Memory〜Page Three-1〜

「本当にごめんなさいね・・・」

大きくなったお腹を押さえて律子さんが謝る。僕にはその理由が痛いほど分かる。原因はその子だろう。その子ができたこと、そしてこうやって律子さんの世話をしている僕に対して負い目を感じているんだ。律子さんはさっぱりした性格だけど、人一倍優しい人だから・・・。

「いえ。こういうのは一人でやるよりも、二人でやっていくほうがいいんですよ。胎教にもいいですからね」

「本当に・・・ありがとう・・・」

花のほころぶような微笑を見せる律子さん。僕はそんな笑顔が見たくてここにいるのかもしれない。律子さんは僕の好きだった麻生達樹先輩の婚約者だった。先輩に頼まれて自活能力ゼロといっても差し支えないほどの先輩の身の回りの世話をしていた時に、恋人として律子さんを紹介されたのがきっかけだった。





『博美、紹介する。俺の恋人、律子だ』

『初めまして。可愛い男の子ね。私は瀬谷律子。よろしくね』

『博美、今まで助かった。もうお前の好きにして・・・』

『ちょっと達樹くん、それは・・・』



そう、あの時僕は捨てられた・・・。



それから先輩たちとは疎遠になった。もう僕は必要な人間じゃなくなったんだ。あの人に恋人が出来た以上、先輩と一緒にいられる理由がないんだ。だから僕は先輩のことはすっぱり諦めることにした。何度か先輩からは謝罪の電話があったけど、僕は受け取らなかった。受け取れなかった。受け取ったら達樹先輩の元に戻ってしまう、泣いて先輩に縋りつこうとすると分かっている自分がいやだったんだ。だけど、一本の電話が僕を大きく変えることになった・・・。



『私たち、別れたの・・・』



「本当に・・・どうして別れたんですか?お似合いのカップルだったのに」

悔しいけど、僕の行動パターンをつかんでいた先輩のほうが画策して僕と鉢合わせになったことがあった。先輩は律子さんとの仲を認めさせようとしたらしい。先輩のその狡猾さに僕は本気で平手打ちを食らわせたことがあったけど、なんだかんだ言って僕もその意図にまんまとはまり、純粋にうらやましいカップルだと思うようになった。彼らなら結婚してもしょうがないと思ったものだった。

「シングルマザーってのもいいかと思ったからね。それに、結婚したらあの子達に申し訳ないと思ったから・・・」

僕は小さな天使たちのことを思い出した。先輩の息子である。3人とも『あなたの子です』と手紙があって、それを先輩が鵜呑みにして引き取ることにしたたびに僕は怒ったり、泣きじゃくったりしたものだった。冷静に考えれば彼らが実の子というには無理があるというのが分かるけれど、先輩は女癖が悪いから、そういう噂は常に付きまとっていた。そんな薄情な父と似なくてよかったよ。

「いえ、あの子たちも分かってくれますよ」

だけど、いいのよ、と寂しそうに笑った律子さんは、明らかに何かを隠していたけど、僕はあえて気づかないようにした。本人が言いたくないのだから、僕もそれに触れてはいけない。

「博美くん、本当にごめんね。おろせばよかった・・・」

「本当にそうしたら僕は律子さんを殴っていましたよ。生まれてくる子には何の罪もないんです。悪いのは・・・はは、元恋人さんのことを悪く言っちゃだめですね」

「ははは、悪いのは達樹くんね。本当に見る目がないんだから・・・私が男だったら間違いなく博美君を好きになるんだけどな。本当にこんな子、どうして・・・」

「仕方ないですよ。僕は男だから・・・」





彼が産まれたのは、雨が上がって葉っぱから滴り落ちる雫が目にまぶしい頃だった・・・。





その日は朝から土砂降りだった。せめてこういう日くらいは晴れてほしいのに、運命ってどうしてこうも僕の味方をしないのかな。とにかく、産まれたとお医者さんから連絡がはいたので僕は学校から急いで駆けつけた。病室で律子さんはその子を抱きながら本当に嬉しそうな顔をしていた。

「見て、男の子よ、男の子。可愛いでしょ?」

「ほんとりつこさんそっくりですねー」

「棒読みよ?ま、そうね。産まれたばっかだからね」

「本当におめでとうございます」

心の底からそう思った。本当はもし律子さんに子ができたらおろせばいいと思ったこともあったけど、この親子を見ていると、そうしなくてよかったと思う。僕はもう大丈夫だ・・・。

「これも全て博美くんのおかげ。君がいたから私はこの子を産むことをできたのよ。本当に・・・ありがとう・・・」

そんな。礼を言われるほどのことはしていないのに・・・。これはどう考えても僕の偽善に取られても仕方のないことだから。おめでとうと言うことで自分をいい人に思わせるわけではないとは言い切れないんだから。

「そんな顔しなくていいのよ。私が言いたかっただけだから。名前、どうする?私としては、弥七とか吉宗あたりがいいんだけど・・・」

律子さんというのは町人に扮したお供と、お風呂好きの何年たっても老けない妖女、そして屈強な某老人が出てくる番組をかかさずに見るような人である。まぁ、時代劇ファンの律子さんらしいといえばらしいけど、せっかく生まれてきた子なんだから、もっと似合う名前にしたほうがいいと思うんだけど・・・。その場のノリでつけて後で愚痴をいうのは自分なんだから。

「あ、私にセンスがないって顔してるね?だったら博美君がつければいいじゃないの!」

「いや、僕にはそんな大そうな・・・」

「いいじゃない。せめて名付け親くらい・・・」

その気持ちは嬉しいけど、いざ名づけるとなると、かなり戸惑う。父でない僕がこんな大切な役を取ってしまっていいのかな。それに、一生使い続けていく名前、それを決めるのだから、かなり緊張してしまう。

ふと外を見ると、さっきまで降り続いていた雨があがっていた。窓の外では、律子さんを祝福しているのか、虹の架け橋が出来ている・・・。

「どうしようかな・・・そうだね、雨雲もまとまって消え去って天気がいいから木の葉も輝いていて嬉しそうだね・・・そうか、『瑞樹』というのはどうかな?」

「瑞樹・・・いい響きね。そうね、そうしましょ!瑞樹、よろしくね・・・」

これが僕と瑞樹、最初の出会いだった・・・。



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