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それから、二人の仲は改善されていった。
台所は全面的に任せてもらえるようになったし、博は時々だが笑顔も見せるようになった。
光にとってはそのような変化が嬉しくてしょうがない。


ある日のこと、光はお料理の本を秋本宅から発掘した。
かなりほこりをかぶっていたので、ひょっとしたら挑戦しようとしてギブアップしたのか、なんて考えるとなんか微笑ましくなる。
これでは自分が付いていなければダメなんではないか。


そこで彼は、その考えが押しかけ女房みたいだということに気付き、苦笑する。


そんな贅沢な考え方をしてはいけない。まだ自分は格上げしてもらったとはいえ、置いてもらっている身分であることには変わりないし、ただの知人でしかない。だからどうやって博を喜ばせてあげることに専念すればよい。そろそろレパートリーを増やさなければいけないので読むことにした。

その本に熱中してから数時間後の夕方、結局挫折していつもの野菜炒めを作ることにした。
これでは博のことを笑えないではないか。仕方ない、今日も我慢して食べてもらおうと諦めていた頃、チャイムが鳴った。
少なくとも博ではないから誰だろうと思いつつドアを開けると、二人の男女がいた。年齢は博と同じくらいだろうか・・・。
どちらもかなりの美形である。そんな事を考えていると、女性のほうが口を開いた。




「あ、すみません。間違えました」


ドアを閉めようとしたので、光は急いで声をかける。

「あ、秋本さんは多分もうすぐ帰ってくるので上がってお待ちください」

二人は光に促されて中へ入る。どうやら光の存在が気になっているようだが、あえて口に出していないようだ。そして光は茶をいれ、二人に差し出す。

「ああ、ありがとう。気を使わないでもよかったのに」

男性のほうが礼を言う。それっきりしばらく沈黙が続いたが、光がおずおずと口を開いた。

「あの・・・ぶしつけな質問ですが、お二人は秋本さんとは・・・」

男が答えるよりも早く女のほうが答える。

「私たちはひろくんの親友よん。そうねぇ、小学校からの付き合いだったかしら。
昔のことだからいつからなんて忘れてしまったけどね。

私、夏樹陽子とよしくん・・・この男は越谷義之っていうんだけど、それとひろくんの三人がそろうと凶悪トリオとか言われて恐れられたこともあったわねぇ。
まぁ、今は、私たちとひろくんは違うとこに勤めてるけど、それでもよくこうして会ってたわ。
といっても最近までひろくんは日本にいなかったから、こうして会うのは久しぶりなのよ」

陽子はなおもしゃべろうとするが、越谷が口を挟む。

「あのなぁ・・・それより、君は何なのだ?」

光は自己紹介をしていないことに気付く。
だから慌てて自己紹介をし、博と知り合った経緯を話した。
驚くかと思ったが、二人は別段驚く様子もなく聞いていた。納得する様子さえ見せている。




「そういえば、雰囲気が違ってたからわからなかったけれど、歩くんに似てるわね」

「・・・今頃気付いたのか?まぁ、話に夢中になってて分からなかったか・・・」

歩の名前を聞いて、光の心に靄が立ち込める。
その自分に似ているという歩とはどういう少年なのか。
以前の博の話から察すると聞いてはいけない質問である気がしたが、どうしても聞かずにはいられなかった。

「えっと、歩って人はどういう人なんですか?」

さっきとは逆で、答えようとした越谷を陽子が制して言う。さっきまでの明るい雰囲気から一転して冷たい口調である。

「私たちが貴方に答える義理も義務も権利もないわ。
貴方とて、どうしても入られたくない部分だってあるでしょ?
どうしても聞きたければひろくんに聞くことね」

博には聞きにくかったから陽子たちに聞いたわけであるが、陽子はにべもない。

これは試練だと思った。

ちゃんと自分が知っていることを話さなければ教えてくれないだろう。
だから、光は自分が知っていることを話し、それが理由で博には聞けないということを話した。
二人はしばらく戸惑っていたが、越谷のほうが言い出した。




「歩くんはいい子だったよ。
おとなしくて、これといって目立つ存在ではなかったが、不思議な魅力があってな。
秋本に言わせると、いるだけで自分が温かくなれたそうだ。
恋愛とは無縁そうなあいつが満面の笑みでそう言ったんだよ。

まぁ、今なら俺もわかるけど・・・って俺の恋人の話はどうでもいい。

知っているかもしれないが、あいつは根本的に人を褒めるのが好きじゃないから、そういうのを聞くと本当に幸せだったということが俺らからでも分かったよ」

今度は陽子のほうが言う。

「それで、あのことがあってからひろくんは変わってしまったわ。



何かあまり楽しそうじゃないの。



あれでも結構感情が豊かだったんだけど、他の人の前では笑うこともなくなったわ。
歩くんのことを忘れることなんてできないだろうから、それが悪いとは言えないんだけどね・・・」




と言っていると、息を切らしながらその博が帰ってきた。二人が来るのでどうやら急いで帰ってきたらしい。



「すまない、遅くなった。残業でな。これでも急いで仕上げてきたんだが」

「いや、気にするな。久々に会いたいといって、都合を考えなかった俺らが悪いんだから」


少し沈みかけた空気が意外なことに博の帰宅によって明るくなる。
それだけ三人が仲がよいことが分かった。
それどころか、仲がよいというレベルを超えていることに光は気付いた。
三人はおそらく深いところで心がつながっているのだろう。
何か自分はその場にいるべきではない存在な気がして、光はいたたまれなくなった。
そして静かに出て行こうとする光に気付いたのか、博は彼の腕をつかみ二人に紹介する。



「この分だとすでに知っているかもしれないが、こいつは俺が拾ったやつでな、佐伯光というらしい。
いろんな理由があってここにおいている。案外こいつ料理が上手いんだ。」


「ひどい!案外ってなんだよ〜まるで俺が手先が不器用なやつみたいじゃん」

食らいつく光を、悪かったといってなだめる博。
どちらもなんか楽しそうで、それを見ている男女の目は優しいものであったが、見られているほうは気付いてはいなかった。
結局それからしばらくの間は色々な話で盛り上がることとなった。そして、二人は長居をしたからと言い、帰っていった。そして、





「あの光って子、いい子ね。歩くんとは違った意味で」

「ああ、そうだな。あんないい子、珍しいよ、健気で・・・それほど秋本のことが好きなんだろう・・・と言っても本人は恋かどうか迷っているみたいだったが」

ここで越谷はため息をつく。

「秋本のほうもよくなっている。


だが、あれに恋愛をする余裕があるのかどうか・・・。


今はまだ歩くんのことでいっぱいだろう。それに、光くんが歩くんに似ていなければよかったんだが」

「恋愛って見かけだけでするものじゃないけど、もっと違う顔なら・・・。光くんが似ていることにコンプレックスを持たなければいいんだけど・・・」

どうやら光のことが気に入ったらしく、二人は本当に心配しているようである。



だが、その表情は妙に楽しそうなものであった。




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