その14

その動機は不純だったものの、いつも以上に集中したせいか、テストの出来は上々だった。
もともと地道な努力家でもある臼井は化学と数学は得意だったのだが、今回は苦手であった国語や世界史もそれなりにいい得点だった。
黒沢から意識を逸らすために勉強を頑張ったため、複雑な心境ではあるが、意識しすぎてぼろぼろになってしまうよりはいいだろう。
それに、世界史のテストを返されたとき、小声で『頑張ったな』と言われ、そんな気分も一気に吹き飛んだ・・・現金な自分に苦笑する。


あとは終業式のみ!一気に浮かれてしまった友達一同は授業に身が入らず、教師陣もその心情を恐ろしく理解しているのか、騒がしくても時折苦笑いするだけで、課題の話をするとき以外は敢えて注意はしなかった。
やる気のない教師は、余談に時間を費やすものだ。もちろん、夏休み前に授業を行うのは中途半端になってしまうという部分もあるが、結局のところ、夏休みが待ち遠しいのは、教師も一緒なのだ。


しかし、臼井は違った。正直のところ、夏休みが待ち遠しい気持ちと、まだ来てほしくない気持ちが、仲良く同居していて、あまつさえ茶をすすっている、そんな状況なのだ
。もちろん、夏休みは来てほしい。彼も、課題だけは着実に進めるが、暑い中勉強をしようなどとは思わない。しかし、夏休みが来てしまうと・・・。




(先生に・・・会えないな)



そう考えると、素直に喜べなくもある。もともと会える時間は限られている。特に話題もないし、話題を作り出すことが出来るような性格でもないので、クラスの中で話すわけにもいかない。
許されるのは世界史がある日の放課後のわずか数十分。しかも、会議などがあれば、それはなくなることもある。独りで作業をするのは寂しいものだ。
ただでさえその状況なのに、夏休みなど迎えてしまえば、本当に会えなくなる。一ヶ月少しという期間は、長いのか短いのか・・・それは臼井には考える必要はなかった。


(でも・・・そんなこと言っても仕方ない)

黒沢は大人で、臼井は子供。わがままを言って困らせてはいけない。先生は先生、みんなの先生なのだ。一人の生徒に特別扱いするわけにもいかないし、自分みたいなとりえのない少年にそうする道理がない。

(俺・・・)

彼に特別扱い、されたいのだろうか?テストが終わったせいで、打ち込めるものがなくなり、その問題に直面する事になる。今まで逃げ続けていたその問題が、今になって自分の首を絞める事になるとは思わなかった。



(だけど、俺は・・・男だ・・・)



臼井が女の子だったら、まだよかったのかもしれない。異性として、好きになることが許される。
教師と生徒の壁を越えることは不可能ではあっても、高校生特有の恋に浸ることが出来るだろう。幸いな事に黒沢はその要素を十二分に満たしている。
それは不思議な事に、それを望む女子ではなく、恐らく臼井が一番知っているのかもしれない。

しかし、彼は男だ。不毛な片想いなど、出来るはずもない。確かに黒沢はかつて男と付き合っていたことがあるので、それをタブーとは思わないのかもしれない
。しかし、現在もそうであるとは限らない。教師となった黒沢がどう思っているかも解らない。彼の隣にはちゃんと似合う女性が現れるはずだ。






(どうしてそんなこと・・・)





まるで自分が黒沢に・・・いや、そんなことはあるはずがない。これは何かの勘違いだ。今まで知り合ったことのないタイプの大人だから戸惑っているだけだ・・・そう思ったところで、声をかけられていた。知らないうちに、後ろに臼井を悩ます原因が立っている。

「どうした・・・?」

必要以上に驚いた臼井を不審に思ったのだろう?珍しく戸惑っている黒沢。それに関しては曖昧にして、要件を聞いた。

「あぁ。ちょっと頼みたいことがあって。忙しいのなら他の子に頼むけど・・・」

行きます!即答した。教材室に他の人間など入れてほしくなかった。そして、そう思った自分にこっそりと首をかしげた・・・。





-----





(どうしたらいいんだろう・・・)



はっきり言うと、黒沢は煮詰まっていた。一般に比べて精神力は強いほうの彼であっても、己の感情を押さえつけ続けるのは至難の業だ。
段々強くなる想いを封じ込めるのは並大抵のものではない。封じようとすればするほど、逆に意識をしてしまう。悶々としてしまう。
感情のコントロール・・・それが出来れば好きになんかなってはいない・・・判ってはいても開き直れるような性格でもないため、悪循環が続く。
だが、それ自身はまだ造作もないことだった。黒沢に必要なのは、身体ではない、臼井の心・・・それだったのだから、想いは強くても、告白する事に必然性は感じていなかった。
優しい兄みたく側にいることができればよかった。


それに、偽善であっても臼井のためと思ってしまえば忍耐も苦痛ではなくなる。どんなにそれが辛いものであったとしても、かつて好きな者を泣かせてしまった痛みに比べれば、大したものではない。
ただの教師と生徒なだけで、何か関係を失うわけではない。お互いそれから目を逸らせていれば、穏かな時を過ごすことが出来る。
臆病だといわれようが、黒沢はそんなささやかな時間を送ろうとしていたのだ。


しかし、問題は臼井だった。漠然とではあるが、黒沢は気づいてしまった。

少年が少しずつ自分に惹かれはじめていることを・・・。

クラスの子は彼のことを中々感情が出ない少年・・・そう評しているようだが、黒沢には全然そう思えなかった。

確かになかなか表情は変えないのだが・・・廊下ですれ違い、頭をなでたとき、ほんの少しであっても少年の表情が変わった気がした。

もしそれが黒沢の勘違いでないのなら、臼井の顔は赤くなっていた。そこにあったのは子ども扱いされたことによる怒りではなかった。



むしろそれは・・・。




(まずいな・・・)



恐らく彼は不安定な位置にいる。どちらに転がる可能性も存在する。自分の話を聞いても嫌悪感を持たなかった。
しかも、もともとその手の話題に興味が薄そうな少年だ、一度黒沢側に入ってしまえば、どんどん染まっていくだろう。

それではいけない。例えそれが黒沢のエゴであっても、押し付けの愛であっても臼井を自分で汚すわけにはいかなかった。
少年には進むべき道があるのだ。自分みたいな苦しみを味わわせてはいけない。今ならまだホモを気持ち悪いと思うかもしれない。

取り返しがつかなくなる前に、黒沢はささやかな幸せを手放す決心をした。





Next     Top     Index