その5

どんな恨み言が出てくるのだろうか・・・心当たりを探っていた黒沢には思いも寄らぬ言葉だった。
これが高校の頃だったら、喜んでその身体を貪っただろうな、苦笑する。しかし、もう過去のことだ。
何も知らずに抱き合って幸せだったことには戻れないのだ。それに・・・その言葉を額面どおりに受け止めるほど、黒沢は若くなかった。
思いつめた顔で言われても、自分から壊れようとしているとしか思えない。




「何があったんだ?」



とりあえず簡単なものではあるが、こしらえた夕食を差し出す。
周防がそれを口にするかどうかは関係ない。あくまでもそれは黒沢と周防が心の準備をするための時間稼ぎでしかない。
おそらく、黒沢にとって良い報告ではないのだろう。だから、覚悟をして抱かれようとする。
これ以上口を閉ざさせないように、優しく聞いてやる。あわてるつもりはなかった。まずは彼の心の鍵を開けることが先だ。
想像通り周防は躊躇っていたが、先輩の命令は聞くものだと諭され、震えながらそれを差し出した。




(確かに・・・これは・・・言えないよな)



封を開けると、一瞬黒沢は固まった。『抱いてください』の言葉よりもはるかに衝撃的だった。

それは結婚式の通知だった。

予想など、できるはずがない。周防には悪いと思うが、普通の神経をしていれば、かつて付き合っていた男に渡そうなどとは思わない。

しかも、振った男に、だ。

結婚するなら黙ってすればいいではないか。別に黒沢に許可を求める必要などあるはずがない。
これは嫌味か?と黒沢は思いかけたが、泣きそうな表情を見て思い改める。彼はそんなことを意図してできる男ではなかった。


「そうか・・・結婚・・・するのか」

しかし、それを聞く黒沢の声は、優しさであふれていた。
別にそれは繕ったものではなかった。心からのものだった。
自分でも不思議なくらい、当たり前とその事実を受け止めていた。結婚を決めたのなら、それだけ素敵な女性なのだろう。
黒沢と別れることを選んだ周防の選択は正しかった・・・彼自身はそう思っていた。


「ごめんなさい・・・俺、先輩にこんなこと言う資格ない・・・でも・・・」

ずっと耐えていたであろう涙が、一気に落ちたので、あわてて周防を抱きしめる。
年甲斐もなく周防は腕の中で泣きじゃくっていた。これは何年分の涙なのだろうか?いい年した大人が泣くな、そう言いたいのをこらえる。
ある程度落ち着かせてから彼はボールペンを取り出し、何か書いてから、それを渡した。


「ったく・・・これで、いいんだろう?」

ため息混じりに返事する。

「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」

何度も頭を下げて謝る彼には、ため息をつくしかない。意地悪をしたかったわけではないのに、ただ彼には笑ってほしかったのに・・・これでは、何のために式に出席してやるのかわからない。
式を休んで泣き止むのなら、今すぐ欠席にしてやる、こんな紙切れ、破り捨ててやる・・・本気で黒沢はそう思っている。


「もちろん、ただとは言わないだろう?」

「はい・・・解ってます」

自責の念で脱ぎかけた周防を制する。

「久しぶりに飲みに行きたいと思ってね。それと・・・千草は笑ったほうが可愛い」

彼は出そうとしたビールを隠した。





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あれ?買い物の帰りである臼井は、不思議な光景を見たような気がした。

(気のせい・・・だよな)

黒沢が歩いていたのを見た。彼は学校の近くに住んでいたんだ・・・それ自体は問題ない。
男連れだった。それも、おかしくはない。友達と飲みに行く、それだけの話だ。
もっとも、黒沢は飲みそうに見えないから、珍しいといえば珍しい。酒の席でどんな会話をするのだろうか・・・まぁ、それは譲歩するとしよう。
唯一つ妙なのが・・・。


(何でちーちゃんが・・・?)

臼井の従兄、『ちーちゃん』こと、周防千草が一緒にいたような・・・気がした。
臼井と周防は仲がよく、中学くらいまではよく一緒に遊んでいたが、大学を卒業し、仕事のせいで父方の実家に帰ったので、ここにいるはずがなかった。


(気のせい・・・だよな)

こっそりと接近し、相手に見つからないように凝視する。気のせいかと思っていたが、紛れもなく周防だった。

(今度聞いてみるか・・・)

声をかけたくないわけではなかった。だが、少し重い空気のため、今目の前に現れるわけにはいかなかった。
よって、後回しにすることにした。とはいえ、聞き方が分からなかった。
あまり人とつるむほうでない彼は、プライベートに踏み込んだりするやり取りが苦手だった。
自分の口数が少ないので、相手にどう聞けばいいのか思いつかなかった。
よって、話す機会があったら聞くかと結論した。
ただ、それは彼にとってもう関係ないということと大体同じ意味だった。友達ならまだしも、教師と二人で話す機会など、そうはないのだから。
不思議な取り合わせに首をかしげながらも、臼井はその場を後にした・・・。




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