その26

それから気まずい関係のまま、予定を繰り上げて黒沢は実家に帰った。
それが深夜だったからなのかは知らないけれど、臼井は帰ることはしなかった。+
朝食も一緒にとったのだが、非常に気まずい沈黙だった。もともと饒舌ではない二人なので、彼らの間に沈黙が生じるのは珍しいことではないのだが、普通それは心地よさを含んでいた。
しかし、その時は違った。お互い無言で、意識的に目を合わせず、黙々と食べていた・・・。




『じゃ、もう・・・来ません』



少年は帰り際、そう言った。軽く会釈しただけだった。泣きそうでも、悲しそうでもなかった。ただ淡々と言っていた。
それで黒沢は、終わったことを悟る。臼井は黒沢のような男らしくない奴に、嫌気が差しただろう。




(でも・・・それでいいんだ)



自分に言い聞かせる。臼井には、日の当たる道を進んでほしい。今は心が痛むが、夏休みが終われば、いい思い出となるだろう・・・。
少し感傷に浸っていたところ、携帯ではなく、自宅の電話が鳴る。出る気分ではなかったが、切れる様子はない。親は買い物に行っているため、彼が出ざるを得なかった。


「はい、黒沢ですが」

『あ、先輩?やっぱいたんですか。目撃情報があったから・・・』

声の主は、周防だった。何処からか目撃情報が流れて、真偽を確認しようとしたらしい。携帯でもいいのに・・・そう思ったが、周防には番号を教えていなかった。
当時は携帯などなくても生きていけた・・・時の移り変わりに苦笑する。


『今から遊びに行くんで、待っててください・・・絶対ですよ!』

は?気づけば電話は切れていて、黒沢はただ立ち尽くすしかなかった・・・。





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「先輩、何かあったんですか?」

どうやら彼もお盆休みだったらしい。のんびりと部屋を片付けようとしたところ、想像以上に早く周防は到着し、苦笑しながらドアを開けると、開口一番そう言った。
嫁さんはいいのかと思ったが、それについては黙っておいた。


「俺が帰ってきたら変か?」

心の中ではかなり驚いていたが、鋭い後輩に心配をかけたくはなかったため、黒沢はとぼける事にした。極力実家にその問題を持ち込みたくはなかった。

「とぼけたって無駄です。今の先輩、様子が変。生気が抜けてる。何か辛いことがあった・・・そんな感じがします」

そこまで詳しく当てられ、驚く以上に舌を巻く。

「そこまでわかっているとは・・・感心だな」

「俺を誰だと思ってるんですか」

「つい最近結婚した周防千草くん」

ボケることに徹しようとした黒沢だったが、その言葉は彼にとって皮肉に聞こえたらしい。切なそうにため息をつく。

「・・・やっぱり怒ってるじゃないですか。先輩がおとなしく出てくれるなんて。
身体くらい要求されるかと思ったのに何もなかったし・・・って、この際そんなことはいいんです。
俺にそんな資格がないことは分かってます。でも俺にとっては大切な先輩だから・・・その・・・俺でよければ話して下さい・・・」


黙っているのは、別に周防を信頼していないからではない。ただ単に周防に心配をかけたくなかっただけなのだが、言わなければ余計彼が心配することは目に見えたので、顛末を話した。
もちろん、臼井という名前や、彼が男であることは明かさなかった。臼井は周防の従弟だ。言うわけにもいかない。


「まぁ、そういうわけだ。情けない男だろう、俺は?」

かつて付き合って、黒沢を知っている周防もそう思うだろう。そう思ったが、周防は寂しそうに首を横に振った。



「先輩は・・・優しすぎます」



「優しい?違うよ。男らしくないだけだ」

自分とは縁遠い言葉に、黒沢は苦笑する。もし自分が優しい人間であるのなら、目の前の後輩を泣かせるようなことにはならなかったのだ。

「嘘ばっかり。そう言っている裏で、その人の幸せを考えている。考えているからこそ、突き放した・・・としか考えられない。
ということは、先輩の好きな人は、男なんですか?それとも・・・教え子なんですか?」


『両方だよ』そう言うと、周防は納得した様子を見せる。

「なるほど・・・確かに、先輩が考えてしまうのは無理ありません。どっちかならまだしも、両方は・・・優しいけれど枯れている先輩なら・・・」

それから周防は沈黙した。言うべき言葉を失ったのか、そう思ったが、彼なりに考えていたらしい。数分後、口に出した。

「でも、もっと先輩は大胆になっていいと思います。
俺と付き合っていたときもそうだった。男同士だからなのか、俺が変なことを言われないように、いつも先輩は気を遣ってた。
俺たちが付き合っていることを知られないよう、『先輩』として振舞っていた・・・最初はそんな優しさが嬉しかった。でも・・・」





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