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「俺は岬が好きなんだよね」
柚月はこう言った。決して岬の聞き間違いではなかった。
あれが好き、これが好きといったのとは微妙に・・・いや、相当ニュアンスが違う超級問題発言に、一気に岬は硬直することになる。
こういったことを言われたのは初めてではないはずなのだが、どうしても岬には流すことが出来なかった。
「俺も先輩のこと、好きですよ?」
白々しいと思ったが、そう答えておいた。彼は岬のことをかわいい後輩だと思っているのだ、そうに違いない。変な方向に意識してはいけない。
だが、呆れているのか、困っているのかは知らないが、そんな岬に柚月は軽くため息をつく。
耳元では柚月の心音が聞こえる。しかも、その音が若干早まっている気がして、さらにはその腕が微妙に震えているような気がして・・・本能的に恐怖を感じ、抱きしめる腕を引き剥がす。
「え、つまり・・・そういうことなんですか?冗談ですよね?」
「冗談じゃないって言ったら・・・どうする?」
軽く笑ってはいるものの、それは口だけで、目はまったく笑っていなかった。
前に教室で見せたものより、はるかにまっすぐで、鋭いものだった。つまり、あの時言ったことは、冗談ではなかったのだ。
ただ好きだというのならまだいいのかもしれない。岬も柚月を好きだということができる。
だが、柚月の抱えている気持ちは、ある線を越えてしまっている。それは普通抱くことが許されない感情だろう。
おそらく、本人もそれを言うつもりはなかったのだろう。言うつもりがあるのなら、前に冗談にしておくわけが無いのだ。
だが、岬がきまぐれに抱きしめたことでそれが表に出てきてしまった・・・。
「冗談じゃないって・・・それ、ホモじゃん」
彼が弟のことを恐らく恋愛に近い形で思っていたことは、知っていた。それでも気持ち悪いと思わなかったのは、それが他人だからだ。言ってしまうのなら、それは岬には全く関係のないことだからだ。
だが、自分に関するとなると、話は変わってくる。どっちが抱いて抱かれるのかは知らないけれど、同性愛の対象にされて、嬉しいわけではない。もし目の前にいるのが柚月でなかったのなら、即殴り飛ばしたかもしれない。
一応クラスメートの兄であり、先輩でもあるから、必死で拳を振り上げるのをこらえているのである。しかも、心の準備をしていないので、文面でならまだしも、直に言われると困る。
「そうだね。君の言うとおり、俺はホモなのかもしれない」
少しは否定するとは思ったし、そうしてほしかったのだけれど、想像に反してあっさりと柚月はそれを認めた。
「そんなの・・・気持ち悪い!」
裸で抱き合っている構図を想像してしまい、つい岬はそう口走ってしまう。信頼していた先輩から言われたショックは相当大きかった。
「そうか・・・俺が・・・気持ち悪いか・・・。悪かったな、こんな気持ち、口に出すべきではなかったか・・・」
傷ついたように言われ、岬は自分の暴言に気づく。どんな事でも冷静に受け止めていた柚月を、傷つけてしまったのだ。
心の中で岬は柚月はどんなことを言われても平気だと思っていた。だが、柚月だって人間なのだ。
想っている人に傷を抉るような酷いことを言われて、何も思わない方がおかしいだろう。
「そ、それは・・・」
気持ち悪くないと、即答することは出来なかった。岬が柚月を恐いと思ったのは、紛れもなく事実だったし、男に好かれても嬉しくないこともまた事実だったから。
それに、『仮に』それが失言であったとして、自分がなんとも思わなく、勢いで出てしまったものだったとしても、出てしまった言葉を取り消すことは出来ない。何を言ったところでそれは言い訳にしかならない。
「いいよ、何も言わなくて。でも、真雪には罪はないから」
だから友達はやめないでやってくれ、とだけ言い残し、彼は去っていく。
その姿は、雪のように、青空に浮かぶ月のように消えてしまいそうだった。
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「ただいま帰りました・・・」
ふぅ、と、一つため息をついて、柚月はドアを閉める。
(気持ち、悪い・・・か)
力を失い、その場にへたり込む。彼にとって、自分の殻を破る存在であろう岬の拒絶はあまりにも痛すぎるものだった。
誰に何を言われても平気だと思っていたからこそ告白することができたのだが、好きな人に拒絶されるのはすごく痛い。
最初は気まぐれだったと思っていたが、後から考えるとそれは、一目ぼれだったのかもしれない。
たまたま真雪を迎えにいったときに声を交わした少年。あのときから時を止めてしまった柚月には、岬の姿がまぶしかった。
だからこそ、名前を聞いた。本当は一々下級生の名前など、覚えるはずがない。
話す機会が再びやってくるとは、思っていなかった。いくら興味を持っていたといえども、彼にとって岬は隣を通り過ぎる存在でしかなかったのだ。そして、柚月もそれを承知していた。二度と岬と係ることはないだろう・・・と。
だが、運命の悪戯はやってきた。ちょっとした用があって真雪に会いにいったとき、岬が話しているのを見た。
実の兄である柚月でさえ、上手くコミュニケーションが取れないのに、彼は何も躊躇うことなく話していた。
いや、相手は真雪だ。
最初のほうはいろいろと戸惑いもあったのかもしれない。
だが、話していたということは、彼は恐れなかったのだろう。それが出来る岬を羨ましく思うのと同時に、イライラした気分が柚月を襲った。
だからこそ、自分の価値観を変えざるを得ない少年に強く当たってしまった。それなのに少年は怖気づくこともなく、まっすぐと返してきた。
その瞬間、目の前の少年に対する気持ちに気づいてしまった。場所を移すときに勘違いと思おうとしたが、残念ながら逆に岬を好きだと結論付けることになってしまった。
意識しているからこそ、知りたくもなるし、強く当たってもしまう。
勿論、柚月の気持ちが不毛であることは、瞬時に分かった。ストレートな男に恋をしても、それが叶う見込みは限りなく0に近い。
残念ながら、そして、不幸なことに、それに気づかぬほど柚月の頭は悪いわけではない。柚月も岬も男だ。
仮にそれを無視して、好きなら性別は関係ないとしたとしても、周りに愛されてまっすぐに育ったであろう少年は、さっぱりしているといわれる見た目とは裏腹にどろどろした部分のある柚月にはふさわしくないことを思い知らざるを得ない。
だからこそ、本来は自分がいただくべきところを弟に預けた。そうすれば、柚月が岬に傾くことはなかったはずなのに・・・。
「あ、柚月、帰ってきたんだ。もう少し長くいるかと思ったんだけど・・・」
煮ても焼いても食えない薫を、本気で葬ろうかと思った。彼の粋すぎる計らいがなければ、柚月は失恋することはなかったのだ。
「おかげさまで・・・振られましたよ」
苦々しく吐き捨てると、薫は沈黙する。
「・・・そう。あの子なら君を受け止めてやれると思ったんだけど・・・」
「それは兄さんの思い込みですよ。思い込みで人を動かさないでください」
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柚月らしくない八つ当たりに、薫も珍しく反撃をやめる。
岬には言わなかったし、柚月の想いが絡んでいる以上は言えなかったけれども、彼は真雪よりも柚月のほうが心配だった。
もう少し力を抜けばいいのに・・・側で見ていて痛々しくてしょうがなかった。
友達を連れてくると聞いたので、もしや?と思った。弟への贖罪だけで生きてきた彼が、やっと外に目を向けた・・・それは予感だった。
そして、その予感は的中した。
柚月は岬とかいう少年を大事に思っていた。普段はムカつくほど冷静な柚月が、岬のこととなると、表情を変える。
兄として純粋に嬉しかったのだが、よもやここまで深いものであることには気づかなかった。
「その・・・悪かったね」
だから素直に謝った。彼とて趣味で保健室にいるわけではない。
そういうところで働いている以上、人の心には敏感だ。いくら人を動かすのが楽しみであるとはいえ、むやみやたらに傷を抉るのは好みではない。
「いいです・・・。だから、独りにさせてください」
『柚月』そんな薫の叫びを無視して柚月はふらふらと奥に入っていく・・・。
「岬くん・・・恨むよ・・・」
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