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とてつもない不安に襲われた。
『恋は結びついた後が大変』と言った人がいることを思い出した。
一気に熱くなったものは、醒めるのも早い。
幸せに溺れていた俺は、皮肉なことに大好きな人とのキスで冷静になってしまう。
俺は怖くて光輝兄から離れることができなかった。
この幸せのツケがまわってくるのではないだろうか?この先もっと嫌なことが起こるんではなかろうか?




お情けだけど、付き合う前にデートしてもらったことがある。
もともと吹っ切るためのものだから辛かったけれど、本当は、やっぱりうれしかったんだ。
どんな形であれ、彼が俺を見てくれたから。

だけど、その代償を支払わなければならなかった。

俺の記憶と、兄の左目・・・。

だから今の幸せが怖い。

また彼を忘れることになってしまうのではないか。

いや、俺が忘れるのならまだ幸せなのかもしれない。

もし、兄が俺のことを忘れたら?

俺を忘れた『兄さん』が俺のことを気持ち悪いと言ったら?

そのとき俺は平気でいられるだろうか?


「・・・どうした・・・?」

俺が震えていることに気づいたのだろう。光輝兄が抱きしめるその力を緩める。
だけど、俺はぎゅっとしがみついた。もし今彼から離れれば、恐怖で胸が砕け散ってしまう。
俺は分相応な幸せに浸っていればよかったのかもしれない。





望んでいたはずの『幸せ』が俺を縛ってしまった・・・。






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「瞬・・・?」

腕の中の弟に異変が生じた。不自然なほどに彼は震えている。
最初は寒いのかと思ったけれど、すぐそうではないことに気づいた。
そんなものとは違う・・・何かにおびえているような震え方だった。

俺に怯えているのか?

やはり男同士が不毛であることに気づいたのか?

それなら離してやらなければいけないのか?

軽く腕の力を緩めたが、想像に反し、彼のしがみつく力が強くなる。
どうやら俺が怖いとか、気持ち悪いとか、その手の気持ちではないようだ。
しかし、それはそれで納得できない。いったい彼は何におびえているのだろうか?




「光輝兄・・・俺を忘れたりなんか・・・しないよな・・・?」



その一言で彼が何におびえているかが解った。

今の幸せが怖いのだ。

幸せ『すぎる』からこそ、その後に何か不幸が訪れるのではないかと思っている。
痛いほどその気持ちが伝わってきて、俺は『何を言っているんだ』と笑い飛ばすことができなかった。





原因は・・・この俺にあるんだから・・・。






別に今急にそう思ったわけではないだろう。
もともとは瞬の片想いだった。俺は『まかり間違って』付き合うことを選んだんだ。
本人が意識しているかどうかはともかく、心の中に蓄積していったのかもしれない。
そして、俺のキスがきっかけで封じられていた気持ちが表に出てしまった。

瞬は幸せになるべきだ。
もし、幸せにツケを払わなければいけないというのなら・・・瞬はすでにツケを払いすぎている。
その分は返ってくるべきではないのか?それに・・・





俺はあの日、決めたんだよ。






「安心しろ。俺はお前のことは忘れない。辛くても、すべてこの胸に焼き付けるって決めたんだ」

俺は忘れられる者の痛みを知っている。だからこそ、意地でも忘れる者にはならない。
仮にあったとしても、気力で思い出してやる。と、思ったんだけど、瞬はそれでもまだ不安らしい。




「もし・・・俺が・・・忘れたら・・・?」



物騒なことを思わないでほしいものだ。俺はその辛い日々を思い出し、身震いする。
嫌なことは、思えば思うほど現実になりうる。もう少し前向きに考えるべきではないだろうか。
だけど、そんな瞬も瞬なんだ・・・と思ったところで、大切なことを思い出した。
どうして今まで忘れていたのだろう。たとえ記憶を失っても、瞬は瞬なんだ。
もう自分を置いて去ってしまったと悲しむ必要はどこにもないのだ。それに・・・




「そのときはまた俺を好きになればいいだけの話じゃないか。違うか?」



別に記憶を失ったところで、そこで何もかも失うわけではない。
もしその記憶が戻らなくなったとしても、新しい関係を作っていけばいいじゃないか。


「それでもまだ不安か?」

そのような言葉で不安が払拭されないだろうことは解っている。
俺をそこまで好きでいてくれるからこそ、不安になる。恐怖を感じる。俺だって強がっているけど、同じようなものだ。


「ごめんなさい・・・」

ここで謝る必要はないのだが、震える声で謝った。変なことを言って迷惑をかけたとでも思っているらしい。
もちろん、これが他人だったら迷惑だろう。

だけど、大切なお前だから許せるんだよ。

それは言葉には出さずに、黙って抱きしめる力を強くする。
どんな言葉でも伝わらない俺のこの気持ちを伝えたかった。


「その・・・光輝兄・・・ありがと」

どうやらその気持ちは伝わってくれたようだ。俺とお前の間にあるそれは、簡単には切れやしないんだ。
簡単に切れるような関係であれば、お前をここまで大切に思うようなことにはならないんだ。



悔しいけれど・・・な。



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