その13

結婚式も終わり、ちょっとした余韻に浸っている暇もなく、テスト期間に突入する。
この時期には職員室の出入りもかなり厳しくなる。教師と生徒の不要な接触を避けるため、いつもの助手はやらないこととなった。
もともと積極的な性格でもない臼井と黒沢の距離は、知らないうちに遠くなってしまった・・・。




(寂しい・・・)



時々済まなそうにするため、黒沢は押し付けたと思っているだろうけれど、手伝いするのは楽しかった。
職業柄しゃべっているだけで、もともとは口数が多いような人間ではなかったのか、教材室にいても、思い出したように会話をするだけで、別に無駄話をすることもなかった。
言うならば、ただの雑用だ・・・と。いや、文字通り雑用でしかないのだが、下心満載である黒沢のファンの女達は焦れることだろう。

しかし臼井はそれが心地よかった。黙々とプリントの整理をしながら、いつから用意していたのか、時々差し出された紅茶を受け取る。
時々BGMであるかのごとく、ノートパソコンのキーボードを打つ音が流れる。


余所見が原因で始まっただけで、本当は自分が手伝う必要はない事も知っている。黒沢もやめると言ったら許してくれるだろうことは、想像がついていた。
しかし、放課後になったら、何も言わずに教材室に向かい、黙々と作業をこなし、終わったら帰る・・・それが臼井の日課となっていた。

だが、テスト前のため、それは出来なかった。黒沢に言われる前に、彼のほうから辞退し、黒沢もその意を汲み取ってくれた。教師としては当然だが、当たり前のようにそうした黒沢に、もどかしくも感じる。



(先生は・・・)



自分といなくても平気なのか・・・最近そのような思いがよぎるようになってきた。
いや、もともと都合がいいからという理由で始まった関係。向こうは一生徒としか思っていないだろう。それが普通だ。それ以下ではあってもそれ以上であるはずがない。
そんなことは分かっているのだが・・・理性だけではどうしようもないこともある。


(あ、先生・・・)

ふと廊下ですれ違う。沈んだ気分もそれだけで一気に変わるが、嬉しそうな顔をするわけにもいかない。少し後ろめたさもあり、顔を引き締めて軽く会釈しただけで隣を通ろうとすると、声をかけられる。

「臼井・・・テスト勉強ははかどっているか?」

「はい。プリントのおかげで・・・」

返事をすると、頭に懐かしい感触が・・・。

(うわー・・・)

不自然に赤面している臼井の髪を一通りなでたあと、耳元で囁いた。あっという間に黒沢は行ってしまい、残された臼井は、独り立ち尽くす・・・。



『テスト・・・頑張れよ・・・』



耳が真っ赤になるのを感じる。友達にも言われるそのセリフが、黒沢に言われるとある種の魔法のように感じてしまう。
心臓が跳ね上がるようにも感じてしまい、自分でも信じることが出来なかった。


(どうして・・・)

どうしてここまで黒沢を意識しなければならないのか?自分は生徒で、相手はただの教師。それだけのはずだ。
それなのに、気がつけば黒沢を探している。彼を目で追っている自分がそこにいる。

もちろん、そんな自分に異常を感じ、意識からはずそうとしたこともあった。授業中は黒沢と視線をあわせないようにし、放課後は仕事に熱中する。
しかし、それは臼井にとって逆効果にしかならなかった。無関心を装えば装うとするほど、少年の心は黒沢に傾いていった。彼を探そうとしてしまった。
更には、夢にまで出てくるようになった。


『無視しようとする』ことは、意識することでもある。それに気づいてしまったので、視界から外そうとするのはやめた。
しかし、側にいれば、それはそれで心地よいけれども、緊張するときもある。黒沢の何気ない、本当に些細な仕草にどきりとすることがある。




(俺・・・どうしたんだろう・・・?)



憧れと一言で片付けるのは簡単なのかもしれない。しかし、その一言で片付けるのは、無理がある、臼井とて、それに気づかないわけではない。
ただそばにいればいい、それなら憧れであってもおかしくないだろう。しかし、男性教師に対してそこまで憧れるのは、異常だ・・・そう思った。
自分よりはるかに『大人』である黒沢に対するコンプレックスか?いや、そうではない。そんなもので自分の心臓がどきどきすることなんてあるはずがないのだ。

それなら・・・・・・浮かび上がった考えを慌てて打ち消した。そんなことがあってはならない、そして・・・決してその可能性を考えてしまったことを知られてはならない。臼井はテスト勉強に没頭した・・・。






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いつもの癖で隣を見かけた黒沢は、慌てて視線を元に戻した。今がテスト期間であることを思いだす。

(ちょっと・・・寂しいな)

テスト作成で忙しい間は気が紛れるものの、少しでも休憩をとると、どうしても教え子の少年のことが頭に浮かんでくる。
それがわずか数十分であっても、自分にとって思った以上にかけがえのないものになっていたらしい。今更のようにそれに気づき、黒沢は軽くため息をつく。
大切なものは、自分でも気づかない間に心に入ってくるものだ、それを『改めて』確認してしまい、苦笑するしかなかった。






(やっぱり・・・恋なんだろうな・・・)





気がつけば一人の人間のことばかり追ってしまう。よりその人の事を知りたくなる。そばにいるだけで年甲斐もなく心臓が脈うつ。
どうにかしてその人を・・・この感情はかつて周防に抱いたものと同じ類のものだった。




(だけど・・・教え子だぞ)



自分の気持ちを認め、ため息をつく。もともと黒沢は常識を重んずるとは言え、男同士に禁忌を抱くような人間ではない。
自分は同性愛者だと豪語するつもりは毛頭ないし、あれから二度と男と恋をするつもりはないと思っているが、どちらかというと女の身体よりも、男の身体に魅力を感じる男であることは認めているし、今もその気持ちはあまり変わらない。
同性愛者には物心がついたときから当たり前のように同姓を愛している人が多いと言うが、黒沢の場合は自分にないものを求めるからであることを自覚している。
彼は自然と綺麗な心をもつ人間に惹かれていて、その相手がたまたま男であることが多いだけだ・・・それも自覚している。

よって、結末には責任を感じているが、周防に惹かれたこと自体には大して問題を感じていなかった。あの頃は彼も若かった。失うものなど何もないと思い込んでいた。
だからこそ、若さが諸刃の剣であることを知らずにまっすぐ進めたのだ。


しかし、現在は違う。想いを貫くことは大切だとは思っているが、愛し合っていれば二人だけでも生きていけるなど、馬鹿馬鹿しい(しかし、羨ましい)ことを思えるほど若くもないし、何も知らないわけではない。
人を愛し、挫折を味わってきたからこそ、愛を貫くだけではいけないことを知っている。


それに・・・自分と年が離れていることも問題だった。確かに少年ほどの年齢であれば、恋愛に疎そうな彼であれば、彼の行く道を封じ、自分の手に堕とすことも不可能ではないだろう。
しかし、前途が洋々たる少年の未来を手折るわけにはいかない・・・黒沢はそうも思っていた。
不器用だけれども、清廉な少年には、可愛い女の子がよく似合う。当たり前のように女の子を好きになって、そして、当たり前のように結婚し、当たり前のように子供が出来る・・・そんなささやかではあっても、充実した幸せを過ごしてほしい。

その綺麗な魂を、この手で汚してはいけないのだ。もう、周防にしてしまったような『過ち』―彼は泣きながら黒沢に別れを迫った―を犯すわけにはいかない。
愛しいからこそ、護らなければならない。この醜い感情を知られてはいけない。だから黒沢は決意する。この気持ちを封印し続けることを・・・。




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