くんに何かしたの?」
汚いものを見るような目つきで妹が問い詰める。しばらくは傍観を決め込んでいたが、二人の仲が不自然のままなので、我慢ならなかったのだ。春樹のほうはまだしも、亨の空気が重すぎる。これはまさか強姦か?合意ならまだしも、強姦など許せるはずがない。春樹は優しい子だから、強姦であっても強姦じゃないと言い張るだろう。
「いや?なんも」
鋭い妹に苦笑しながら応える。実際のところ、何も出来ないから困っているのだ。何か出来たら苦労しないのだが、どうしても「兄」である自分がその邪魔をしている。
「だったらどうして兄さんは落ち込んでるのよ?」
「手ぇ出せないから落ち込んでるの。だって、あいつには恋人がいるんだもの」
それは由美子にとっても意外だったらしい。亨に嘘をついている様子が見られなかったため、さっきまでの表情はすっかり消えうせ、目を丸く見開いている。
「へぇ、てっきり兄さんが一番だと思ってたんだけど」
「兄じゃ弟の一番になれないってことだよ」
「確かにね。ま、お兄さんは弟の幸せを願って頂戴」
それからふと思い出したように付け加える。
「あ、そうそう、頼みたいものがあるんだけど、今度買いに行ってくれない?」
差し出されたメモを見たところ、一人じゃ持ちきれないほどの量だった。その意味を察して亨は文句を言おうとする。しかし、その準備のよさに、どうせ言っても無駄だということに気づいたので、仕方なくメモを受け取ったのだった・・・。

「ったく、あいつは人使いが荒い・・・」
「ま、仕方ないじゃない」
「仕方ないも何も、それを調理するのは俺様だぞ。それを、買い物までさせやがって」
スーパーに買い物に行かされている亨。傍らには春樹がいるので、本当はそこまで嫌がってはいない。嫌なのはいらぬ妹の心遣いである。よそよそしくしないでもとの優しい兄に戻れというメッセージが伝わってくる。秋良を連れて行こうとしたら、彼にも手が回っていたらしく、そそくさと逃げ去っていた。自動車の鍵は都合よく行方不明。恐らく帰ったら見つかるだろう。まぁ、与えられた機会はしっかりと使っておくか、亨はほくそえむ。
「ま、せっかく二人で買い物するんだ。デートを楽しもうじゃないか」
「ははは、久々のデートだね」
無邪気に喜んでいる弟が恨めしい。彼はその言葉の意味など考えていないのだろう。そうは知っていても、可愛い弟の笑顔には口も緩んでしまう。
「あー・・・俺ってあほだな」

最愛の弟とのデートにマックというのはいくらなんでも悲しかった、いや、男としてのプライドが許さなかったので、見栄を張ってファミレスに行くことにした。決して亨はケチではないが、一家の第二大黒柱であるためか、必要以外は家で食するようにしているので食費はあまりかけない。なお、このデートの費用は、こっそりと横領した金から出ている。生活費で余ったものの一部は次月に繰り越さずに機密費としてピンハネさせていただくのである。
「兄さんにしては珍しいな。もっと安く済ますと思ったのに」
「言っとくけど、俺ケチじゃないよ?大好きな弟と行くときには、普通に食事します」

変に力説する兄を見て、春樹は苦笑する。こうやって一緒にいるのは、本当に久しぶりだった。自分に恋人が出来たことを話してから、少し避けられている気がする。兄は兄なりに子離れをしようとしているのかもしれない。春樹自身それを考慮したはずだったが、実際にそうされると誰よりも近かった兄が遠く感じてしまい、少し寂しくもある。やっぱり内緒で恋人作ったこと、怒ってるんだ。胸がちくりと痛む・・・。
「いらっしゃいませ。ご注文は・・・って、春樹?」
タイミングよく聞こえてきた声の主に、はっとする。目の前にいたのは、弘平だった。ファミレスでアルバイトをしていることは聞いていたが、ここだとは思わなかった。びっくりしているのは、亨も弘平も同様であって、二人とも固まっていた。この場を仕切るのべきであるのが自分であることに気づき、春樹は慌てて説明する。

「あ、兄さん、知っていると思うけど、彼が柊弘平。俺たち、付き合うことになったんだ」

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