その27

黒沢の『優しさ』が嬉しかった・・・そういった後周防は再び沈黙した。
最初は思案のための沈黙だったが、今度は違うことは、解っていた。周防の瞳が、すごく寂しそうだった。
それは当然の話だった。ここから先の話は、周防が別れる決意をした真相であろう。彼とて無駄に教師をやっているわけではない・・・黒沢にはそれが解った。
だから、彼は気持ちを引き締める。どんな答えでも受け入れる覚悟をした。



「嬉しかったけれど・・・愛されているのかどうか不安になった・・・。
俺ばっかり好きであるような気がして、寂しくなった・・・。
下手に手を出さなかったり、周りを考えたりするのは、ただの世間体じゃなくて、先輩に考えがあるからだとは解ってるんです。




でも・・・段々先輩の隣にいるのが辛くなったんです」




これが周防が別れを突きつけた真相だった。ずっと嫌われたと思っていた。男同士が嫌だからだと思っていた。
しかし、決してそうではなかったのだ。周防は黒沢のことを大切に想ってくれていたのだ。そんな彼に黒沢は辛い決断をさせてしまったのだ。
おそらく彼が責任を感じないよう、わざと・・・。


「そんなことで責任感じないでください。俺のことはまだいいんです。そういう人だって解っていて先輩を捨ててしまった俺に何も言う権利はないから。
でも、その子とのことは・・・まだ終わってないんですよね?

教師という立場上、手を出せないのは仕方ないのかもしれません。
でも、せめて二人きりのときは・・・セックスをしろとはいいません。
というか、そんなの『他人』でしかない俺が言うことなんかじゃない。
ただ・・・元恋人からのお願いとしときます。せめて・・・抱きしめてやってください・・・その子が不安に思わないように・・・」


「それが出来ないのなら・・・?」

本当は周防の言うことが尤もであることは、知っている。そして、出来ることならそうしてやりたいと思えるようにもなった。
しかし、その一方で『教師』であるという事実も存在する・・・。本気で考えているからこそ、そう単純な話にはなれないのだ。


「その子に優しくしないでやってください。変な期待をさせないでやってください。先輩が優しくするから・・・だからその子が苦しむんです」

心当たりがあるのか、後輩の顔が歪んだ。

「聞いていいか?俺はそこまで価値のある奴なのか?好きな奴を幸せにしてやれない、ものすごく情けない奴なんだぞ?」

「言ったでしょう?先輩に好かれて嫌な人なんかいない・・・って。俺ね、別に男が好きってわけじゃないんです。男なんかに言い寄られたら寒気がしますよ」

想像して身震いをする周防。それがポーズでもなんでもなく、妙に現実的で、以前そういうようなことがあったことを悟ったが・・・そこで気づいた。言い寄ったのは、他でもない黒沢だった。
周防にもそのような想いをさせていたのか・・・彼はため息をつく。


「でも、啓先輩は違った・・・。だって、すごく真剣だった。
だから俺も真剣に考えたんです。勿論、悩みました。どんなに先輩がいい人でも、やっぱり男だから・・・。
ただデートをすればいいわけじゃない。その後がある。そういうのが認められないことくらい、俺だって知ってます。それを平気で無視できるほど、俺は鈍くはないんです。

でも・・・それを差し引いても、先輩の側にいたいという気持ちのほうが強かった・・・だから俺は先輩と付き合うことを選んだんです。
別に俺は何も考えていなかったわけじゃないです。先輩が相手なら、何を言われても良かったんです・・・。

好きでなければ同じ男に抱かれようなんか思わないですよ、普通」


確かに。黒沢は頷く。

「結婚したくせにこういうのは変だとわかってるんですけど、俺ね、その子に妬いているんですよ?
先輩は俺にそんな顔は見せてくれなかった。いつも優しくて強い先輩で・・・今そんな弱さを見せてるけど、それは決して俺のためじゃない・・・本気でその子を愛しているからそこまで・・・」




「ごめんな・・・」



黒沢は素直に謝った。十年ほど経って、やっと、周防の気持ちを知ることが出来たから。そして、自分が何をすべきかも知ったから・・・。彼の気持ちを無駄にはしたくなかった。

「まぁ・・・先輩に気を遣わせてばかりだった俺の責任でもありますけどね。ところで先輩、俺のこと・・・好きですか・・・?」

しかしその答えは、黒沢が想像していないものだった。黒沢でなくとも、想像しなかっただろう。何の脈絡もない質問だった。
しかし、結婚している周防が聞いたということは、何か意味があるだろう。黒沢は濁さずに、正直に答えた。


「そうだな。あれから十年近くたって、もう千草のことは過去だ、何とも思っていない・・・そう思おうとしたけれどな、残念ながら、まだ俺は大切な弟のように好きみたいだな・・・本当に残念だけど。どうして結婚なんかするんだ」

苦笑いして、締めた。時が経ち、それは後輩であり、弟みたいなものではあるけれど、黒沢が周防を好きな気持ちは消えなかった。
今なら、彼と付き合って後悔はなかった、そう断言できる。そして、それを認める事によって過去のしがらみから自由になり、前に進めるような気がした・・・そして・・・周防もそうなのだろう。


「それはお互い様ですよね?でも、なんだか安心しました。俺、先輩だけには絶対嫌われたくなかったから・・・」

「おいおい、嫁さんがそれを聞いたら泣くぞ?」

「勿論、絵美が一番大事ですよ?でも、男だったら断トツで先輩が一番なんです。それは昔も今も・・・いえ、今だからこそ言えるのかもしれません。
逃した魚は大きいというけれど・・・先輩は俺が人生でただ一人本気で好きになった男の人です。ヘタレなところも嫌いじゃないけど、もう少し押してもいいと思いますよ」


妙に照れくさくなるような台詞を吐かれ、思わず苦笑いしてしまう黒沢。だが、突発的に現れた後輩の応援は心強い。軽くお礼の言葉を口に出す。

「別にいいですよ、そんなの。ただ、少しでもありがたいなーと思ってるのなら・・・久しぶりに手料理をご馳走になりたいな・・・と」

「あの時ご馳走しただろうが」

「味なんか分からなかったですよ」

黒沢もそれには同意した。前回会ったときは周防も思いつめていて、『抱いてください』とまで言ってしまう始末で、食事どころではなかった。
口にしたかどうかすら覚えていない。それに比べ今の状況はまだ幸せなほうだといえるだろう。


「だが・・・嫁さんのほうはいいのか・・・?」

今周防は黒沢のものではない。あくまでも絵美という女性のものだ。

「心配しないでください。その辺は対策済みです」

しかし、その心配は無用だったらしい。手回しの早い後輩には感心するほかない。臼井のことを考えると素直に喜べないが、せっかくの後輩の気遣い、ありがたくいただくのも悪くはない。

久しぶりに黒沢は温かい笑みを浮かべる・・・。





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