第七頁


意識を取り戻した光に残されたのは自己嫌悪の渦だった。
好きでない男に犯られて、その上感じてしまったのが悔しい。
しかも、途中から自分からねだってしまったのだ。
京極のほうは満足したのかは分からないが帰ったらしい。現金だけが残されていた。
服を着、支払いを済ませてホテルを出る。
京極に犯されているときには出なかった涙が今になって出てきた。



これですべてを失ってしまった。



もはや帰るとこすらもなくなった。
どんな顔をして博に会えばいいのか。
考えるだけでも涙がどんどん出てくる。
こんなに泣いたのは久しぶりだ。
そんな事を思っていると、意識が段々遠のいていく。
これで死ぬことはないだろうが、万が一死ぬことになっても全く構わない・・・いや、そうなって欲しいと思い、光は意識を手放した。






目が覚めると、そこは地獄だった・・・というような事は無く、もちろん天国でもない。
どうやらアパートの一室のようである。いったいどこだと考えていると、見たことのある顔がのぞいてくる。




「越谷・・・さん」



「大丈夫か?なんか路上で倒れていたので、行き倒れかと思ったら君だったから。光くんだよな」

「はい・・・ご迷惑をおかけしました」

ここはどうやら越谷のアパートであるようだ。
光はそこのベッドに寝かされて、傷の手当てを受けている。
どうやらさっき殴られたおかげで曲解してくれているようだ。
悔しいけれど京極に感謝した。



だが、何よりも感謝すべきことは、ここが博の家ではなかったことだ。



もし博に拾われたからと思うと、震えが走ってくる。甲斐甲斐しく世話を焼く越谷に、ふと聞いてみる。




「どうして何も聞かないんですか?」



「聞いたら答えるのかい?」



逆に聞かれてしまった。どうやら彼なりに思いやってくれているらしい。
だが、ということは自分が何をされたか知っているということか?慌てて口を開こうとする光を制して言う。


「言いたくなければ言うことは無いだろ?それに、言うとしても俺以外に言うべき相手がいるんじゃないか?」

「でも・・・」



この人に話せば楽になれるだろうが、自分が男に犯されたなんていうことができない。
好きな人にならなおさらである。
今までは全然気にしてはいなかったが、まさかこんなところで男同士だという事実が重くのしかかるとは思わなかった。
自分が女であったら少しは話すことができたかもしれないのに・・・いや、女であっても話せないか。
そうすると、一人の少年が入ってきて、食事を持ってくる。それから光に会釈をしてすぐに出て行った。






「あの人は?」

「ああ、あれは俺の恋人だ。可愛いだろ」

恋人だと臆面もなく言ってのけるこの男が心底うらやましかった。
と同時に、恋人も男であるこの人になら相談できるかと思い、口を開いた。


「男同士で・・・どうも思わなかったんですか?」

いきなり聞くのもどうかと思ったので、当たり障りのないところからはじめる。

「そういわれてもな・・・好きになってしまったものはどうしようもないよ。
あれが男の子であることなんかすでに気になってなかったし。
男だから、はい付き合えませんと割り切れたら今ごろこうして付き合ってなんかないさ」


そういう越谷の頬が赤く染まる。どうやら照れているようだ。
自分勝手かもしれないが、自分のことを話しても受け止めてくれるもしれないと思い、口を開こうとした瞬間、ドアが開いてものすごい勢いで駆けて来る人がいる。
その人物はわき目も触れず光のもとにきて彼を抱きしめ、苦しそうに言う。


「俺は・・・また護ってやることができなかった・・・ごめん・・・許してくれ・・・」

よく見てみると、博の肩がわずかに震えている。
どうやら泣いているようだ。声も涙声である。
自分のために泣いてくれている。本来だったら喜ぶべきことなのだ。
だが、それは自分にとって身を斬る刃のようなものでしかなかった。
博は自分のことを歩と重ねて見ているのだ。覚悟はしていたはずなのに、非常につらい。

だが、今は目の前の男にすがりつくしかなく、胸の中で思いっきり泣いた。

ただひたすら泣いた。

そして二人はしばらくの間泣きつづけたのであった。






「で、誰に殴られたんだ?そいつにはたっぷりと丁重に礼をしてやらなければいけないからな」

二人とも落ち着いてから、やさしい声で博が聞く。
だが、バックで絶対零度の怒りが渦巻いている。
もしかして犯人に報復するつもりだろうか。
そしていつのまにかいなくなっていた越谷が戻ってきて、微笑みながら言う。


「まぁ・・・話したくない気持ちもわからないではないけど、秋本の大事な光くんをこんなにしたんだ。それ相応の報いを受けてもらわないとな」

光は身震いした。越谷の印象は優しい人だったが、どうやらそれ以上に恐ろしいところがあるみたいである。
ひょっとして彼らは似たもの同士なのか。どちらにしろ敵には回したくない、そう誓う光だった。
そしてふとある疑問に気付き、口に出す。


「どうして博がここにいるの?」

「俺が呼んだんだよ。君は会いたくなかったかもしれないがな。
だが、秋本は保護者だ。一応報告する義務があるからな。
そうしたらこいつ血相を変えて飛んできたよ」


本当におかしく越谷が笑う。それに対し博は真っ赤になっていた。
何も言い返すことができないらしい。またそれが、越谷の笑いを誘う。
真っ赤になっていた博は何とか真顔に戻って聞く。



「教えられないのか?」

「だめ!そんな事をしたら博が危ない!そんなのいやだ!」

切羽詰った表情で光が返す。そのすごい剣幕にはさすがの二人も顔を見合す。
そこまでして光の口を閉ざさせるものは何だ。すると・・・




「京極孝司よね」

入ってきたのは夏樹陽子だった。まさか呼んだのかと問い詰める博に、越谷は首を振る。

「何か倒れていた男の子のことで話題になってたから、訊いてみたら特徴が光君にそっくりだったのよ。
それで、前に聞いていたバイト先に行って聞いたら京極の名前が出てきたわ。どうやら常連だったみたい」


それだけでどうしてそこまで分かったかは腑に落ちなかったが、この二人の親友なら何をしてもおかしくはない。
もはや言い逃れができなくなり、しぶしぶ説明する。


「だって・・・博を社会に出れなくする事もできると言ってたから・・・」

沈みこんだ光を見て陽子が申し訳なさそうにする。




「ごめんね。つらいことを言わせて。でも、ひろくんはそんなのに屈する人ではないわ」




不敵な笑みで博を見る。そして博のほうも同じ笑みを返す。




「ああ・・・どんな超大物かと思っていたが、京極か。確かに財界での地位も高いが、所詮は地位を金で買っただけの家だ。




つぶす方法など・・・いくらでもある。




そうだな、ここで挙げればきりがないが」


「決まったのか?では俺も微力ながら参加させてもらうよ。俺だって光くんの事は気に入ってるからな」

そう言ったのは越谷である。恋人がいるのにそんな事をいってもいいのかと思ったら、案の定、悲愴なオーラが漂ってくる。
それに気付いたか、越谷は近くにいた恋人をあやしにかかる。どうやら恋人のほうも安心したらしい。
だが、そのいちゃつきを見ているほうはつらいままだった。


「それより、みんな帰ったほうがいいんじゃないか?光くんは今夜俺が面倒を見るから」

越谷がそう言うが、博が渋る。どうやらつれて帰りたいらしい。だが、彼は許可しなかった。

「光くんはけが人だ。今日いっぱいは安静にしておいたほうがいい。明日ちゃんと返すから、心配するな」

その言葉にしぶしぶと博は了解し、二人と越谷の恋人は帰っていった。越谷と光、二人の間に静寂が続いた。そして先に口を動かしたのは越谷だった。



「秋本の奴、君のことをとても大事にしてるんだな。正直言ってあんなに必死な顔を見たのは久しぶりだよ。もともと他人に対してあまり興味を持たない奴だからな」

それは自分の顔が・・・と言おうとしたのを制す。

「そんなに卑下することはないさ。君は君なんだから」

その言葉は思いやりに満ちていたが、光の心に届くことはなかった。
それだけ自分の顔にコンプレックスをもっているのだ。
もっとも、越谷のほうもそれを承知しているらしいが。


「それより、もう寝るといい。いやなことは忘れるんだ」

しばらくは目を開けていた光も、眠気には勝てず深い眠りへと落ちていった。



次頁