3.
もやもやと罪悪感に近い気持ちを抱えていたが、顔に出すわけにもいかず、広岡はいつものように出席簿を読み上げる。
しかし、ある名前を呼んでも返事はなく、違和感を覚えたので、生徒のほうを向く。
(三上・・・?)
その席が空白だった。広岡の知る限りでは、三上が理由なしに欠席したことは一度もない。
決して弱みを見せぬよう、例えつまらなくとも授業には出る、そんな少年だ。だからこそ、教師も手を焼いている。
(守谷・・・か)
友達を失ったショックが大きいのだろう。授業に出ると思う暇もないほど、傷ついているのだろうか。
普段の三上から想像するのはかなり困難だが、全ての可能性を断ち切ってはいけない。
「三上どうしたか知ってるか?」
と生徒に聞く。教師は知らなくても、彼らなら一人くらいは知っているだろう。
「あ、先生あいつのことが心配なんだ」
「一応教師なものですから」
「多分・・・いや、なんでもない」
いくら三上が冷血動物であっても、情報を教師に売るのは嫌であるらしい。
「原因は・・・守谷か・・・」
広岡の的確な指摘に隠し通すことが無理だと悟ったのだろう。その生徒香川がしぶしぶと認める。
「あいつ、守谷にだけは懐いていたから」
だからあいつがいた学校に来るのが嫌なのかも知れない・・・香川の意見は広岡と一致していた。
「そういう香川こそ、心配なんだ」
「三上はあんな奴だけど、先生いじめてるときはスカッとするし」
そんなことを言う香川には、出席簿ではたいておいた。
「先生、それ、体罰」
「あのな、俺がどれだけ胃を痛めてるか・・・」
「はは、見た目だけはいいのにね」
「だろう?だから睨まれると凄みが・・・」
刹那、ドアから身も心も凍るダイアモンドダストが降りかかってきた。
原因は言うまでもない・・・というか、凍り付いて言えなかった。
「あ、三上、来たの?」
広岡は黙っていればよかったのだ。下手に凍り付いた空間を何とかしようとするから、墓穴を掘ることになってしまう。
「生徒が学校に来てはいけないんですか?」
すっと冷ややかに彼は一瞥する。
「い、いや・・・」
言い訳に戸惑っていたが、三上は正面の時計を見て、勝手に納得した。
「あぁ・・・遅刻してしまったようですね。すみません・・・」
それだけ言って彼は自分の席につく。いつもの鋭さに磨きがかかっていないのが気がかりだった・・・。
今日の広岡の調子は、最悪といっても差支えがなかった。
漢字のミスは数知れず、更には用語も間違った解説をして、生徒に指摘されるという、教師にあるまじきことをしてしまった。
お呼び出しがかからなかったのは奇跡なのかも知れない。
だが・・・それ以上に調子が狂ったのは、三上が何も指摘をしなかったことだ。
人のあらを探すのが好きそうな少年がそのようなミスを見逃さぬはずがない。
例えそれが馬鹿な教師に対する温情であっても、何度もするミスを見逃すほど甘くはないことは痛いほど知っている。
(どうでも・・・いいか・・・)
恐らく三上の目には、何も映っていないのだろう。だからこそ、何も思うことがない。
本来静かであることを喜ばなければならないのだろうが、抜け殻の三上だと、それはそれで調子が狂う。
ふっと少年の視線が窓の方に移る。その視線の先には、何があるのだろうか・・・。
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それは、予感だったのかもしれない。
広岡は漠然と暗いものを感じ、三上から目を離さないようにした。
いつもは背筋を伸ばして歩く彼が、今日はふらふらと、足取り悪く歩いている。
声をかけても耳に入っていないらしく、返事をすることもなかった。
何か悪いことが起きなければいいが・・・そう思ったものの、それが的中するだろうことは、察しが付いていた。
今日何も起こらなくとも、次の日に何かが起こる・・・だから三上が帰るときも後をつけていたのだが・・・少年は近くの橋を渡る。
その中ほどで靴を脱ぎ、手紙を置いて、欄干から身を乗り出そうとする・・・それを見た広岡はこけないように走り、身を投げる瞬間に抱きとめた。しかしバランスを失って、結局こける。
「痛たた・・・何馬鹿なことを考えてるんだ?」
上にいる三上に咎めるように言うが、三上はただ鋭利な眼差しを向けて見下ろすだけだ。
つけていることを知っていたのかもしれない。
「俺がここで何をしようと、あなたには関係ないでしょう?」
知らない間にエネルギーが戻っていたらしい。弱々しいと思っていたが、想像を超えて、冷たい口調だった。
何故か三上は広岡には三割増で冷たい。当初は胃炎で寝込みそうになったものだ。少し胃が傷む広岡を無視して三上はこう言った・・・。
「だから、見なかったことにしてください。俺を・・・死なせてください」
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