その8

いつの間にか臼井は黒沢の助手みたいなものになってしまった。黒沢自身は一週間くらいで手放してやるつもりだったけれど、一度使うと手放せなくなるもので、ずるずると雑用してもらう事になった。
もちろん、彼とて良心は残されているから、解放しようとしたことはあるが、『プリント多いから』と、断るのを断られてしまった。


(律儀な少年だ)

一度受けた以上、最後まで受ける・・・その気でいるらしい。黒沢の行為は一応は職権乱用に当たるだろう。それは承知しているため、最初の数日間は何とか努力したのだが、見事敗北。
それでも、臼井といるのは心地がよかった。いつの間にか彼の頭の中からは臼井を解放するという選択肢は忘れ去られてしまった。
もともとインドア派である黒沢と、口数が少ない臼井、波長が合っているのかもしれない。仕事のためにいるが、外の喧騒とはかけ離れた、落ち着いた時間を過ごすことが出来た・・・。




「いつも・・・悪いな」



「いえ。いつも暇ですから・・・」



挨拶程度に謝ると・・・返事は決まってこうなる。何か表情を変えるわけではない。淡々と話している。
そのため真意は解らないが、もし彼に用事があったとして、それでも時間を削ってくれて、少しは望んでそこにいる・・・そうであったらうれしいと思った。
それは黒沢の都合のよすぎる解釈であるかもしれないけれども。


「いくらなんでも高校生のせりふではないだろう・・・」

学校が終われば部活・・・まぁ、臼井は所属していないから何ともいえないが、買い物するなり友達と遊ぶなり、時間の使い道は一杯あるだろう。

「それは俺が邪魔ってことですか?」

いつも臼井の時間を拘束していることに対する罪悪感からきた言葉だったのだが、珍しく臼井が拗ねている・・・様な気がした。あわてて弁解する黒沢。

「そうじゃなくてな。量が多いから・・・大変じゃないか?板書のほうがいいか?」

黒沢に邪魔者扱いされていなくて、ほっとしたらしい。

「俺はプリントのほうが・・・」

そうか・・・。彼にそう言ってもらえると、自分のやり方でよかった、そう思えた。『後は俺がやっておきますから』と言った彼に、ここ数回の授業のプリントの整理を任せ、少しだけ休んだ。





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『そういえば先輩って将来何になるんですか?』

『はい?』

唐突の質問に間抜けな声で聞き返す黒沢。

『だから・・・先輩の将来の夢を聞いたんです。考えてみたら、俺先輩のこと、何も知らないんですよね』

すねた口調で話すのは、彼の後輩の周防。

『えっと・・・』

別に意図的に話さなかったわけではないのだ。ただ、まったく決まっていなかったからに他ならないのだ。
黒沢は今まで何か目的を持って生きていたかというと、そうでもない。ただ惰性で生きてきたといっても差し支えはないだろう。
もっとも、この年齢で将来の夢を持たない少年を責めるのは酷であろうが。


『人の身体のことは隅々まで知っているくせに・・・なんでこんな大事なことは。これだからお爺さんは・・・。まぁ、先輩の性格から考えると、公務員あたりが向いてそうですね。結構『安定』という言葉が好きそうですし』

黒沢は否定することはできなかった。確かに黒沢は『安定』が好きである。お金があれば、貯蓄に回すというだろう。ただ、本当に安定しか望んでいなかったのなら、なぜ周防がこの腕の中にいるのだろう?

『ん・・・意外な線で先生も似合ってそうですね。教え方も丁寧ですし・・・なによりも、いつも俺のことを考えて教えてくれますから』

そんなほめ言葉に、むずがゆく感じる黒沢。





『ほんとに先輩は・・・優しいですからね・・・』





ん?黒沢は首をかしげる。ニュアンスが自分の理解しているものと微妙に違うような気がした。ある種の皮肉に聞こえたのは気のせいだろうか?これは聞いておくべきなのか・・・だが、そんな勇気は彼にはなかった。

『そういえば・・・千草は将来は何になるんだ?俺に聞くんだから、少しくらいは考えてるんだろう?』

『そりゃ、そうですよ。俺だって・・・ちゃんと考えてます。でも、『これから』って漠然としていてわからないんですよね』

結局は周防も将来の夢は決まっていないということだ。だが黒沢と違うのは、前を向かって考えているが、結論は出ていない・・・そんなところだろう。

『でも・・・当分は先輩にそばにいてほしいってとこかな・・・』

照れ笑いをしながらすりよる周防。あっさりと言ってしまうその素直さが彼の強さなのかもしれない。逃げることばかり考えている自分と違い、彼は・・・そんな少年をつなぎとめておくには、どうしたらよいのだろうか。





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「ところで、結婚式・・・どうするんですか」

珍しく臼井が声をかけたので、まどろみから帰る。元恋人の夢を見るということは、それだけ彼の結婚式にショックを感じているからなのだろうか?

それとも、幸せだったころに戻りたいのだろうか?

考え込もうとするが、いつの間にか臼井は整理を終えていたようで、顔を覗き込んでいた。
軽く休むだけにしようかと思っていたが、それなりに時間はたっていたらしい。腕の時計を見て彼が声をかけた理由に納得する。


「あぁ・・・行かない・・・とは、言えないな」

甘かった夢から覚め、感傷に浸る黒沢。目の前で出席に丸をつけた後、しっかりと本人に約束してしまった。
しかも、酒の席ではあるが、何度も行くと言ってしまった。だから、今更行かないなどとはいえない。行かなければ、周防は悲しむだろう。


「俺も・・・行く事になりました」

「そうか・・・」

「ちーちゃんの希望・・・らしいです・・・」

それだけ言って沈黙する。どうやら本人は不本意らしい。本人から聞いているのに「らしい」と付け加えることで他人事にしておきたいのだろう。
どんどん押す周防に、最後は諦めて首を縦に振る臼井・・・そのやり取りが簡単に想像でき、黒沢は苦笑する。しかし、少し憂鬱だと思っていたけれど、彼が一緒にいるのならまだいいか、心を落ち着かせる事にした。




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