NINTH

「そういえば今日学校行って何してたの」


鷹司さんの発言が気にならないわけではなかったけれど、それはただ単に早く終わっただけなのかもしれない・・・それで片付く問題だ。
それよりも問題なのは、俺が光輝兄の学生生活について全く知らないことだった。光輝兄の友達の中には何人かは顔を知っている人がいるけれど、そういう人と話すことはあまりないから、大学生である光輝兄がどんな感じなのかは全く知らない。
もともと一人暮らしを選んだのが親からの干渉を避けるためであるみたいだから、俺もそれについては聞かないできた。
そう思うと俺は光輝兄のことを何も知らないんだと痛感させられる。


「今やってるテーマの資料に不備があったんだよ。前から『万が一』が起こらないようにと必死で人一倍働いていたのに・・・」

どうやら今日デートをする前に光輝兄は様々な努力をしてくれていたらしい。
それはそれですごく嬉しいんだけど、何で今日なんだろう・・・という素朴な疑問は抜けない。それを聞いてみると、彼は驚きに目を見開く。


「・・・マジ?ボケてるってことはないよな?」

「ボケてたらこんなことわざわざ聞かないって!」



光輝兄は数秒間固まった。俺は何かまずいことをしたのだろうか?それを聞く前に光輝兄の口が開いた。



「いや・・・もともと今日が空いていたから」



光輝兄の目が泳ぐ。こういうときの彼は何かを隠している。
別に何かが安く売っていたわけでもない。そういえば修一郎と話しているときも様子が変だった。

つまり、俺だけが知らない事実が存在する。

だけど・・・そんなことは今はいいか。光輝兄を信じていればいいんだから。だから俺は光輝兄のことは触れないことにする。


「そういえば・・・ゼミってどういうことをするの?」

話がそれて、光輝兄もほっとしたようだ。

「ゼミか?何て言えばいいのかな。あるテーマに沿って討論したりプレゼンをしたり・・・ゼミによってやることがまちまちだから何ともいえないけど、少人数が特徴なのは共通しているかな」

「ふーん・・・何か楽しそうだね、それ」

少人数で勉強するのも悪くはない。そのほうが集中して深く勉強が出来る。
俺はそんなに勉強が好きというわけではないけれど、光輝兄の話を聞いているとそういうのも面白そうだと思えてくる。
いや、光輝兄が話しているから面白く感じるのであって、他の人が話しても心は動かないかもしれない。


「ま、そうかもな。つまらない老人の話を長々と聞いているよりはいいかもしれない。こればっかりは個人の問題だけど」

光輝兄の目が輝いている。ひょっとすると自分のやることが見つかっているのかもしれない。
これが高校生と大学生の差なのかな・・・そう思うと光輝兄が一層大人に見えてくるけれど、それはそれで彼が遠くにいるようにも見えて、さびしいと思うことも確かである。
『大人』である光輝兄も好きだけど、この絶対的な差がもどかしいとも思う。俺はいつも彼を追いかけてばかりだ。


「光輝兄は、将来何かなりたいものってあるの?」

兄弟でありながら、そんな質問をしたのは本当に久しぶりだと思う。
兄が家を出てから、その話題はしなかった。別に親子喧嘩をしているわけではないけれど、わざわざ一人で暮らすことを選んだのだから、聞くのが怖かった。でも、今なら聞いても教えてくれるような気がする。




「将来か・・・あまり考えてないな。普通に会社に就職するんだろうな、俺は」



少し考えてから、彼は口を開いた。大学生だからある程度は目星をつけていてもいいはずなんだけど、光輝兄はそう答える。

「光輝兄らしいね。何か特別大きな夢とか持っていなさそう」

考えて出した答えが『考えていない』というのは変な答えのような気もするけど、光輝兄らしいといえば光輝兄らしい。

良くも悪くも光輝兄は結構常識人だから。

変化よりも、安定した道を選ぶのが好きそうだ。そのためなら業種なんかにはこだわらなそうだ。
どこに入ってもやっていけるのが光輝兄である。これは惚れた欲目でなく、断言することが出来る。


「ま、お前の言うとおりだな。俺にはそういう『普通』の人生を送るほうが向いているんだよ」

あっさりと肯定する光輝兄。だけど・・・俺の胸が小さな針で刺されるのを感じる。
俺たちの関係は『普通』ではない。光輝兄の望む生き方とは正反対・・・どう考えたって『異常』だ。
そんな道に俺は光輝兄を引きずりこんでいる。幸せであっても、どんなに光輝兄が俺のことを見ていてくれても、時々罪悪感を抱く。光輝兄には進むべき道があるのに・・・まだ俺は光輝兄を信じていないのかな。


「そうだね。光輝兄は・・・常識人だから」

つい、一言漏らしてしまう。途端、光輝兄は痛そうな顔をする。それで俺は光輝兄に痛烈な皮肉を放ったことに気づいてしまう。何か弁解をしようと思ったけれど、こういうときに限っていい言葉が思い浮かばない。

「ったく、痛いところを突くな、お前は。確かに俺は常識人に見えるのかもしれない。だが・・・」

「だが・・・?」


「ゼミで過ごす時間よりも、お前と一緒にいるほうがいいんだけどな・・・と思っている俺のどこが常識人なんだ?」


苦笑しながら俺の髪をかき回す光輝兄。あまり気持ちを表してくれる人ではないけれど、必要なときにはそれを表してくれる。俺も現金なもので、一気に気分も舞い上がってしまったのだった。





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