Memory〜Page Three-2〜

結局、あれから達樹先輩は一人で子育てをがんばった結果、ダウンしてしまったらしい。電話口で泣きつかれ、僕は仕方なく、本当に仕方なく戻った。先輩はそれを喜んでくれて、一応僕も戻れたことを喜んだけど、もう僕らは以前のような関係には戻れなかった。僕らは近くて遠い関係だった・・・。

だけど、新しい居場所を見つけた。僕らは夫婦という関係にはならなかったけど、家族に近い関係になった。いつも側にいることはできなかったけど、達樹先輩が危険状態にないときは大抵瑞樹と一緒にいることにしていた。

「見て、博美くん。ハイハイしてる!うちの子は天才よ!」

あーもーこの人はでれでれとしてるよ。律子さんってこんな人だったんだね。

「はいはい。天才ですねー。(大抵9ケ月になればハイハイできるようになるみたいですけどね)

「博美くんって意地悪なのね。でも、どんな母親もそんなものよ」

そうか・・・それが実の親か否かの差なんだよね。実の親だから息子が何をしても嬉しく思える、特別に思える。それは割り切ったはずだけど、どうも寂しい。僕だけ違う空間に取り残されている気がする・・・。

「瑞樹くん、こっちこっち・・・」

よく見ると必死にハイハイしていた。そっか・・・律子さんが親バカになるのも分かる気がするな。本当に瑞樹は可愛い。

「にー?」

あぁ、しゃべった!瑞樹がしゃべった!可愛い。可愛すぎる!ってか、どうして「ぱぱ」じゃないの?僕はやっぱり父親にはなれないんだね。

「博美くん、子供なんて知らないうちに親から離れていくものなのよ・・・」

僕は恥ずかしかった。律子さんは僕に気を遣ってくれていたんだ。僕が瑞樹と一緒にいられるように。「父」という重荷を押し付けないように。それを僕は勝手にショックを受けて・・・本当に情けない。

瑞樹はそんな僕の醜さには気づいていないんだろうな。無邪気な笑顔で僕に手を振っている。どうして・・・どうしてそんな顔ができるの・・・!

「それは、博美くんのことが好きだからよ。この子、博美くんがいないとすごく機嫌が悪いの。この私が腹を痛めて産んだのに、いい度胸してるのよ・・・って泣いてるの?」

気がつけば僕の目から涙があふれていた。

「ほら、男の子だから泣かないの。ま・・・泣かせてるのはあの男ね。達樹くん、まだ君に働かせるの?あんなとこにいくのやめて、うちに・・・って出来たらすでにそうしてるわね」

違う。原因はそっちじゃない。今律子さんがくれた言葉が泣きたくなるほど嬉しかったんだ。でも、一応そっちに合わせておいた。本当の気持ちを口に出すのはさすがに恥ずかしい。これは僕の心の中にしまっておく。

「ははは、そうですね。あんな奴、見捨ててもいいはずなんですけど、どうしても出来ないんですよ。利用されてることくらい知ってます。それでも・・・」

大事な人だから・・・。

「ほんと・・・博美くんも損な性格ね。でも、これだけは言っておくね。この子は君を必要としているの・・・」

僕はその日、新しい居場所を手に入れた・・・。





「博美、最近冷たい。どうして・・・」

「その胸によく聞いて下さいな。先輩が一番知っているはずでしょうが」

「・・・そのくらい知ってる。でも、昔はよく俺の後をついてきたのに・・・」

「時間は平等に過ぎていくんです」

僕はこの男を家族として愛し始めていることに気づいた。彼と初めて会ってから時が経ちすぎて、好き、嫌い、憎しみ、悲しみ、さまざまな気持ちが混ざり合っていたけれど、今は彼を見ても穏やかな気持ちでいられる。純粋に先輩の幸せを願っていられる。初めて好きになったときは、こうなるなんて思いもよらなかった。

「先輩・・・愛してます・・・」

僕は初めて先輩の唇にキスをした。恐らくこんなことをするのは、最初で最後だろう。

「博美・・・やっぱり俺の元から・・・」

僕が吹っ切ったことを、この人は悟ったのだろう。悲しそうに深くため息をつく。

「いいえ。あなたが必要としてくれる限り、そばにいます」

彼は僕を抱きしめた。彼にとっての精一杯なんだろう。先輩の顔、泣きそうなくらい苦しそうだ。

「本当にごめん。俺はお前を傷つけてばかりだ。俺はどう償っていけばいいんだろうか」

「先輩、なんでもしてくれるんですか?」

「あぁ、お前の言うことなら」

即答だった。先輩は本当に僕の言うことなら聞いてくれるつもりだ。

「それなら・・・僕を抱いてください」

先輩の顔が苦しげなものから、悲しげなものに変わっていく。迷っているのだろう。分かっているよ、先輩。あなたが僕の想いに応えられないことくらい。僕だってそれを知っていて聞いているんだ。

「お前が・・・それを望むなら俺はなんでもする」

「無理はしないでください。そんな顔したって何の説得力はないですよ」

「そんなことはないぞ!俺は嘘はつかない」

「先輩、あなたって相当・・・。『僕のために』そんなことを言われても嬉しくはないんですよ」

「本当にすまない。でも、こうでもしないと俺はお前を引き留めることができないんだ・・・俺はもうお前に好かれる価値の無い男だから」

バカだよ、先輩。僕の欲しいのはそんなものじゃないんだ。そんな形だけのものじゃない。

「一言こういえばいいんですよ・・・」

「でも博美、お前にそばにいて欲しい・・・」

「はい、喜んで」

僕と先輩の間に恋情は生まれることはなかった。そして、未来永劫それは生まれることはないだろう。僕は達樹先輩の最も近くにいる人にはなれなかった。でも、もう僕はそれを不幸だとは思わない。僕が先輩を愛している、どんな形でも先輩が僕を必要としてくれたことがあった、この事実はこれからずっと変わらないんだから・・・。僕の不毛な片想いは、こうやって幕を閉じたのだった。





「随分すがすがしい顔をしてるわね。吹っ切ったのね」

「えぇ、おかげさまで。先輩は未練がありまくったようですけど、まぁ、僕には瑞樹がいてくれればそれでいいんで。あ、瑞樹が立ってる。立ってるよ!」

「本当!博美くんもすっかり親バカね。私の気持ちもわかったでしょ?」

「そうですね。やっぱり瑞樹が一番可愛い」

僕があのことを過去に出来たのは、時間が経ち過ぎたのもあったけど、やっぱりこの子がいたからかもしれない。瑞樹が僕を必要としてくれたから、僕はこうやって笑っていられる。本当にありがとう、瑞樹・・・。



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