その1

若いって羨ましい・・・浅葱高校一年担任、黒沢啓は年不相応としか思えないため息をついた。
27歳・・・晩婚化が囁かれるこの世代に漏れずに独身である彼は、目の前の、建前上は義務教育を終了した子供達を見る。
彼が小さいころの『高校生』という言葉には、大人っぽいイメージがもたれていたような気がする。
甲子園といえば、関わりなくても特別なスポーツに思えた。女子高生というと、ただの女の子には聞こえなかった。
だが、目の前の少年少女はまるでお子様だ。皮肉とか、嫌味とか、そういう問題でなく、事実として思った。やはりそれは時代の流れなのだろうか、それとも、それだけ年齢差が大きいということなのだろうか・・・?


しかし、本当に若いとは羨ましい。『ほとんど』無茶はせず、かなり常識にそって生きてきたため、小さいころからそれなりに大人びていた、もしくは、枯れていたと言われる彼は、ほほえましく思う。
教壇に立つ自分を無視して談笑している彼らには呆れを隠せないが、それでもにぎやかな笑顔を見ていると、教師になってよかった、心からそう思う。
今はまだ子供でも、三年間過ごせばそれなりに大人になるだろう。高校生とは、大人と子供が同居している、不思議な年代だ。それを見守ることができるのが高校教師の特権だ。
黒沢はよい想い出も、悪い想い出もたくさん詰まっている、詰め込むことの出来る『高校生』が好きなのだ。




「さて、そろそろ先生をやらせてくれてもいいかな?」



のんびりと眺めているのも楽しくはあるが、そろそろ止めておかないと彼らは止まらなくなる。
苦笑気味に注意を促すと、ぴたりと騒ぎが収まる。生徒のほうも、どこかで止めてくれるのを待っていたのかもしれない。


「自己紹介をさせてもらう。俺は黒沢啓。『ひろし』でなく、『けい』。今年一年君たちの担任だ。
担当は社会科だけど・・・世界史が専門だ。というわけで、よろしくお願いするよ。紹介はこのくらいかな。何か質問はあるかい?」


こう言ったところで、そこまで返ってこないのが普通だが、(黒沢にとっては)意外な事に、勢いよく一人の女子生徒が質問する。本人だけでなく、周囲も興味津々の様子だ。
もっとも、彼女(ら)が興味を持つのも当然の話で、学校というとどうしても教師の年齢は高くなる。
教師の過剰と少子化もあって、若手の採用は少ないのが実情だ。最近は少しずつ増えてはいるようだが、それには限りがある。そのため、若い教師というと、それだけで憧れの対象となってしまう。
しかも、穏やかそうで、派手というわけではないが、それなりに甘いマスクをしている。つまりは、掃き溜めに鶴というやつだ。




「先生って結婚してるんですか!?」

直球だった。

「残念ながら。もてないからね」

苦笑気味に答える。それは謙遜でもなんでもなかった。思ったとおりを言ったものだった。
中には黒沢のことを、連れて歩くにはいいが、付き合うのはちょっと・・・と形容する人もいる。
過ぎたるは・・・と言うように、真摯である部分は、度を過ぎてしまうとマイナス要因になりがちのようだ。
しかも、そこまで付き合っているわけではなかったが、別れるときの決まり文句の大部分は『あなたってつまらない』だった。




「じゃ、あたしが・・・」



お約束どおりそう言いかけたのを、優しく・・・彼女のプライドを傷つけないように制する。
彼は教え子に手を出すほど大胆な性格ではなかったし、彼女も本気で言っているわけではないことが解っていた。それ以前に・・・。




「じゃぁ先生って・・・イ・・・」



「残念ながら君の想像とは違う。一応先生のは・・・役に立つからな」

女の子なんだから・・・とまでは言わないが、年上の男に対してそのような言葉を使っていいのだろうか、彼はため息をつき、答える。
そんな答えにクラスが爆笑の渦になる。受けを狙ったつもりはないが、教育者である彼とのギャップが可笑しかったようだ。
しかし、よく見ると笑っていない生徒がいた。頬杖をつきながら、窓の外を見ている少年。窓際の一番後ろの席であるため、自然とそれは目に入る。


その少年は普通の少年だった。この年代の高校生にしてはむさくるしいわけではないが、取り立てて美形でもなく、目立つわけでもない。街で見かけても、そのまま通り過ぎてしまうだろう。
そして、ただ自分たちのやり取りに飽きて頬杖をついて外を見ているという、黒沢が何年も見ていた光景のはずだった。
しかし、なんと言えばいいのだろう?他の子達とは違うような、予感めいた物を感じたといえばいいのか・・・ほんの少し胸がざわめき立つのを感じる。
表そうとしたものの、こういうときに限っていい言葉が思いつかなかった。

どうしてだろう・・・心の中で首をかしげていると、彼の視線に気づいたのか、少年が黒沢を見、向こうは見咎められたとでも思ったのか、目が合ったのと同時に少しだけ視線をはずしてから正面を向く。
さすがに男子生徒を見てはいけないか、彼は自然に視線を生徒に戻し、オリエンテーションを続ける。




始まりは、極ありふれたものだった・・・。




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