この痛みごと抱きしめて

第1夜

(・・・暑苦しい)


ネクタイを緩めながら真鍋は帰路についていた。蝉時雨も途絶える夜はまだ耐えられるが、暑苦しい夏は、彼にとって嫌な季節である。
世間では海、花火大会等等、夏休みなどのイベントがあるとは言え、社会人である彼にはなんら関係ない。
あまりにも貴重な土日を使うほど彼の気持ちは若さを保っていないし、数日程度の夏休みで何を楽しめというのか?
どうせなら着込める冬のほうがいい・・・それが彼の持論だ。悪友には『水着が楽しめる夏の何処が悪い!』といつも怒られるのだが、水着を愛でる暇すらないというのが、彼の実情だ。


(車が使えればいいんだが・・・)

少しの暑さを我慢すればエアコンが効く部屋があるのに・・・駅から出、一人ため息をつく。
彼の住む部屋は、最寄り駅から20分ほどかかる。駅前にマンションがないわけではないが、家賃とのバランスで選んだ。
かなり面倒なのだが、都心から程近いところに立地するため、たとえ歩くことになっても電車通勤のほうが便利なのだ。
下手に車を使おうものなら、渋滞に巻き込まれてとんでもないことになる。だから自家用車はプライベートでしか使わないのだが、肝心のプライベートも、ごろごろしていてそうする機会がない。




(こういうときには・・・一杯やるのがいいんだけどな・・・)



夏の夜長にビールを一杯。忙しくて中々憂さ晴らしの出来ない社会人のひそかな楽しみというものだ。
どこかの飲み屋に行ってにぎやかに飲むのもよい―この際真鍋がそういう性格の持ち主ではないことはおいておく―が、一人で落ち着いて飲むのも悪くはない・・・そんなことをのんびりと考えている真鍋。
一人で飲むならどのビールにしようかな・・・などと思っていると、道端に人が倒れている。


(なんとまぁ・・・)

これはまた珍事だ。路上に人が倒れている。ありそうでなかなか見られない・・・いや、見たくない光景。
簡単に言うと、酔いつぶれて撒き散らしてつぶれた・・・制服を着ているようなので、おそらく高校生。
法律はともかく、別に真鍋自身は未成年が酒を飲んでも大いに構わないと思っているが、せめて制服のままで飲むのはやめておいてほしいと思っている。
そして、飲ませるほうも飲ませるほうだ。いくらなんでもあからさまな制服組に酒を与えたらいけないだろう・・・と、避けたくてもじっと見ているのは、高校生だからということが大きいのだろうか。




(さて・・・どうするか・・・)



瞬間的に二つの選択肢が浮かぶ。このまま捨てておいても、全く害はない。むしろ、真鍋自身のためとも言える。
だが、何となく放っておくことができなかった・・・そのくらいの良心も持ち合わせていたから困っている。
面倒ごとは嫌だ・・・そう思ったが、見過ごして何かあっても後味が悪くなる。それなら一晩我慢して引き取っておいたほうが、自己満足とはいえ、後々にもいいかもしれない。
そのため真鍋は酒に加え、おつまみをお持ち帰りしたのだった。






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(何でこうなったんだか・・・)

少年を持ち帰った真鍋は、切ないため息をついた。これが女子高生だったら・・・と思うのだが、それはそれで問題がある。下手したらつかまりかねない。
だから男子高校生でよかったのだ・・・そう言い聞かせたものの、それでよかったと思える嗜好は持ち合わせていない。


(この楽しみをどうしてくれるんだ・・・)

ベランダにもたれかかりながら、遠くを見やる。ただ暑いだけでいつもと何かが変わるわけではない。
『季節』を感じないのは、やはり都心だからなのだろうか。せっかく『季節』を感じるためにささやかな一杯を楽しみにしていたのに、少年の介抱をしていたおかげで飲む気もすっかりうせてしまった。
酔いつぶれた人間を前にして飲みたくなるほうがおかしいだろう。当事者は前後不覚でも、そばにいるものは案外冷静になるものである。その上、たった一つのベッドを奪われ、真鍋の機嫌はあまりよろしくない。
だが、前後不覚の人間に文句を言っても仕方のないことだ、そして、拾うことを選んだのは自分なのだ・・・ぐっと怒りをこらえる。




『ん・・・』



ベッドのほうから少年のうめき声が聞こえ、あわててその方向を見やる。目が覚めたか・・・と思ったが、そういうわけではなかったようだ。ただ単に寝言を言いかけたのだろう。動揺した自分に苦笑した。



『何で・・・だよ・・・』



だが、苦笑もすぐに止まる。続いて聞こえたのは、聞いてるほうが苦しくなるような寝言だった。
表情も苦しそうで、嫌な夢でも見ているのか・・・とまで考えてから気づく。
嫌な夢を見るような状態でなければ、平日にここまで酔いつぶれるようなことはしないはずだ。



(ったく・・・何があったんだよ・・・)


先ほどまで酒が飲めなくなったと文句をたれていた真鍋だが、それどころではないことに気づく。
この少年は酔わないといけないようなことを経験した挙句、夢にまで襲われているのだ。安らぎの場がない・・・即起こそうとしたものの、それも躊躇われた。
自分がどうにかしてさらに悪夢にでもなったら困る。




(失恋でもしたのか?)



この苦しみから察すると、そして、年に似合わず酒に溺れて苦しみから逃げようとしたことから判断すると、そう思うのが妥当だろう。テストの成績が悪いから酔いつぶれるような真似は、普通しない。
自分とは無関係なはずなのに、目が離せなくなる真鍋。


(こいつの事情なんか全く知らないんだけどな)

それでも独りにしておきたくなかった・・・ついでに、寝る場所の不足もあり、側で眠ることに決める。何かあったらいつでも対応できるように・・・そんなことを考えていながら、真鍋も眠りに落ちてしまった・・・。






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