第34夜

去っていく真鍋を追いかけることができなかった。
足がすくんで動くことができなかった。
仁科は真鍋を振ってしまったのだ。赤の他人である自分にここまで優しくしてくれたのに。

自分のことを好きだと言ってくれたのに・・・。
真鍋
は自分の気持ちを見抜いていた。真鍋自身のことは好きであること。ただ、のことを気にして身動きが取れないこと。
そして・・・真鍋が仁科に対して抱く気持ちと同種の感情を抱いているかはまだ分からないこと。

それを口にすれば自分が気にするということを知っていて、
仁科に圧し掛かる負担がないように、あえて彼のほうが幕を引いてくれたのだ。だけど・・・。




(何でこんなに・・・)



心が寒いのだろうか。喪失感で満ち溢れているのだろうか。
悲しいと思うのとは違う
。胸が張り裂けるという表現もおかしい・・・いや、全くそう思わないわけではないのだが、その一言で今の気持ちを表すにはかなり無理がある。
もっと、こう、
心のから凍りつくような・・・だが、すぐその理由に気づいてしまった。




(もう・・・真鍋さんとは・・・会えない・・・)



深い闇の底で絶望に支配されていた自分を引き上げてくれた一筋の光・・・自分はそれを手放してしまった。



(あれ・・・なんで・・・)



視界が歪む。両眼から滴り落ちるこの雫は何なのだろうか。佑のことを思い出してこうなるのなら分かる。
だが・・・今仁科の頭の中には、真鍋のことしかない。何故、振ったはずの仁科が泣かなければならないのか。


(そっか・・・)

ふと真鍋との出会いを思い出した。全ては佑と佐井が結び付いたことが原因だった。仁科もそこまで鈍感ではなかったから、二人の仲が次第に接近していたことは知っていた。
ただ、本人たちの口からはなかなかその言葉は出てこなかった。変に3人でいる時間が長かったため、佑も佐井もあぶれる仁科に対して何らかの気遣いをしたのかもしれない。鈍感だった佑はともかく、自分の気持ちを知っていた佐井は憐れんだのかもしれない。
もちろん、そのときはそんな気遣いが仁科にはありがたかった。もし二人が付き合っているということがただの憶測の範囲を超えてしまったら、どうしたらいいのかが分からなくなるから。

だけど、いざ事実を確認してしまうと、その衝撃はあまりにも大きすぎるものとなった。その言葉が出てきたときには笑ってお祝いしよう・・・そう決めていたはずなのに、頭の中が真っ白となってしまった。
現実から逃げたくなった仁科は、酒を使うことにした。普段仁科は酒は口にしない。未成年だからそれは当然なのかもしれないが、もともと興味すらなかった。父親が勧めてくれることもあったが、それには目もくれなかった。
ただ、その時はどうしても失恋した事実を忘れたかった。真鍋に拾われる前の日にした自棄酒が生まれて初めてのお酒だったのだ。

そんなこんなで自暴自棄になっていたが、真鍋に拾われたのは幸運だったかもしれない・・・しみじみと仁科は確認する。
もしお巡りさんに拾われていたら、両親に迷惑をかけることになっていただろう。いや、そんなことは大事なことではない。心がずたずたに引き裂かれた仁科を救ってくれたのが、真鍋だったのだ。
もしあの時自分を拾ってくれたのが真鍋でなかったのなら・・・そう考えるとかなりぞっとする。


(真鍋さんは・・・)

第一印象は、かなり怖そうな人だった。別に強面というわけでもない。普通に女性にもモてそうな印象だったが、如何せん纏っている雰囲気が問題だった。迂闊に近寄れない・・・そんな感じだった。
ただ、話していくうちに怖いというよりは、不器用で優しい人だと思うようになった。言葉の端々に棘は感じたし、それで自分が傷ついたこともあったが、それでも自分の為に言ってくれているのが分かるようになって、真鍋を嫌いになることはできなかった。次第に真鍋という人間を知りたくもなった。
彼に告白されたとき、戸惑う一方で胸が高まったくらいだ。

つまり、自分の知らない間に真鍋の存在が大切なものとなっていたわけだが、今になって認めるのも悲しすぎる。
もっと早くそれ―失恋を乗り越えることができたのも真鍋がいたから―を受け入れていればよかったのに。
そして、佑のことに固執せずに、真鍋のことも考えればよかったのに。
自分の傷を分かっている存在だからではなく、一人の人間として真鍋のことを見ていたら、もっと違っていたのかもしれない。

『これからも会ってほしい』そうお願いすれば、真鍋も渋々だろうが、首を縦に振ってくれるだろう。だが、そんなことを頼めるはずがない。それは、彼の自分に対する好意を利用することでしかないのだから。



「ったく・・・これじゃ俺が悪者じゃないか・・・」






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