その2

どうして女子たちは黒沢先生に浮かれているんだろう?今年浅葱高校に入学したばかりの少年、臼井孝介は首をかしげる。
もちろん、教師としてはかなりいい人である。教わってからまだ日は浅いけれども、充分尊敬に値する人物だと思っている。教え方も丁寧で、何よりも、授業を受ける生徒のことを考えて教鞭をふるっている。
テンポよく授業が進むものの、一方的な話ではなく不必要に早いわけではない。よって、情報量は多いのに、授業に遅れるわけでもない。
プリントの量が多くなるのが気になるところであるが、結構穴があるため、手が休まることもない。黒沢なりの努力が感じられる。


だから、黒沢『先生』を慕う気持ちは分かるのだ。しかし・・・

(あそこまで騒ぐかなぁ)

見た目はまぁ、客観的に見れば、上等なのかもしれない。優しそうだし、物腰も落ち着いている。同学年の教師の中では一番懐きやすいことも確かだ。
それに、彼女らが持ち合わせないであろう、『静』という『大人の』格好よさを持つ彼に惹かれてしまうことは仕方のないことかもしれない。
しかし、目が・・・醒めている。その手に関して鈍いはずだが、何故か臼井にはそれが判った。よくよく見ると大人すぎるのだ。
いろいろと社会に揉まれている20代後半ならそれでも構わないかもしれないし、教師という性格上仕方ないのかもしれないが、高校生という遊び盛りが付き合っても―教師と生徒でそういう関係が成り立つことはありえないという前提はこの際抜きにして―楽しいのだろうか?ふとそんな疑問が頭をよぎった。




(そういえばあの時・・・)



身も蓋もない考え方かもしれないが、臼井にとって教師は教師でしかない。別に詳しく知る必要はないため、名前を聞いたらすぐによそ見していた(名前と顔だけは覚えておかないと後で困ることは言うまでもないが、そのくらいは時間がたてば覚えられるものである)。
春の日差しが心地よく、眠ったら気持ちいいだろうとつい思ってしまったのだ。一瞬の油断なのかもしれないが、それを見られてしまったのは落ち度だったかもしれない。
インドアの類ではないものの、少し不器用で、この年の少年少女ほど感情をストレートに表すことが得意ではない彼は、クラスの中心にいることよりも穏やかな高校生活を送ることを望んでいる。
こんな些細なことで目をつけられても困るのだ。あの日のことは忘れてもらえるように、授業は真面目に受けることにしよう。それが当面の目標だった。






些細なきっかけとは言え、ほんの少しでも臼井が一人の教師を知ろうと思ったのは、生まれて初めてのことなのかもしれない。
小中学校のなかでいい先生がいなかったわけではないのだが、『気になる』ほどのものではなかった。
目をつけられたら困る・・・かなり不純な動機ではあるが、黒沢の授業だけは一言一句聞き漏らさない・・・そんな意気込みで受けていた。


(そうか、醒めてるからか)

その努力が功を奏したのかどうか・・・黒沢が担任で不快でない理由は、そこにある・・・臼井はその結論に達した。
中年教師のように、自分の人生観を基に『昔はこうだった』、『最近の若者は』的な説教するわけではない。そして、難関を突破したエリート教師のように、理想論を押し付けるわけでもない。
個人的な好みはどうであれ、残念ながら夜のドラマでも好んで使われる熱血教師というのは、時代に合わないのだ。当時はよくても、今では引くだけかもしれない。ドラマで見るのはよくても、目の前にいると困る、これが大部分の生徒の気持ちだろう。押し付ければ反発するのは、必然といっても過言ではない。


つまり、黒沢という男は、現在の生徒の一般的な性格を把握しているためなのか、自主性を重んじているらしい。基本中の基本はしっかりと教えるが、後は笑顔で見守るというスタイルをとっているのだ。



(それを『大人』と思うわけだ)



だから好感度が高い。過干渉ではないが、だからといって不干渉でもない。あまりにも脱線が過ぎると修正にかかる・・・そのくらいだ。
どうでもいいと思っているのではなく、生徒を信用しているから・・・なのだろう。恐らくそうでないと、ただ見守るだけなんて出来まい。

もっとも、女の子が騒ぐのは、そういう込み入った事情そのものよりも、まぁ・・・『恋に恋する』というものらしい。
想いが叶わなくても、問題はなさそうだ。偶々入ってきた会話で、そんなことを言っていたような気がする。テレビでタレントを見るのと同じくらいのノリらしい。
が、それでも授業中瞳がハート型になっているように見えて、苦笑する。黒沢のほうもそれに気づいていないわけではないようで、時折笑顔が苦笑に変わり、視線を彷徨わせることが多い。
そんなとき、時々視線が合うことがある。最初は意図があって―余所見防止のために―自分を見ているのかと思っていたが、視線はすぐ別の場所に向かう。
端とは視線を移すのに最適な場所らしい。中学のころ、四隅は意外と目に付きやすい場所だと担任が言っていたことを思い出した。内職をする場合は、教卓の正面が大穴だとも言っていた。授業の最初と最後に気をつけていれば比較的教師のマークは少ない・・・みたいである。


そんなときに臼井は『先生も大変ですね』と意味を込めて苦笑いするが、それに気づくと黒沢は『他人事だと思って』と、困った笑みで応じる。周りは気づいていなくても、そんなコミュニケーションが起こっていた。直接話しているわけではないものの、意思は通じているんだろうな・・・漠然とそう思った。





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真面目に授業を受けてくれるのは大変嬉しいが、動機が不純なのではないか?黒沢は嬉しさ半分、気苦労半分だった。女の子の視線が妙に熱いような気がしてならない。
気のせいかと思いたかったが、視線の主は一人ではないので、嫌でも事実だと思い知らされる。男子もそれを知っているようだ。それなら彼女らの目を逸らしてくれればよいのだが、その度胸がある人間はいないらしく、ちらほらと諦観に達しているものもいた。
せめてもの幸いは、彼女らが高校生特有の『憧れ』を抱くにとどまっていることだろう。黒沢は女の子の気持ちを否定するつもりはないが・・・教師に憧れを抱く一方で、しっかりとクラスの男子を見ていることも知っている。
つまり、男子にチャンスはないわけではない・・・と心の中で応援する。

それでもむずがゆくなるもので、時々視線を彷徨わせることがある。すると、自然に一番安全そうな少年に移る事になる。
普段は少年を見た一瞬で心を落ち着かせるのだが、極まれに、視線が合うことがある。




『大変ですね・・・』



そういうのにも疎そうな彼でも、女子の視線には気づいているのか、そんな意味を込めて苦笑しているようなときがある。
そんな臼井には『他人事だと思って』と、本人にしかわからないように困ったように笑う。すると、軽く肩をすくめて見せる。


こっそりと授業中に行われるそんなやりとりが黒沢の楽しみになった・・・。




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