その21

それはよくよく考えてみると、不思議な光景であるかもしれない。別に約束したわけではないが、決まってその曜日には図書館に行き、ある程度調べ物をしてから、探してみると、同じ場所に少年がいる。
それがあたかも当たり前であるかのように黒沢は隣に腰掛け、臼井と、彼がやっている課題を見る。
もちろん、口も手も出さない。ただ見ているだけで、何か解らないことがあったときだけ、ヒントを言うようにしている。
少年がちょっと困った視線を浴びせたら、手持ちの本に視線を移すことにしている。
真面目な少年は、この大人の教師が直接関与するのを好まないだろうことは、解っているので、彼に任せる事にしている。
もちろん、本当は口出しをしたいのだが、大人として我慢しなければならない。


ある程度キリのいいところまで終わると、目だけで合図し、二人は図書館を後にする。
そこから行く先は、決まっていつもの喫茶店。
例によって人はいないので、二人だけの落ち着いた時間を過ごすことができる。マスターも、気を利かせてか、二人だけのときは奥に引っ込んでいる。
この話を出すのなら、今のような時が最適だった・・・ある話を胸に秘めていた黒沢の様子だけがいつもと違っていた。




「先生な、来週から実家に帰るんだ。まぁ、そういうことで・・・当分は・・・」



本当だったらわざわざ実家に帰りたくなかったのだが、両親に催促され、従わざるを得なかった。
『いつもそばにいない分、休みのときくらいは・・・』などと言われると、黒沢も嫌とは言えない。臼井と会えなくなるのは寂しいが、自分を納得させるしかない。


『そうですか・・・』それだけ言って臼井は沈黙した。本来ならただ『偶然会っただけ』なのだから、そこまで落胆する必要はないのだが、やはり一週間に一度でも会えなくなるというのは、黒沢にとって―そして恐らくは臼井にとっても―寂しいものがあった。しかし、それを言うことは出来なかった。
言ったところで臼井が困るのは、目に見えていた。おそらく臼井が我慢するのだろうだから、自分も我慢しなければならない。


「臼井は帰らないのか?」

「俺はもともとこっちだから・・・。それに、父方の実家はちょっと遠いし。友達もみんな部活だし・・・帰る必要ないです」

心なしか、臼井の声は寂しそうだった。我慢をしようとはしているものの、限界があるようだ。これでは自分も暗くなってしまう。
そんなことがあれば臼井は気に病むだろう。この沈んだ空気をどうにかしたくて、黒沢は明るく振舞った。


「そんな声出すな。別に二学期になれば、腐るほど会えるだろう?」

これは自分に言い聞かせるためでもあった。





「でも・・・その間、会えない・・・」





言ってからその意味に気づいたのか、真っ赤で大慌てをし、そして、消沈する。
わがまま言って呆れたとでも思ったのかもしれない。
そんなことで呆れるわけではないのに、それどころか・・・黒沢はため息をつく。
しかし、それがますます臼井の誤解を招く事になる。どんどん臼井の表情が暗くなっていく。


「その・・・ごめんなさい・・・そんなことを言うつもりは・・・」

ますます臼井が縮こまってしまい、黒沢の良心が刺激される。彼を安心してやれるにはどうしたらよいだろうか。

「おかしいですよね。先生の言うとおり、学校では毎日会っているのに、こんな気持ちになるなんて・・・」

「こんな気持ち・・・」

別に何か意図があるわけではない。臼井の言葉を反復しただけなのだが、それを質問だと思ったのか、臼井が萎縮する。
気にならないといえば嘘になるが、あえて沈黙する。臼井の思うままにさせてやりたかった。


「来週会えないと思うと・・・ちょっとショックです」

『ちょっと』という言葉にかなり無理があったが、黒沢は指摘しないでおいた。滅多に本音を言わない臼井から出た『ちょっと』した本音。
それに幸せを感じるのと同時に、続ける言葉が思い浮かんだ。


「悪いな、臼井。本当は帰るのはもう少し後でもいいんだけど、当分家を空けるから、今のうちに掃除しておこうかと思うんだ」

これもまた大きな賭けだった。乗るかどうかは臼井にかかっている。

「その・・・もしよければ、手伝っても・・・いいですか?」

そう言ってくれて安心した。中々お願いをしない臼井だから、すぐに引き下がってしまうと、心配していたのだ。

「だがな、臼井。そうすると仕事をお願いすることになる。正当であろうがなかろうが、先生が生徒にバイト料を渡すのはよろしくないと思うんだ」

「お金なんか・・・いりません」

「ただ働きだぞ?」

「構いません」

「そうか・・・きまりだな」




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