次の日、何とか無事に目が覚め、外に出れるようになった。
倉科先生と会うのは気まずかったけれど、どうしてもこれは避けるわけにはいかない。
朝のときはひたすら冷やかされてしまった。きっと歩に振られた辛さを押し隠しているんだろうと思うと申し訳なくなってくる。
そのたびに照れたり目をそらしたくなったりしたけど、どうしても倉科先生には言わなければならないことがある。
だから俺は空いてそうな日を見繕って放課後に倉科先生と話すことにした。
「先生・・・その・・・」
言い出そうとしたけど、結局言えなかった。
「歩のことか・・・。それは仕方ないさ。あいつは自分の意思で俺でなく、お前を選んだんだ。
俺には何も言えないよ・・・。
それに、俺はあいつにとって思い出の存在でしかない。
だけど、お前はずっとあいつの側にいて支えてきたんだろ?
だったらそれは当然の成り行きだ。
十数年ぶりに会えたのにな。お前の存在が唯一の誤算だったよ・・・」
寂しそうな笑みを浮かべる。口調自体は淡々としているけれど、全てを諦めているようで、それが寂しさを余計に感じさせた。今までずっと好きだった人を横から奪ってしまって俺は申し訳ない思いでいっぱいだった。
だけど、これだけは言っておかなければならない。
「歩を、俺にください。大切にしますから」
一発くらい殴られることは覚悟していた。それだけの事を先生にしたのだから。
だけど、先生はそうしなかった。それどころか、俺の唇にキスをしてきた。
え、先生は何を血迷っているのだろうか。舌まで入れてくる・・・。
「ふふ、間接キスだ。歩の唇もいいが、夏目のもなかなかだな。あ、言うのを忘れてたけど、あいつにキスさせてもらった。許してくれ」
俺にとっては間接キスじゃないんだけど・・・ひょっとして、嫌がらせ?それより、俺の知らない間に歩はキスしていたのか。そりゃ考えられることだけど・・・。
まぁ、倉科先生なら仕方ない。そのくらい譲歩しよう。
「別にいいですよ。一度といわず何度でもキスしちゃってください。俺が許します」
「ふふ・・・一度だけで充分さ。
もう二度目以降はないからな」
え?二度目以降はない?俺と先生は似ているから考えられることはそれしかなかった。
「まさか先生、歩の前から消えようって言うんじゃないでしょうね?」
「何言ってんだ?俺は担任だ。それができるわけないじゃないか」
「そうじゃなくて、関係を一切断ち切って、ただの教師と生徒にするつもりでしょ?」
「もちろんだとも。俺たちが恋人でなくなった今、あいつを特別扱いする意味がない」
教師の顔をして言ったけど、本当は違うのだろう。きっと俺のことを気遣って離れようとしているのだ。
だけど、そんなことをしたら・・・。
「それはやめてください!あいつ、俺だけがいればいいと言ってるけど、気付いてないんです。
倉科先生のことがどれだけ大きな存在を占めているかって・・・。
あいつは今まで先生と会うことを希望に生きてきました。
だから、もし先生がそうしたら、冗談抜きに歩は壊れます・・・今までの想いが欠けるのだから・・・」
俺は必死に懇願した。本当は独り占めしたいんだけど、倉科先生がいなくなれば、歩は悲しむ。
そんなのは見たくない。それに、悔しいけれど倉科先生はいい先生だ。
俺はまだ子供だから、俺にも歩の親友は必要かも知れない・・・。
「うー・・・仕方ない。そこまで言うなら、俺も今までのままでいかせてもらうよ。ただ、歩の浮気相手という形でな」
どうやら完全には諦めきっていなかったようである。でも、浮気相手というのが面白い。
「あ、それいいですね。ところで、先生には恋人がいなくなっちゃいましたけど、新しい人要ります?」
「そうだな。恋の傷は恋で治すのがいいからな。だけど、いい子はいるのか?」
「外山はいります?」
何となく外山を勧めてみた。まぁ、本音を言うと、譲るのは惜しいけども・・・。
「外山・・・ああ、あのいつも独りでいる奴か。周りにはそれがかっこいいとか言われているけど、いじめてみると楽しそうな、あの外山か」
どうやら俺と似たことを思っていたらしい。これなら先生も満足してくれるだろう。
「だけど、外山も手放す気はないんだろ?」
痛いところを突いてきた。俺は歩が一番だけど、実は外山のことも気に入っている。どうしても側においておきたいんだ。
「欲張りだな、夏目も。二人とも側においておきたいなんて。でも、そういうのがあってもいいかもな・・・。まぁ、俺は気長に探すさ。今やるべきことは・・・」
「歩をいじめることだな」
「歩をいじめることですね」
見事にハモってしまった。あまりにもぴったりだったので、大爆笑してしまった。
「俺たち、どうやら気が合いそうだな」
「そうですね。俺、先生のこと、好きになれそうです」
すると先生は大笑いをする。何がそんなにおかしいんだろう。
「ひょっとして俺まで浮気相手にするつもりか?この男ったらしめ。その顔で何人の男を誘惑してたんだ?」
あぁ、そういうことだったのか。俺は苦笑した。でも、誘惑した覚えはない。
「先生までそれを言いますか。やめときますよ。そんなことをしたら、今度こそ歩に殺されますから」
すると先生は同情の目を向けた。
「そうか、それは大変だな。今のあいつ、独占欲の塊だからな・・・。
昔のことを言っても仕方ないが、前のあいつはそういったことは感じさせなかったよ・・・静かな奴でな。
でも、優しいところと傷つきやすいところは昔も今も変わらないんだな・・・」
懐かしそうな眼差しで話す。ダイヤモンドのような瞳は優しさに満ちあふれていた。
この人はそれでずっと歩を守ってきたんだろう。俺は今の歩しか知らないから、先生の知る歩を教えてほしかった。
「今度、先生が親友だった頃の歩のことを教えてくれませんか?」
「歩は歩でしかないから、昔のことを言っても仕方はないかもしれないが、今度ゆっくり話そう。
今じゃ時間が足りなすぎる。お前の知る歩のことも聞きたいからな」
はい、俺はそう言って先生の手を握った。先生も握り返してくれる。今日、俺と先生の意味の不明な同盟が成立した・・・と思う。
次ページ