その10


この年にもなって泣くことになるとは思わなかったが、久々に泣いてみるのもよい。
ほんの少しだけだがすっきりとする。


俺は諦めの早い性格なのだろうか。


今でも胸は痛むが、想像していたほどではない。もしかしたら、これだけ長い時間歩を愛し続けていたおかげかもしれない。長い時間はきっと恋愛から別の愛に変えたのだ。



・・・そういうことにしておこう。



想像したほどではないとはいえ、やっぱりつらい。
今夜は自棄酒して、一晩中泣くのもいい。
とはいえ、一応教師であるので、俺は明日に残らない程度に酒を買い、自宅に戻った。
すると、なにやらドアの前にうずくまっている。



歩だ!



今頃夏目のところにいるかと思ったが、今ここで泣きじゃくっている。
どうしたのだろうか。ここで立ち話をするのもどうかと思ったので、中に引っぱっていった。


「どうしたんだ?夏目と何があったんだ?」

いったん泣き止んだかと思ったが、再び泣き出す。
まさか強・・・最悪の事態を思い浮かべたが、すぐに否定した。
夏目はそういうことをする奴じゃない。それに、もししたとしても、歩がそんな事で引き下がるとは思えない。
逆にそれを理由に居ついてしまうだろう。ではどうして?歩が話し出した・・・。


一部始終を聞いた俺だった。歩が夏目を自分のところに引き止めるつもりだったのはよく分かる。だが・・・

「死ぬなんて事を口に出すのは俺でも許せない。お前は前科があるからな。それで夏目を引き止めようなんて卑怯だ。あいつが怒って当然だ」

歩は俯いて聞いている。
やっと自分の過ちを認めたのだろう。
全く不器用な奴だ。
必死になればなるほど空回りしてしまう。なんともかわいい。
寂しいけれど、そんな顔もきっと夏目のことだから見せるのだろう。



だが、ふと思った。



なぜ俺は二人の応援をしようとしているのだろう。



夏目は自分を求めた手を振り払った。だからあいつに気遣う必要はなくなったのだ。
それならチャンスだ。歩は今ぼろぼろに傷ついている。その傷を慰めることぐらいできるだろう。
俺は最後の賭けに出た。
歩の涙を舌ですくい、小さな口にキスをした。舌を入れてみたが、一応応えてくれる。
そして俺は押し倒した。だが、性急なことをしない。


「なぁ・・・俺じゃだめなのか?あいつはお前を捨てたんだぞ。俺ならお前を泣かせたりはしない。だから、あいつのことは忘れろ」

しばらく固まっていたが、歩は怯えだす。やっぱりだめか。わかってはいたけれど、辛い。




これが辛くなんかなかったら・・・俺は歩なんて好きになってなかった。




俺は押さえていた手を離した。


「ごめんね・・・。僕、恋愛に限らず、何をするにしても夏目とじゃなければだめみたい。夏目がいるから今の僕があるんだ。だから、たとえ嫌われてもこればかりはどうしようもないみたい・・・」

俺の目に浮かんだ傷を見つけたのか、申し訳なさそうに何度も歩は謝る。
どうやら俺の完全敗北のようだ。だけど、それを悟られたくなかった。





傷つくのは俺だけで充分だ。






「いや・・・悪いのは俺だ。お前の唇を奪ったからな。夏目に明け渡すにはこれでは足りないくらいだが、一応後で謝っとくか。あいつだって許してくれるだろう」

「ん・・・別に気にすることはないよ。だって、僕たちいつもキスしてたもん。
夏目って、キスめちゃくちゃ上手いんだよ。普段は僕が夏目をいじめていい気持ちにさせるけど、キスの時は僕のほうがとろけちゃうんだ・・・。
キスするときの夏目っていつもの百倍以上かっこよくなるの。もう、僕のことを好きにしてって感じで。


と言っても、好きにしてくれなかったけどね・・・




うっとりとして歩が言う。夏目よ・・・お前は俺に歩のことを頼んだくせに、キスしていたのか・・・。
いや、この場合、どう考えても歩の方が誘っているか。俺は心底夏目に同情してしまった。
自分の気持ちを封じ込めてやるキスはさぞかし辛かったことだろう。


それより・・・いじめるって何だ。いい気持ちにする・・・もしかして・・・思わずその構図を想像してしまった俺だった。


歩くん、それってどう考えても恋人が行うものであるような気がしますが(立場が逆なような気がするのは二の次である)。
気付いてないのですか?
いや・・・気付くはずはないのかもしれない。
歩は、俺を恋人だと「思って」付き合ってきた。だが、夏目とはそうではないのだろう。隣にいること自体が自然なのだ。
多分・・・恋と表すことのできない次元にあるのだろう、二人の気持ちは。夏目はたまたま恋と表しただけで。二人で一つと言うべきか、それとも空気と言うべきか。
とにかく、歩はちゃんと夏目のことを想っているじゃないか。案外鈍いのは歩ではなくて、夏目なのかもしれない。
まぁ・・・それは致しかたないのかもしれないが
(と言うより、すべての原因は俺なのか?)
愛には色々あってもいいだろう。だが、歩はまだ行こうかどうか迷っている。


「でも・・・もう自信がないよ。もう一回顔も見たくない言われたら・・・立ち直れない。それ以前に会ってくれるのかどうか・・・」

「だったら粘るんだな。信じてもらえるまで粘るしかないだろう。
それが夏目を傷つけてしまったお前の償いでもある。
それに、大事なものを手に入れるにはそれだけの努力をしなければだめだ。
障害が多いほど手に入れたときの達成感というものがあるだろう?」





俺は教師の口調で言った。恋人に振られた男のではなく。歩に行かせるために。彼はそれに気付いてくれたみたいだ。笑顔で言う。

「ありがとう、先生。僕、勇気が出たよ」

さっきまで泣いていたのが嘘のように、急に元気になった。
俺に手を振りながら帰っていく。
俺はさっき買ってきたビール缶を開けた・・・明日は休みだ、やっぱり今夜は飲み明かそう。

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