その16

これでいいのだ。出て行った少年を見送らず(全理性を動員して)、黒沢はため息をつく。
無理やりドアの鍵は閉めた。こうでもしないと自分で何を言うか分からなかった。少しくらい心に傷をつけてしまったかもしれないが、時がそれを癒してくれるだろう・・・そして、それを癒す存在が現れてくれる、それを願った。
願わざるを得なかった。

世の穢れを知らぬ純粋な少年は、こんな最低でしかない自分に恨みを抱くだろう。そして、見限るだろう。
それは当然のことだ。ある程度期待をさせて、下げるような真似をしたのだから、それは自業自得以外の何でもない。逆恨みするつもりもない。
しかし・・・心の中で、これだけは弁解しておきたかった。




(どうでもいいわけ・・・ないだろう?)



どうでもよかったのなら、わざわざ突き放すことなんかしない。それ以前に、最初からこんな独りで出来そうな仕事を頼むはずがない。
それを出来るのが教師なのだが、万が一出来ないようなことがあっても、それこそ学級委員に頼めばいいだけのことだ。わざわざ特定の少年を選ぶ必要はない。
ただ臼井のそばにいたかったら・・・一教師にあるまじきわがままで少年の時間を奪い取っていたのだ。

だから、これでいいのだ。痛む胸を押さえ、むりやりそう言い聞かせる。そのうち黒沢のほうもいい想い出になるだろう・・・それが叶うかは不明だったが、今の彼にはそう言い聞かせるしかなかった。





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黒沢はあまり声をかけるわけではなく、臼井もひたすら避けていたため、双方気まずい気分のまま、終業式の日が来た。
これで臼井と黒沢の接点は当分なくなる。嬉しいはずが、やはり心に穴が開いた気分だった・・・。

あの時終わってしまったはずなのに、憎んで、恨んで嫌いになる努力をしたはずなのに、相変わらず黒沢は優しかったので、結局のところ、臼井は嫌いになることが出来なかった。
簡単に嫌いになれたら、性別を越えて惹かれるはずもなかった・・・悔しいけれど、臼井はそれを認めざるを得なかった。

そしてそれを認めるのと同時に、疑惑が浮かび上がった。



(先生は・・・)



臼井と話しているとき、どんな気持ちだったのだろうか。少しでも自分と一緒にいる時間を心地よいと思ってくれたのなら、それでよいけれど、それはそれで虫のいい考えではないかと思い、苦笑する。
黒沢にとって臼井はただの生徒なのだ。ちょっと違うことといえば・・・周防の結婚式に出たくらいだ。それでちょこっとだけ、黒沢のことを知っているだけだ。




(俺って後ろ向きだな・・・)



黒沢に浮かれている女子がうらやましい。平気で黒沢のことをほめまくる。それだけの大胆さがあれば自分ももう少し変われたのだろうか・・・そう思ってみたものの、教師と生徒、そして男同士の壁は厚い。

「臼井・・・」

名前を呼ばれ、自分の番が周ってきた事に気づく。複雑な気持ちで教卓に行くと、相変わらず優しげな笑顔を浮かべ、通信簿を手渡す。
ぎこちない仕草でそれを受け取ると、彼の気持ちが伝わってきたのか、少し困ったように笑った。


(そういう顔も好きなんだよな)

さすがに口に出すわけにもいかない。相手は教師なのだ。臼井は苦笑いを返して、席に着く。
成績、どうだったかな・・・テスト自体は悪くはなかったので、そこまで暗くなる必要はないのだが、それがどんなによくとも、この瞬間は誰しもが緊張するものだ。
周りの少年少女と同じくらい緊張し、それを開くと、一枚の付箋が貼ってあり、何かが書いてある。一人一人にメッセージを送るとはまめな人だ、ほんの少し温かい気持ちになって文面を見ようとしたところで、そうではない事に気づいた。






『ごめんな・・・』





付箋にはこう書かれていた。そして、メッセージは恐らく自分にしか書かれていない、臼井は察した。本当に・・・優しい人だ、彼は泣きたくもなる。
教師として当然の行為であるのに、ただ臼井が切れただけなのに、黒沢は謝ってきた。


(や、やられた・・・)

黒沢の真の目的が解った。自分達の距離を、教師と生徒のままにしておきたいのだ。これ以上二人の距離が近づけば、臼井の心は確実に黒沢に傾くから。
男同士の世界に、入らせるわけにいかないという彼の『教師』としての優しさなのだ。

これが・・・もどかしく思う一方で、嬉しくもあった。決して自分が嫌いで突き放したわけではないから・・・少しでも自分のことを大切だと思ってくれているような気がするから。
それなら彼の望むとおり、いい生徒でいよう、そう決心した臼井の心は、少なくとも、捨て台詞を吐いてしまったときよりは晴れ晴れとしていた。




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