その20

あくまでも教育者として振舞っていたが、本当は別れたくなかった。
もう少しだけそばにいたかった。独り占めにしていたかった。
だが、踏み込みすぎて少年を傷つけるわけにはいかない。
何とか理性を動員して臼井と離れる決心をした。


「送るよ」

そうは言っても名残惜しいものである。
往生際が悪いことは知りつつ最後の抵抗を試みてそう言ったものの、そんな黒沢の心境に気づいているのかどうか、臼井は『先生に送ってもらうわけにはいかない』と、固辞した。
もともと臼井がそれを受け入れることのできる性格の持ち主ではないということもあるだろうが、夏休みにこれ以上教師と生徒が一緒に歩くわけにはいかない、それが大きな理由だろう。
それに、彼の家を知るということは、更にプライベートに踏み込む事になる。今の黒沢たちにそれが必要かといわれると、疑問だった。
過去の傷から相手を傷つけないようにと、慎重すぎる教師と、ちょっと不器用で、甘え方を知らない生徒の二人であれば、現在の距離がちょうどいいのかもしれない。
時間は無限にあるわけではないけれど、急ぐ必要はないのだ・・・そう結論した黒沢は、途中で別れる事に同意する。


「先生、今日はありがとうございました」

淡々と臼井が礼を言った。少しは離れたくないと思ってくれればよかったのだが、それはそれで虫のよすぎる話だろう。
教師と生徒の壁を作っているのは、ほかでもない黒沢自身なのだ。
これ以上の贅沢は望んではいけない。教師と生徒に戻るという合図だろうから、黒沢のほうも同じようにして返す。


「それも仕事だ、気にするな」

食事をご馳走して、なおかつ回り道をしながら別れを惜しむ・・・本当は仕事の範疇ははるかに超えているのだが、自分を納得させるためにあえてその言葉を使った。
少し臼井の表情が暗くなったような気もするが、それはあえて気づいていない振りをした。


「それでは・・・」

だが、そんな黒沢の気持ちを少しは察したのだろう。臼井も元の『感情を表に出さない少年』に戻った。

「気をつけて」

そして軽く会釈して、去っていった。追いかけたい気持ちは山々だが、これ以上引き伸ばせば、向こうの家族に迷惑をかける事になるかもしれない。
昨今の高校生は夜遅くまで帰らないことが多いが、臼井はそうには見えなかった。
しっかりと帰り、家族とともに食事するのだろう。育ちの良さを見れば、想像は容易である。


(それなのに・・・)

人を好きになることは悪いことではない・・・それは分かっていても、一握りの後ろめたさを感じる黒沢。
教師と生徒、男同士だから・・・自分の都合で少年を突き放しておきながら、気がつけば二人で一緒に食事をした。
それどころか、つい抱きしめてしまった。不自然な言い訳を臼井が信じているとは思えない。それを喜んでいいのか悪いのか。




(兄でも先生でもないよなぁ・・・)




その道に引きずりこまないと決意したはずなのだが、それはもろくも崩れそうだった。自分の根性のなさに彼は苦笑する。
そもそも、好きな相手に対し、何もしないで済むほうがおかしいだろう・・・と言い訳を試みるも、もともと常識人の黒沢のこと、かんたんに開き直れるはずがない。


(どうしたらいいものか・・・)

悩んでも答えが見つかるはずはない。

(俺も帰るか・・・)

こればかりはなるようにしかならない。諦めの境地に達する黒沢。臼井の姿が見えなくなってから、彼も家路につく。
素直に喜べない部分はあるが、それがどんなにわずかであっても、距離が近づいたのは大きかった・・・。




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