そうやって失恋の傷が癒えてしまった兄に比べ、弟のほうはうじうじしっ放しだった。その日は何とか家に帰ったものの、話す機会は全くなかった・・・いや、亨に避けられていた。しかも、次の日からは家に帰らなくなった。いつもは喧嘩しても自然と仲直りしていたが、今回はそんなに単純な問題ではないことに気づいた。家に帰らないということは春樹の顔を見たくないということになる。やっぱり・・・自分のせいなのか。
「春樹、兄貴と何があった?」
心配そうに秋良が尋ねてくる。ここ数日は塞ぎこんでいたので、何かを察したのかもしれない。春樹は隠し事は苦手だった。それでも原因を話すことは出来ない。
「何かって?別に何もないよ」
「お前は兄に嘘をつくようになったんだな・・・。まぁ、俺だって嘘をつかない人間じゃないから本当はその辺は文句言える立場じゃないんだけどさ。でも・・・俺だってそんなお前を放っておくほど悪人じゃないよ」
「本当に気にすることはないから!」
春樹にしては珍しく強引な口調だったので一瞬秋良も怯んだが、一つの事実が彼をとどまらせた。
「じゃぁ・・・なんで兄貴は帰ってこないんだよ。あの超絶ブラコンの兄貴が無断外泊だぞ?そんなの絶対ありえない」
やはり秋良はその事実に気づいていた。これ以上隠すと、秋良にまで嫌われてしまう。春樹は正直に話すことにした。
「兄さんに・・・嫌われた・・・。恋人が出来たことを話したら反対されたんだ」
それで怒ったんだな。何となく秋良にも察しがついた。ああ見えて普段はそれなりに常識を持つ亨も、春樹のことになると見境がなくなる。それに、自分の時間を割いてまで側にいた。すんなりと応援できないのは仕方がない。しかし、春樹にとっては唯一信頼できる人なのだから、その気持ちを汲み取ってやればいいとも思う。
「それで俺、ついカッとして言っちゃったんだ。『大嫌い』って。そしたら悲しそうな顔になって一言もしゃべらなくて」
さすがにそれにはため息を隠すことは出来なかった。春樹は自分の言葉がどれだけ亨の心を抉ったか気がついているだろうか。秋良は亨の抱く恋心に気づいていた。あからさまにべたべたして、由美子を呆れさせているが、それはカムフラージュだ。心の奥底では純粋に春樹のことを想っている。それなのに、大嫌いなんて言われたら・・・。
「そうか・・・春樹は兄貴が嫌いだったんだな・・・」
「そんなこと・・・」
「そういうときに限って本音って出るもんだからなぁ」
「ち、違う!」
「兄貴の愛はかなり押し付けがましいからなぁ・・・。窮屈を感じても仕方ないな」
単純な秋良らしくなくねちねちとつついてみると、春樹の顔が歪む。大事な弟を泣かせてしまいそうなことに気づいたので、さりげなく方向を変えた。
「まぁ、俺はどっちの気持ちも分かるけどな。兄貴には兄貴の思うところがあるだろうし、お前もお前の立場があるんだ。とにかく、兄貴が帰ってきたら話したほうがいい。俺にはそれしか言えないな・・・」

「おーい、春樹?どしたの?」
「なんか・・・兄さんを怒らせてしまったみたいなんだよね」
兄さん?その言葉を聞いて弘平は辟易とする。また兄か。ブラコンな恋人はいつも兄のことを口に出している。一応覚悟していたため、そのたびに彼は辛抱強く耐えていた。しかし、いつもは嬉しそうに話すのに対し、最近は遠くを見つめてばかりだ。今回は勝手が違うようだ。それに気づいた彼は、さすがにイライラした顔を隠さざるを得なかった。
「何をしたのさ?」
弘平は兄のことを口に出すのを嫌っているのを知っているため、しばらく口をつぐんでいたが、恋人相手に黙っていられなくなって白状した。
弘平は黙り込んだ。春樹はそれを文句言うのをこらえているように思っていたが、実際には違った。亨に同情してしまったのである。亨が弟に恋していたことを知っていた。そして、兄ゆえに口に出せなかったことも然り。だから、春樹の言葉は、亨を怒らせたことは、よく分かる。いや、怒っているのならまだいい。ひょっとすると傷ついているかもしれない。そこまで追い詰められた亨の心境を察するのは容易いことである。それでも、この恋を諦めるわけにはいかなかった。付き合い始めたころならそれなりに諦めもついただろうが、最近やっと春樹が自分のほうを向いてくれるようになった。そろそろ亨と真剣に話さなければいけないか。気は重くなるが、全ては愛する春樹のためだった・・・。

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