その18

ほっと一安心をして、行きつけの喫茶店に入る。黒沢のお気に入りということもあるが、レトロで中々人が入ってこない雰囲気が好きだった。
ちょっと古いから、中々人は入ってこない。だから、落ち着いた時間を過ごすことが出来る。時々臼井一人でも入るようになり、マスターと顔見知りになった。


「ここのサンドウィッチ、おすすめだぞ?」

え?聞き返す暇も無く、黒沢はそれを小さくちぎり、臼井の口に詰め込む。

「あ・・・おいしい」

普通のレストランのもおいしいのだが、毎度のことながらこちらのは真心がこもっている・・・ような気がした。
大量生産では決して味わえない、独特の『この店でしか味わえない』味もする。その説明が出来ない臼井はもどかしく思う。


「だろう?先生はこれが好きで来ているんだ。あとお勧めは・・・今臼井が食べてるその和風スパゲッティかな。結構あっさりしているから、いける」

先ほどのサンドウィッチと引き換えと言わんばかりに、臼井からフォークを引ったくり、つるりと一口入れる。



(あ・・・)



臼井がその事実に気づき、一気に固まる。黒沢はそれを一瞬不審に思ったようだが、臼井の視線の先を見て、やっと理解したようだ。
それは普通男だろうと女だろうと当たり前のように行われているが、意識しまくっている臼井にとっては、かなりの毒だった。


「そ・・・その、悪かったな」

あたふたと黒沢が謝ってくる。臼井自身は心臓に悪いだけで嫌だと思っていなかったが、黒沢が嫌だったら申し訳ないと思う。

「い・・・いえ、先生のほうこそ俺のフォークに口つけちゃって・・・」

とにかくこの不自然な空気をどうにかしたくて謝る。

「い、いや、別に俺のほうは・・・臼井なら」

臼井なら・・・?それを聞こうとしたら、慌てて咳払いをする。わざとらしくはあったが、不快さは感じられず、ほんのりと幸せな気分が漂っていたので、やめておいた。
下手に聞いてこの空気を壊したくはなかった。


「ところで、先生って料理するんですか?」

自然に話を変えるのなら、この辺がいいだろう。そう思ってしたものだったが、臼井は黒沢の私生活について何も知らなかった事に気づく。
大抵の生徒はそういうものではあるが、こうやって一緒に食事しているくせに、何も知らないというのも変な気がした・・・。
とはいえ、臼井にとっては聞かないことのほうが普通ではある。決して興味がないわけではない。聞いていいのかと思っているうちに聞きそびれることが多いのである。


「もちろん、料理するさ。外食だけじゃかなり高くつくからな。まぁ、この店のようにうまく作れるわけじゃないけど、そのうち・・・いや、なんでもない」





『そのうち、作ってやる』

いっそのこと、そう言ってしまおうかと思った。そう言ったところで、臼井は拒否しない。
そんな確信が黒沢にはあり、そうすれば一気に関係は崩れるだろうと想像するのは簡単だった。
しかし、まだこの関係を崩したくはなかった。何も考えずに付き合って、傷つけるようなことはしたくなかった。
急ぎすぎて失敗したからこそ、今度はゆっくりと進んでいこう、二人でしかつくれない関係を作りたい、そう思う。


「そうですね・・・」

その意図を汲み取ってくれたのか、臼井はそう言った。困った顔も、笑った顔も見せなかったが、納得してくれたような気がした。もちろん、それが黒沢の甘えだということには気づいてはいるが。



「そういえば、先生って好きな人はいるんですか?」



その仕返しがそれらしい。本人は気づいているのかいないのかは解らないけれど、このような質問をするということは、不満な部分もあるようだ。
素直に喜んでいいものかどうか・・・苦笑しながらそれに答える。


「あぁ、いるよ。向こうも・・・まぁ、嫌いじゃなく思ってくれてはいるようだけど。唯一の欠点は、未成年だということかな」

「先生に好かれて嫌だと思う人なんか・・・いません」

消え入りそうな声で、そう言った。黒沢はかつて周防にも『先輩に好かれて嫌だと思う人などいません』と言われたことがある。
その時は熱くなったのだが、臼井に言われると、穏やかな気持ちになれた。


「そうだと嬉しいけどな。それがほんとなら、告白したら付き合ってくれるかもしれない。
でも、先生はまだ温かく見守ってやろうと思うんだ。好きだと言って付き合うことだけが愛ではないと思うんだよ」


人と人との間には、無数の繋がりがある。彼らの関係もそうであり、恋愛もまたそうである。男同士でも恋愛関係は成り立ちうる。それは自分自身が証人だ。
だが、果たしてそういうお付き合いをすることが必ずいいことだと断言できるのだろうか?同姓をパートナーに選ぶ意味は何なのだろうか?
そして・・・同性愛者として生きなければ、幸せにはなれないのだろうか?これは周防と別れてから、ずっと考えてきたことである。そして、今も黒沢は考え続けている。その答えは、ずっと見つからないだろう。


「でも・・・その人が他の人と付き合うというようなことがあったら・・・」

もちろん、黒沢もそれを考えなかったわけではない。だからこそ、悶々としているのだ。
臼井みたいな魅力的な少年なら、今はフリーであっても、そのうちいい子がよってくるはずだ。卒業を待っているのでは遅いかもしれない。しかし、黒沢はこうも考えていた。


「その時は・・・そうだな・・・笑ってお祝いをすると思う。これが教育者の務めかもしれない。まぁ、ひょっとしたら耐えられなくなって奪還するかもしれないけどな」

高校さえ卒業すれば、後は堂々と出来る。一人の人間を特別扱いできるのだ。恋人にはなれなくとも、友達ではいられるかもしれない。



「そういえば臼井に好きな人はいるのか?その年なら付き合ってもおかしくはないだろう?」



そんな質問に『やられた』という顔をした。同じ質問をされるとは思っていなかったのだろう。恋の話が苦手そうな少年だ。
想像通りためらったものの、自分から聞いた手前、答えないのは失礼だということを悟ったのだろう。ため息をつきながら答える。


「俺にも好きな人がいるんです。多分、向こうも好いてくれているとは思うんですけど・・・その人は大人で、俺は子供だから、多分後何年かしないと手を出してくれないと思うんです。俺はその人が自分を見てくれるまで何年だって待つつもりでいますけど・・・」

「でも、そのときには・・・」

同じことを聞いた。おそらく彼の好きな人というのは、黒沢の想像と一緒だろう。だから、彼の気持ちが知りたかった。

「そうですね。その人、とてもモテるから、俺が待っている間に、いい人が出来るかもしれない。もともと俺に魅力なんかないし、俺も多分好きだなんて言えないから、そのまま終わってしまうかもしれない・・・」

「でも、臼井はそれで・・・」

「そのときになってみないと・・・。笑って諦めるかもしれないし・・・ひょっとしたら見っともなく泣いて縋ってしまうかもしれない・・・」

そうか・・・心地よい沈黙が場を支配した。このまわりくどいやり取りが、本当に心に染み渡った。これが直接的な話だったら、こうはならなかった。
周りから見ればもどかしく見えるが、この二人にとっては・・・何よりも大切なことだった。


「先生・・・俺、毎週木曜日には図書館で勉強しようと思うんです」

「それは大変だな。まぁ・・・先生も二学期用のプリントを作るために図書館を訪れなければいけないから、人のことは言えないんだけど」

同時に吹き出した。別に約束をしたわけではなかった。ただ各々の予定を言ったまでのことで、二人に何か繋がりが出来たわけではない。それでも、何か秘密を共有したようで、黒沢は嬉しかった・・・。




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